2

 翌日の放課後。早速、目安箱のことでチームリーダーから連絡が入った。

 私は倉科先輩に呼ばれて、彼のクラスである三年一組の教室へと向かう。

 そこにいたのは倉科先輩と、一人の女子生徒だった。

 この人、どこかで見たことがあるな……あ、美化委員の人だ。確か彼女は、今日の担当チームのリーダーである三年の先輩。そして――

「おっ、来たね。副委員長」

「か、神代先輩……」

 無意識に脳が認識することを拒否したなんて、口が裂けても言えやしない。

 そんな彼女――モデル体型美人の神代アウルが、不遜な笑顔を浮かべて仁王立ちしていた。

 この教室は彼女のクラスでもあるため、神代先輩がここにいることは別段不思議でも何でもない。

 ないのだが、姿を見るだけでどきりとしてしまう。

 まったく、心臓に悪い人だ。

「あ、あの、もう行っても良い、かな?」

 俯き加減のチームリーダーが、半歩下がりながら倉科先輩へ問う。

 眼鏡の向こうの瞳は、おどおどと泳いでいた。

 カバンの持ち手を握る手指が、所在なさげにそわそわしている。

 それは、見るからに怯えている様子だった。

「ああ。連絡をどうもありがとう、狸塚さん」

「ど、どういたしまして。それじゃあ」

 そそくさと教室を出て行く、彼女の手元。そのカバンで揺れている、ブーメラン型のキーホルダーが目に留まった。

 何だか意外だな。一瞬だったからよく見えなかったけれど、絵が描いてあったように思う。ああいうのが趣味なのかな?

 それにしても、チームリーダーの彼女に同情してしまう。

 先程までこの二人と一緒にいたなんて。それも一人で。

 どんな気持ちだっただろうか……心中お察しします、先輩。そりゃあ、逃げたくもなる。

 とはいえ、今から私も同じ目に遭うんだよね……。

 私が遠い目をしながら胸中で嘆いていると、倉科先輩から声を掛けられた。

 はっとして、彼へ向き直る。

「来てくれてありがとう、ハトちゃん。待っていたよ」

「いえ。お待たせしてしまい、すみません」

「急に呼び立ててしまったからね。気にしないで」

「なあ、もう挨拶は良いからさ。面白いことが書いてある分だけ、こっちへ寄越してくれる? 変人」

「君は呼んでいないのだけどね、フクロウちゃん」

 手のひらを向けて寄越せと詰め寄る神代先輩に、いつもの笑顔を向ける倉科先輩。

 彼らの目の前には、持ってきたのだろう。目安箱が置かれていた。

 様々な形、サイズの折り畳まれた紙が、箱のそばで小さな山を作っている。

 一日でこんなにもたくさんの紙が……この学校では、そんなにも困ったことが起こっているの?

 それにしても、神代先輩は目安箱のことを言っているのだろうか?

 面白いことが書いてある分って、何のことなのだろう?

 そう私が首を傾げていると、にやりと笑って。神代先輩は、ビシッと人差し指を倉科先輩へ向けた。

「隠そうとしたって無駄だよ、変人。さっきあんたが狸塚と話してた内容は、ばっちり聞こえてたんだからね。だからほら寄越してよ。ドッペルゲンガーが現れたっていう投書を」

 ドッペルゲンガーって、確か自分とそっくりな分身が現れるっていう、あの?

 どうして、そんなことが目安箱に?

「さすがだね、フクロウちゃん。教室の外にいたというのに、耳聡い」

「この手の話をあたしが聞き逃すなんて、あり得ないね。そんなこと起こってみろ。悔やんでも悔やみきれないからね。って、そういうのは良いから、ほら。この怪異調査同好会会長であるあたしが直々に持ち帰って調査してあげるんだから、大人しく情報を寄越してよ。こんなのは誰がどう考えたって、美化委員の仕事じゃない」

 確かに、この際本当かどうかはともかく、ドッペルゲンガーの調査なんて、美化委員の仕事の範疇じゃない。彼女の言う通り、神代先輩率いる怪異調査同好会の分野だ。

「わかったよ。フクロウちゃんは、せっかちだね。しかし、少し待ってはもらえないかな? 僕も話に聞いただけで、まだ見ていないのだから」

 言いながら、紙の山からひとつまみ。かさりと畳まれた紙を、一枚一枚開いていく倉科先輩。

 これ、もしかして……。

「おい、ちょっと待て変人。まさか、今からその紙、全部そうやって一個ずつ見ていくつもり?」

「もちろん。ここに先程、狸塚さんが置いていってくれた一枚があるけれど、他にも目撃情報があるかもしれないからね」

 随分とのんびりした話だ。このペースで確認していくならば、すべて読み終わる頃にはとっくに太陽は沈んでいるだろう。

 それまで、神代先輩が大人しく待っているとは思えない。

 黙って様子を見ていると、彼女は案の定痺れを切らして、机の上に開かれていた一枚の紙をむんずと掴み、廊下へ向かって歩いて行った。

「良いのかい? それだけで」

「十分だよ。じゃあね」

 廊下をスタスタと歩いて行く彼女を、黙って見送って。姿が見えなくなった頃、私は戸惑いながら口を開いた。

「本当に、さっきの紙にはドッペルゲンガーのことが書かれていたんですか?」

「ああ。あの紙は、今日の担当チームの彼らが見つけて持ってきてくれたものだよ。他には、一枚だって存在しない」

「え?」

 立ち上がり、教室の端に置いてあったゴミ箱を手に戻ってくる倉科先輩。

 何をするのかと見ていると、なんと彼は紙の山をそのゴミ箱へと、すべて投入してしまった。

 私は、慌てて声を上げる。

「ちょっ……何を!」

「おや、珍しく声を荒げて。どうかしたのかい? ハトちゃん」

 驚く私と、きょとんとしている倉科先輩。

 この温度差は、何だろうか?

 まるで、私の反応がおかしいみたいじゃないか。

「いや、その……せっかくの投書を見もせずに捨ててしまうなんて……」

「ああ、問題はないよ。すべて確認済みだからね」

「え、確認済み?」

 だって、さっき一枚ずつ開いて見始めたばかりじゃ……。

 いや、でもドッペルゲンガーのことが書いてある紙は、他に存在しないって――

「……もしかして、神代先輩を騙したんですか?」

「おや、ついにハトちゃんも人を疑うことを覚えたのかい? 正解だよ」

 悪戯が成功した子どものように、嬉しそうな表情を浮かべる委員長。

 こうやってしれっと意地の悪いことをするから、本当に質が悪いと思う。

 おまけに「成長したね」なんて、幼い子どもに掛けるような言葉を向けてきた。

 目が見えない分、こういう時は余計に何を考えているのかわからない。

「先輩は意地悪な人だと、学習しましたので」

「そうかい。僕は君の呆れた顔が見られて、嬉しいよ」

 何が嬉しいのかを聞くのは、止めておくことにした。

 私は、逸れた話を元に戻す。

「全部、既にチェックしておられたんですね」

「投書のことかな? そうだね。ただ、僕ではなく、今日の担当チームの彼らがしてくれたのだけれどね」

 であれば、あれだけの量をすべて見た上で、連絡してきたというの?

 じゃあ、そんな大変なことをしたというのに、倉科先輩と神代先輩に囲まれてしまったのか。

 なんて不憫な人……。

「優秀な人が委員メンバーにいてくれて、僕は嬉しいよ」

「そ、そうですか……」

「ああ。昼休みに彼女たちのチームを見かけたけれど、昨日組まされたばかりのパートナーやチームだというのに、狸塚さんはしっかりとリーダーシップを発揮していた」

「それはすごいですね。やっぱり、そういうことのできる人がリーダーに選ばれるんですね」

「そんなことはないよ」

 ゴミ箱を所定の位置に戻した先輩が、くるりと踵を返す。

 いつもの笑みを浮かべ、にこにこと楽しそうだ。

「彼女とは、昨年に同じクラスだったから、面識があったのだけれどね。リーダーというタイプではまったくなかった。むしろ、そういったものを避けている傾向があるようにすら見受けたよ。目立たず、リーダーの言うことに従うといったところかな」

「そうなんですか? じゃあ、秘められていた才能が開花したということですね」

「ハトちゃんは本当に面白いね。時折、驚くほどポジティブだ」

 肩を震わせて笑われ、何かおかしなことでも言っただろうかと記憶を辿る。

 しかし思い当たらず首を傾げている私に、先輩はとある事例を教えてくれた。

「働きアリの話を知っているかい?」

「働きアリ、ですか? もしかして、サボっているアリもいるっていう話ですか?」

「そうだよ。働かないアリが存在しているからこそ、コミュニティが成り立っているという話だ。二対六対二の法則とも言われているね」

 働き者というイメージのある働きアリ。しかし、その中の数パーセントのアリは、働きもせずに遊んでいるという。

 先輩は二割のアリがよく働き、六割のアリが普通に働き、そして残りの二割がまったく働いていないのだと言った。

「ずるいですよね。その残り二割のアリ」

「いや、そんなことはないよ。先程も言ったと思うけれど、彼らが存在しているおかげで八割のアリが働けるのだからね」

「どうしてですか?」

 実際に、自分が汗水流して働いている横で涼しい顔してふらふら遊ばれていたら、絶対に頭にくると思うんだけど。

 不思議に思いながらそう尋ねると、先輩は「そういうものなのだよ」と言った。

「効率が悪いように思うかもしれないが、実際にはそんなことはない。確かに全員がしっかりと働けば、仕事の処理能力は向上するだろう。だがそれは、一時的に過ぎない」

「一時的ですか?」

「そう。何故なら、同時に相応の疲労が蓄積されるからだよ」

「あ……」

「それにより、同等の処理能力を維持することは困難。やがてその組織は、存続すらできなくなる」

「存続すら……」

 私の呟く声に一つ頷いて、先輩は続けて教えてくれた。

「勘違いしがちだけれど、働かないアリがずっと休んでいるということではないよ。働いていたアリが疲れて休み始めると、代わりに彼らが働き始めるのだからね。だから、仕事の処理能力は一定に保たれる。この方が、組織は長続きするということだね」

「だからコミュニティが成り立っているって、先程話されていたんですね」

「そういうこと。自然に、無意識下で誰もが存続する方法を選び取っているという現象だね」

「不思議ですね」

「そうだね。面白いことに、働かないアリをすべて取り除くと、働いていたアリのうち二割が働かなくなるのだよ。同様に働かないアリばかりを集めると、八割のアリが働き出す。どのようなアリを集めても、常に割合は二対六対二になるというのだからね」

 どんな性格の集団を構成しても、何故か必ず優秀な人材が二割。普通の人が六割。あまり働かない人が二割という比率になるそうだ。

 その優秀な人がリーダーシップを発揮して、六割が引っ張られるようにして働き、二割の人がサボるようになる。

 こうして、一人であればできるのに「これだけの人がいれば手を抜いても構わないだろう」と考え、集団だとできなくなる人が現れる。先輩がパートナー制だけでなく、チームにして担当曜日まで決めたのも同じだろう。「きっと誰かがやってくれる」という心理の対策だ。

 担当でない曜日にはサボって、割り当てられた日にだけしっかり働く。そうすることで処理能力も保たれ、円滑に物事が運ぶ。理にかなった案だったというわけだ。

「他にも、自分がいなければこの集団は成り立たない、崩壊してしまう、だから抜けられないといった発言を耳にすることがあるけれど、案外そうでもないものだよ。当人がいなくなったら、穴を埋めるように次の優秀な人間が生まれるだけだからね」

「もしかして、チームリーダーの、えっと、狸塚先輩、でしたっけ? 狸塚先輩も、この法則に当てはまるということですか?」

「そうだよ。集団というのは、時として不思議な力を人間に与える――そんな錯覚を抱かせてしまうものだ。これも、その一例だね」

 そう言って倉科先輩が私へ差し出したのは、一枚のメモ用紙。

 受け取ると、これが目安箱に入っていた投書の集計だと教えてくれた。

「これって……」

「一割が、投書ですらないただのゴミ。三割ほどが、掃除要望箇所に関する投書。一件の相談というのは、ドッペルゲンガーのことだよ。そうして――」

「残りすべてが、誹謗中傷……」

 あれだけあった山の半分以上が、誹謗中傷だったなんて……。

 ゴミと合わせると、約七割がそうだ。

 その事実に私がショックを受けていると、何が楽しいのか、先輩は相変わらずの笑みを浮かべて私を見た。

「集団心理だよ。顔の見えない匿名性。その上、皆もやっているという安心感。そこから起こる錯覚……しかし、三割も掃除に関する投書があったとはね。結果は良い方だと思うよ」

「そういうものなんですか?」

「二割あれば良いと予想していたからね。ほら、二対六対二だろう? いくら僕でも、美化委員がどう思われているかは、わかっているつもりだよ。八割は悪戯されると思っていた」

「……」

「悲しそうな顔だね、ハトちゃん。もしかして、すべてが要望書だと思ったのかい? 君は、本当にいい子だね」

「私は、そんなんじゃ……」

 言い淀み俯くと、頭の上に優しく手のひらが置かれた。

 その手はとても大きく温かくて、どこかほっと安心してしまった。

「じゃあ、そんないい子のハトちゃんに一つ、お願いがあるのだけれど」

「お願い、ですか?」

「ああ。今から僕に付き合ってもらえるかな? ドッペルゲンガーの調査をしたいのだけれど」

「え――」

 私はぱちくりと瞬きをして、そうして改めて思い知るのだった。

 この倉科将鷹という男は、美化委員の仕事に積極的な、優秀な二割で。

 そして法則の六割に位置する私を引っ張る、パートナー様なのだということを。

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