おまけに「成長したね」なんて、幼い子どもに掛けるような言葉を向けてきた。
目が見えない分、こういう時は余計に何を考えているのかわからない。
「先輩は意地悪な人だと、学習しましたので」
「そうかい。僕は君の呆れた顔が見られて、嬉しいよ」
何が嬉しいのかを聞くのは、止めておくことにした。
私は、逸れた話を元に戻す。
「全部、既にチェックしておられたんですね」
「投書のことかな? そうだね。ただ、僕ではなく、今日の担当チームの彼らがしてくれたのだけれどね」
であれば、あれだけの量をすべて見た上で、連絡してきたというの?
じゃあ、そんな大変なことをしたというのに、倉科先輩と神代先輩に囲まれてしまったのか。
なんて不憫な人……。
「優秀な人が委員メンバーにいてくれて、僕は嬉しいよ」
「そ、そうですか……」
「ああ。昼休みに彼女たちのチームを見かけたけれど、昨日組まされたばかりのパートナーやチームだというのに、狸塚さんはしっかりとリーダーシップを発揮していた」
「それはすごいですね。やっぱり、そういうことのできる人がリーダーに選ばれるんですね」
「そんなことはないよ」
「え?」
ゴミ箱を所定の位置に戻した先輩が、くるりと踵を返す。
いつもの笑みを浮かべ、にこにこと楽しそうだ。
「彼女とは、昨年に同じクラスだったから、面識があったのだけれどね。リーダーというタイプでは、まったくなかった。むしろ、そういったものを避けている傾向があるようにすら見受けたよ。目立たず、リーダーの言うことに従うといったところかな」
「そうなんですか? じゃあ、秘められていた才能が開花したということですね」
「ハトちゃんは、本当に面白いね。時折、驚くほどポジティブだ」
肩を震わせて笑われ、何かおかしなことでも言っただろうかと記憶を辿る。
しかし思い当たらず首を傾げている私に、先輩はとある事例を教えてくれた。
「働きアリの話を知っているかい?」
「働きアリ、ですか? もしかして、サボっているアリもいるっていう話ですか?」
「そうだよ。働かないアリが存在しているからこそ、コミュニティが成り立っているという話だ。二対六対二の法則とも言われているね」
働き者というイメージのある働きアリ。しかし、その中の数パーセントのアリは、働きもせずに遊んでいるという。
先輩は二割のアリがよく働き、六割のアリが普通に働き、そして残りの二割がまったく働いていないのだと言った。
「ずるいですよね。その残り二割のアリ」
「いや、そんなことはないよ。先程も言ったと思うけれど、彼らが存在しているおかげで八割のアリが働けるのだからね」
「どうしてですか?」
実際に、自分が汗水流して働いている横で涼しい顔してふらふら遊ばれていたら、絶対に頭にくると思うんだけど。
不思議に思いながらそう尋ねると、先輩は「そういうものなのだよ」と言った。
「効率が悪いように思うかもしれないが、実際にはそんなことはない。確かに全員がしっかりと働けば、仕事の処理能力は向上するだろう。だがそれは、一時的に過ぎない」
「一時的ですか?」
「そう。何故なら、同時に相応の疲労が蓄積されるからだよ」
「あ……」
「それにより、同等の処理能力を維持することは困難。やがてその組織は、存続すらできなくなる」
「存続すら……」
私の呟く声に一つ頷いて、先輩は続けて教えてくれた。
「勘違いしがちだけれど、働かないアリがずっと休んでいるということではないよ。働いていたアリが疲れて休み始めると、代わりに彼らが働き始めるのだからね。だから、仕事の処理能力は一定に保たれる。この方が、組織は長続きするということだね」
「だからコミュニティが成り立っているって、先程話されていたんですね」
「そういうこと。自然に、無意識下で誰もが存続する方法を選び取っているという現象だね」
「不思議ですね」
「そうだね。面白いことに、働かないアリをすべて取り除くと、働いていたアリのうち二割が働かなくなるのだよ。同様に働かないアリばかりを集めると、八割のアリが働き出す。どのようなアリを集めても、常に割合は二対六対二になるというのだからね」
どんな性格の集団を構成しても、何故か必ず優秀な人材が二割。普通の人が六割。あまり働かない人が二割という比率になるそうだ。
その優秀な人がリーダーシップを発揮して、六割が引っ張られるようにして働き、二割の人がサボるようになる。
こうして、一人であればできるのに「これだけの人がいれば手を抜いても構わないだろう」と考え、集団だとできなくなる人が現れる。先輩がパートナー制だけでなく、チームにして担当曜日まで決めたのも同じだろう。「きっと誰かがやってくれる」という心理の対策だ。
担当でない曜日にはサボって、割り当てられた日にだけしっかり働く。そうすることで処理能力も保たれ、円滑に物事が運ぶ。理にかなった案だったというわけだ。
「他にも、自分がいなければこの集団は成り立たない、崩壊してしまう、だから抜けられないといった発言を耳にすることがあるけれど、案外そうでもないものだよ。当人がいなくなったら、穴を埋めるように次の優秀な人間が生まれるだけだからね」
「もしかして、チームリーダーの、えっと、狸塚先輩、でしたっけ? 狸塚先輩も、この法則に当てはまるということですか?」
「そうだよ。集団というのは、時として不思議な力を人間に与える――そんな錯覚を抱かせてしまうものだ。これも、その一例だね」
そう言って倉科先輩が私へ差し出したのは、一枚のメモ用紙。
受け取ると、これが目安箱に入っていた投書の集計だと教えてくれた。
「これって……」
「一割が、投書ですらないただのゴミ。三割ほどが、掃除要望箇所に関する投書。一件の相談というのは、ドッペルゲンガーのことだよ。そうして――」
「残りすべてが、誹謗中傷……」
あれだけあった山の半分以上が、誹謗中傷だったなんて……。
ゴミと合わせると、約七割がそうだ。
その事実に私がショックを受けていると、何が楽しいのか、先輩は相変わらずの笑みを浮かべて私を見た。
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