その時だった。誰かがこう言い出したのだ。


 ――それって、ドッペルゲンガーってやつじゃないの?


 狐崎会長には、お兄さんがいる。実直で爽やかな好青年という噂を聞いた。

 そういう意味では似ているものの、容姿は間違えられるようなものではない。

 双子も姉妹もいない。母親はまたタイプの違った美人らしい。

 いとこも雰囲気が違うらしく、間違えられるほど似ている人物に心当たりはないそうだ。

 とはいえ、世の中には自分と似た人が三人いると言うし、きっと会ったことはないけれども、この地域に一人、とてもそっくりな人がいるのだろう。

 会長はそう考えて、自分を納得させたそうだ。

 しかし、とうとうその日が来てしまう。

 四月某日。数日前の、とある日のことだった。

 狐崎会長は、学校からの帰宅中。家の近くにある公園で、目撃をする。

 まるで鏡に映った自分自身だと思わずにはいられない人物が、ひとりでに歩いている姿を。

 髪、背格好、仕草……容姿が似ているだけではない。何もかもが自身だと認識してしまった。

 背を向け歩いて行くその姿を愕然と見ていた会長だったが、はっと我に返り、慌ててその人物の後を追いかけたらしい。

 住宅街へと向かう公園の通路を通り、背中は角を折れる。見失うまいと急いで駆け寄った会長だったが、しかし――

 一本道にも関わらず、ドッペルゲンガーは忽然と姿を消していた。そこには、誰一人すら影も形もなかったそうだ。

 会長はさすがに怖くなり、慌てて家の自室へ駆け込んだという。

 信じがたいことだが、ドッペルゲンガーは存在した。あれは、他人の空似と言うには似すぎていた。

 それにしてもどうしたことか。ドッペルゲンガーは、段々と近付いてきている。

 郊外のショッピングモールから、学校の最寄り駅。そして、とうとう自宅付近の公園にまで現れた。

 自身だけが目撃したのなら、脳や精神疾患の疑いもあるだろう。

 しかし、そうではない。実際に友人やクラスメイトの数名が見ているのだ。

 これは、単純な話ではない。ドッペルゲンガーを見たら死ぬという話まであるではないか。

 気にならないようにと意識すればするほど、相反して気になってしまう。

 これではいつか、学業や生徒会の仕事に支障が出るかもしれない。個人的な理由で、忙しい時期に穴を開けるわけにもいかない。

 責任感の強い彼女は、悩んでいることを生徒会役員たちに相談した。何かおかしな挙動が見られたり、気になるようなことがあれば、教えてほしいと。

 生徒会の面々は誰もが会長を励まし、似ている人くらいいると慰めてくれた。

 その彼らの優しさに救われながら、今日までどこか安心できずに過ごしていたのだそうだ。

「そんな時、美化委員が目安箱を設置したというわけだね」

「はい。藁にも縋る思いでした」

「フクロウちゃん――怪異調査同好会に頼もうとは思わなかったのかい? 専門は彼女だ」

「考えました。ですが彼女に依頼するとなると、どうしても彼らを巻き込んでしまいます」

 言いながら、ちらりと後ろの仲間を振り返る狐崎会長。

 確かに、神代先輩が絡むと生徒会の仕事どころではないかもしれない。

 この中には、関わりたくない人もいるかもしれないのだし、気後れするのも無理はないだろう。

「目安箱ならば、匿名で依頼することが可能かと思いまして」

「まあ、確かに匿名での依頼は可能だね。怪異調査同好会は、そういったことができない。しかし、残念ながら彼女も美化委員だ。遅かれ早かれ、ここへは辿り着くよ」

「覚悟しておきます」

 淡い苦笑を浮かべて、狐崎会長は役員たちを振り返った。

 一人一人を慈しむように、眼差しを向けている。

「わたくしは、今ここで任を放るわけにはまいりません。立候補し、選んでいただいたのです。しっかりと、まっとうせねばなりませんから」

「会長……」

「大変身勝手な依頼で心苦しいのですが、どうかお二人のお力添えをいただきたく。お願い申し上げます」

 しず、と優雅に頭を垂れる狐崎会長。洗練された動きが優美で、思わず見とれてしまう。

「もちろんだよ、狐崎会長。そのために僕たちは来たのだから。ね、ハトちゃん」

「はい! 狐崎会長の憂いを晴らすお手伝いができるなんて、光栄です」

「感謝致します。倉科委員長、白瀬副委員長」

 再び恭しく頭を下げる狐崎会長。謙虚な人だ。

 そんな彼女へ倉科先輩が質問をした。

「ちなみに、それ以後ドッペルゲンガーを目撃しているかい?」

「いえ、現時点までにはまったく……」

 首を左右に振って否定する会長。公園での目撃以来、ドッペルゲンガーは現れていないようだ。

 しかし、油断は禁物。ドッペルゲンガーは突如現れ、忽然と姿を消すのだから安心はできない。とはいえ、本当にオカルト現象だったなら、いったいどうしたものか。

 倉科先輩には、何か策でもあるのだろうか。そう思いちらと盗み見るも、やはりというか何というか、いつも通りのにこにことした微笑みを浮かべているだけで、何を考えているのかまったくわからなかった。

「このまま大人しく過ごしていてもらえると、ありがたいのですけれど」

「……そうかい。では、調査に向かうとしよう。何かわかれば、報告させてもらうよ」

「はい。よろしくお願い申し上げます」

 立ち上がり、廊下へ出る私たち。

 見送ってくれる狐崎会長を振り返って、気付く。彼女の肩越しに見える生徒会室内。

 一番奥の席。会長の椅子がある、そのそばに置かれているカバン。

 そこに、ブーメラン型のキーホルダーが、ぶら下がっていた。

「協力、感謝するよ。狐崎会長、もしも何か気付いたことがあれば、知らせてもらえるかな?」

「承知致しました」

「行こうか、ハトちゃん。……ハトちゃん?」

「は、はい!」

 キーホルダーに気を取られていた私は、先輩に名を呼ばれ肩を跳ねさせた。

「どうかしたのかい?」

「な、何でもないです」

「そうかい? では行くよ、ハトちゃん」

「はい」

「お気をつけて」

 旅館の女将を思わせるお辞儀で見送られ、頬が紅潮する。

 素敵な人とはああいう人のことを言うのだな、と憧れが増した。

「ハトちゃん、頬が緩んでいるよ」

「え、そうですか?」

「狐崎さんのファンになったのかな?」

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