彼らの胡乱な視線が、倉科先輩に注がれる。沈黙で迎えられた空気が重い。

 きっと、突然やってきて何事かと思われているに違いない。

 先輩ってば、よくこんな状況の中なのに、いつも通りでいられるよね……。

 私がどうしたものか困惑していると、すっと教室奥にいた女生徒が立ち上がった。

 唯一、この空間でにこりと優しげな笑顔を浮かべている、ほんわか美人。我らが生徒会長様だ。

「美化委員の倉科委員長、白瀬副委員長ですね。ようこそ、おいでくださいました。わたくし、会長職を務めております狐崎きつねざきと申します。お目にかかれて光栄です、白瀬副委員長。どうぞ遠慮なさらず、お入りください」

「は、はい……!」

 壇上にいる姿を遠目で見た時も思ったけど、すごく丁寧な人だな……柔らかな物腰に重かった空気が一変、一気に穏やかになった。

「新年度で忙しいところを、急に訪ねて申し訳ない。狐崎生徒会長、少々時間をいただけるだろうか? 確認したいことがあってね」

「ええ、喜んで伺います。どうぞ、おかけになってください」

「では、遠慮なく」

「あ、ありがとうございます!」

 庶務の人が椅子を用意してくれる。私はお礼を言って生徒会長と対面するように、倉科先輩と並んで席に着いた。

 にっこりと微笑んでいる会長の肩口で、ふわりと柔らかそうな黒髪が揺れる。綺麗なボブだ。左分けの前髪が、より知的さを演出している。

「倉科委員長、白瀬副委員長。本日は、どのような御用向きでしょうか?」

 おっとりした人。だけど、芯の強い瞳をしている。

 周りをよく見て下す、的確な判断。優しげな微笑みを浮かべながらも、譲れないところは貫く意志の強さ。常に生徒を思い行動してくれる狐崎先輩は、生徒会長のかがみだ。

 生徒会選挙では彼女以外に会長はあり得ないと、会長に立候補した人たちが自ら辞退する現象まで起きたという。そんな伝説を持ち、全校生徒に慕われ憧れられている狐崎会長。

 この人がいれば、美化委員は通常の清掃業務に勤しんでいれば良いのではないかと思うんだけれど……。

 それにしても倉科先輩は、どうしてドッペルゲンガーの調査のために生徒会長を訪ねたのだろうか。

 入る前に投書主がいるって言っていたけれど、まさか……。

「狐崎会長、先に一つ確認をしておきたい。投書の相談内容は内密だったかな?」

「――!」

 倉科先輩の一言に、狐崎会長の目が見開かれる。しかしそれも刹那、すぐさまにこりと表情に笑みを取り戻す。

 そうして、くすくすと笑い出した。

「ご配慮痛み入ります、倉科委員長。しかし、彼らには相談をしておりますので、問題ございません」

「そうだったのだね。であれば、遠慮なく話ができるというものだ」

「はい。しかし、驚きました。わたくしの投書だと、何故おわかりに?」

「それは、匿名だったのにどうして気付いたのかという質問かい?」

「ええ」

「えっ……」

 驚きの声を上げたのは、もちろん私だ。

 ドッペルゲンガーの相談依頼者が狐崎会長だったこともびっくりだが、更に上回ることをどうしてこの二人は、こんなにも落ち着いて話しているのだろうか。

 てっきり、あの紙に会長の名前が書かれているものとばかり思っていた。だから、まっすぐに倉科先輩はこの場を訪れたのだろうと考えていたのに。

 まさか匿名投書だったとは……であれば、会長の疑問も頷ける。

 どうして、倉科先輩はここへ辿り着くことができたのだろうか。

「字だよ」

「字、ですか……観察力、分析力、洞察力の鋭い倉科委員長らしいですね」

「ど、どういうことですか? まさか、字を見ただけで?」

 書かれた字を見ただけで誰の筆跡かわかったって、そう言うの?

 驚愕していると、しかし倉科先輩はそんな私をよそに、「うん」と軽く頷いていた。

「あのようにとても流麗な字を書く人は、そうそういない。同じクラスだった二年の時に、君の字は見ていたからね。すぐにわかったよ」

「お褒めに与り恐縮です。そしてお二人の迅速な対応、勉強になります。その上、倉科委員長、白瀬副委員長が直々に相談を受けてくださるなんて、光栄です。どうぞ、質問等何なりと」

 この人、本当に丁寧でいい人だ。一年の私なんかにも、倉科先輩と同じように接してくれている。

 しかも、それが嫌みでも嘘くさくもない。これが、生徒憧れの狐崎生徒会長。

 ファンクラブがあるという噂も、嘘じゃないかもしれない。

「では、早速。実際に、ドッペルゲンガーを目撃したのかい?」

 ざわっと、生徒会役員たちの間に小さなどよめきが起こる。

 息を呑む者や手がぴたりと止まっている者、聞き耳を立てる者や視線そのものを向けている者……それぞれの反応をその背に受けながら、狐崎会長は波紋のない水面を思わせる静かさで、こくりと一つ頷いた。

「事の始まりは、友人からの連絡でした」

 狐崎会長は語った。ここ数週間の間に起こった出来事を、私たちにわかりやすく教えてくれたのだ。

 それは、春休み中の三月某日。進級を控えた彼女の元に、友人から一件の連絡が入ったのだ。

 ――さっき、ショッピングモールにいたよね。今日、生徒会なかったの?

 会長は、スマホに表示されたその文字に首を傾げた。自分は今、生徒会室にいる。

 数時間前からこの場にいるため、連絡が来た時刻に学校からは遠く郊外にあるショッピングモールにいることは、不可能だ。あり得ない。

 行ったことはあるけれど、それは今ではない。きっと似た誰かと見間違えたのだろう。そう思い返信をして、それからその出来事をすっかりと忘れていた。

 そんなある日のことだった。今度はまた別の友人から休日、学園の最寄り駅で姿を見かけたと言われたのだ。声を掛けたのに気付かなかったのか、と。

 彼女はその日、まったく違う場所――県外にある親戚の家へ両親と車で遊びに行っていた。電車の利用も、駅のそばを通ることすらしていない。

 他人の空似だと言ったが、友人は納得がいかない様子。

 二人で首を傾げていると、クラスメイトの数人も彼女を見かけたと言い出したのだ。

 そうして、目が合ったのに無視をされたとも言われる始末。

 しかしどれもが身に覚えのない、自分の行動と一致しない証言ばかり。彼女は、何事かと眉を顰めた。

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