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 翌日の放課後。早速、目安箱のことでチームリーダーから連絡が入った。

 私は倉科先輩に呼ばれて、彼のクラスである三年一組の教室へと向かう。

 そこにいたのは倉科先輩と、一人の女子生徒だった。

 この人、どこかで見たことがあるな……あ、美化委員の人だ。確か彼女は、今日の担当チームのリーダーである三年の先輩。そして――

「おっ、来たね。副委員長」

「か、神代先輩……」

 無意識に脳が認識することを拒否しただなんて、口が裂けても言えやしない。

 そんな彼女――モデル体型美人の神代アウルが、不遜な笑顔を浮かべて仁王立ちしていた。

 この教室は彼女のクラスでもあるため、神代先輩がここにいることは別段不思議でも何でもない。

 ないのだが、姿を見るだけでどきりとしてしまう。

 まったく、心臓に悪い人だ。

「あ、あの、もう行っても良い、かな?」

 俯き加減のチームリーダーが、半歩下がりながら倉科先輩へ問う。

 眼鏡の向こうの瞳は、おどおどと泳いでいた。

 カバンの持ち手を握る手指が、所在なさげにそわそわしている。

 それは、見るからに怯えている様子だった。

「ああ。連絡をどうもありがとう、狸塚たぬきづかさん」

「ど、どういたしまして。それじゃあ」

 そそくさと教室を出て行く、彼女の手元。そのカバンで揺れている、ブーメラン型のキーホルダーが目に留まった。

 何だか意外だな。一瞬だったからよく見えなかったけれど、絵が描いてあったように思う。ああいうのが趣味なのかな?

 それにしても、チームリーダーの彼女に同情してしまう。

 先程までこの二人と一緒にいたなんて。それも一人で。

 どんな気持ちだっただろうか……心中お察しします、先輩。そりゃあ、逃げたくもなる。

 とはいえ、今から私も同じ目に遭うんだよね……。

 私が遠い目をしながら胸中で嘆いていると、倉科先輩から声を掛けられた。

 はっとして、彼へ向き直る。

「来てくれてありがとう、ハトちゃん。待っていたよ」

「いえ。お待たせしてしまい、すみません」

「急に呼び立ててしまったからね。気にしないで」

「なあ、もう挨拶は良いからさ。面白いことが書いてある分だけ、こっちへ寄越してくれる? 変人」

「君は呼んでいないのだけどね、フクロウちゃん」

 手のひらを向けて寄越せと詰め寄る神代先輩に、いつもの笑顔を向ける倉科先輩。

 彼らの目の前には、持ってきたのだろう。目安箱が置かれていた。

 様々な形、サイズの折り畳まれた紙が、箱のそばで小さな山を作っている。

 一日でこんなにもたくさんの紙が……この学校では、そんなにも困ったことが起こっているの?

 それにしても、神代先輩は目安箱のことを言っているのだろうか?

 面白いことが書いてある分って、何のことなのだろう?

 そう私が首を傾げていると、にやりと笑って。神代先輩は、ビシッと人差し指を倉科先輩へ向けた。

「隠そうとしたって無駄だよ、変人。さっきあんたが狸塚と話してた内容は、ばっちり聞こえてたんだからね。だからほら寄越してよ。ドッペルゲンガーが現れたっていう投書を」

「ドッペルゲンガー?」

 ドッペルゲンガーって、確か自分とそっくりな分身が現れるっていう、あの?

 どうして、そんなことが目安箱に?

「さすがだね、フクロウちゃん。教室の外にいたというのに、耳聡みみざとい」

「この手の話をあたしが聞き逃すなんて、あり得ないね。そんなこと起こってみろ。悔やんでも悔やみきれないからね。って、そういうのは良いから、ほら。この怪異調査同好会会長であるあたしが直々に持ち帰って調査してあげるんだから、大人しく情報を寄越してよ。こんなのは誰がどう考えたって、美化委員の仕事じゃない」

 確かに、この際本当かどうかはともかく、ドッペルゲンガーの調査なんて、美化委員の仕事の範疇じゃない。彼女の言う通り、神代先輩率いる怪異調査同好会の分野だ。

「わかったよ。フクロウちゃんは、せっかちだね。しかし、少し待ってはもらえないかな? 僕も話に聞いただけで、まだ見ていないのだから」

 言いながら、紙の山からひとつまみ。かさりと畳まれた紙を、一枚一枚開いていく倉科先輩。

 これ、もしかして……。

「おい、ちょっと待て変人。まさか、今からその紙、全部そうやって一個ずつ見ていくつもり?」

「もちろん。ここに先程、狸塚さんが置いていってくれた一枚があるけれど、他にも目撃情報があるかもしれないからね」

 随分とのんびりした話だ。このペースで確認していくならば、すべて読み終わる頃にはとっくに太陽は沈んでいるだろう。

 それまで、神代先輩が大人しく待っているとは思えない。

 黙って様子を見ていると、彼女は案の定痺れを切らして、机の上に開かれていた一枚の紙をむんずと掴み、廊下へ向かって歩いて行った。

「良いのかい? それだけで」

「十分だよ。じゃあね」

 廊下をスタスタと歩いて行く彼女を、黙って見送って。姿が見えなくなった頃、私は戸惑いながら口を開いた。

「本当に、さっきの紙にはドッペルゲンガーのことが書かれていたんですか?」

「ああ。あの紙は、今日の担当チームの彼らが見つけて持ってきてくれたものだよ。他には、一枚だって存在しない」

「え?」

 立ち上がり、教室の端に置いてあったゴミ箱を手に戻ってくる倉科先輩。

 何をするのかと見ていると、なんと彼は紙の山をそのゴミ箱へと、すべて投入してしまった。

 私は、慌てて声を上げる。

「ちょっ……何を!」

「おや、珍しく声を荒げて。どうかしたのかい? ハトちゃん」

 驚く私と、きょとんとしている倉科先輩。

 この温度差は、何だろうか?

 まるで、私の反応がおかしいみたいじゃないか。

「いや、その……せっかくの投書を見もせずに捨ててしまうなんて……」

「ああ、問題はないよ。すべて確認済みだからね」

「え、確認済み?」

 だって、さっき一枚ずつ開いて見始めたばかりじゃ……。

 いや、でもドッペルゲンガーのことが書いてある紙は、他に存在しないって――

「……もしかして、神代先輩を騙したんですか?」

「おや、ついにハトちゃんも人を疑うことを覚えたのかい? 正解だよ」

 悪戯が成功した子どものように、嬉しそうな表情を浮かべる委員長。

 こうやってしれっと意地の悪いことをするから、本当にたちが悪いと思う。

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