婚約を飛ばして

 

「単に、嫌とか嫌ではないとかは一切考えていないのですよ。貴族に生まれた以上、政略結婚は当たり前ですし、私がそれをどうこうできる立場ではない以上、そういう物だと受け入れているだけです」

「なるほどな。既にそういう物だと割り切っていると言うことか。なら、私との婚約についての本音はどうだ?」

「本音……ですか」

「ああ」


 本音。辺境伯様との婚約に対してですか。うーん、どうなのでしょう。そもそも、辺境伯様との婚約の可能性が出て来たのが今日ですし、辺境伯様については噂以上のことを知らないのですよね。


「本音、と言われましても、私は辺境伯様のことを良く知りませんし。噂を信じるならば、少々不安になる、程度でしょうか。そもそも、今日まで婚約者だった人と比べたら、私の知る限りの辺境伯様の方が大分マシですから」

「ふむ」


 あ、辺境伯様の表情が少し険しくなっています。これは少し言い過ぎたかもしれません。どうしましょう? 直ぐに謝った方が良いのでしょうか?


「も……申し訳ありません!」

「む? どうして謝るのだ?」

「お顔が少々険しくなっていましたので、嫌だったのでは?」

「ああ、すまない。顔に出ていたか。それに君が言ったことが気に障った訳ではない。単にあれの記憶を思い出しただけだ。どうして姉妹であるにも拘らず、何故ここまで違うのかとな」


 ああ、リースの所為でしたか。あの子は本当に辺境伯様に対して何をしでかしたのでしょう。思い出しただけで表情が険しくなると言うのは、よっぽどのことをしたということでしょう。


「妹が本当に申し訳ありません」

「君が気にすることではないだろう」

「いえ、家族がしでかしたことですので」

「気にするな。それに毎度謝れても、どの都度思い出すようなことになりかねないから止めて欲しい」

「……そうですか。わかりました」


 ここまで言われるなんて、あの子はどれほどのことをやらかしたのでしょう。もしかして、今流れている噂の大半があの子から発せられたものと言うことは無いですよね? 


「まあ、君の本音、と言うか考えは理解できた。それだけでも十分なことだな」

「そう言っていただけるのなら良かったです」


 リースのこと以外で機嫌を悪くしていないようですし、良かった。もし、これで婚約の話が反故になってしまったら我が家はどうなっていたのでしょう。


 領地の方も不作続きで他の領地から作物を買っている状態ですし、我が家で経営している商店の方もオージェの家に圧されて、経営が不安定です。そんな状況下で辺境伯様に援助を切られたら貴族としてやって行けなくなるかもしれません。

 ですが、今の状況を見る限り、そうならなそうなので本当にほっとしました。おそらくリースのことが無ければもっと順調に事が進んでいたのでしょうけれど。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」


 丁度、辺境伯様との話が止まったところでお母さまが戻ってきました。そして、持ってきた書類を辺境伯様の前にある机に広げました。


「良い。多少の休憩にはなった」

「そうですか」

「ああ」


 お母さまの言葉に辺境伯様は短く返事をして、胸の内ポケットからペンを取り出し書類に必要事項を書き込んで行く。この書類は私に関係する物なので私も反対側からだけれど、内容を確認していく。


 内容は見たことがあるものだった。ただ、一部気になる所があります。


「お母さま。この書類、婚約ではなく婚姻と記載されていますが、間違って持って来ていませんか?」

「あら、本当ね」


 ん? 何でしょう。お母さまの口調が少し芝居掛かっているような気が。……もしかして理解したうえでこれを出してきたのでしょうか。


「そのようだな」

「あの、書き直した方が良いのではないでしょうか」

「別にこれでも良いのではないか? どうせ遅かれ早かれそうなるのだからな」

「ですが」


 リースに渡した書類もいきなり婚姻するような形になっていましたけれど、それはあの2人が関係を持ったからであって、今の私たちの状況とは異なります。

 それに、いきなり婚姻するのは貴族であっても少なからず変な目で見られるのです。


「先ほど聞いたが、別に私と婚約するのは嫌ではないのだろう? だったら良いのではないか?」

「……そうですけど」

「こちらとしても書類を作る手間が減るので、そうしても良いのではないかしら。トーア?」


 うん? これはもしかして、辺境伯様も共犯……なのでしょうか。どうしてでしょう。2人で結託したような雰囲気が感じられます。……いえ、さすがにそれは無いでしょう。そもそも私の考えを述べたのは先ほどが初めてですし、会話の内容をお母さまは知らないはずですから。


「それに、書類の方の書き込みは完了している」


 そう言って辺境拍様は書類の方を私へ見せた。そこには私の名前と辺境伯様の名前がしっかりと記載され、いつの間にか印も押された状態になっています。これをお父さまに渡し、貴族院の方へ提出すれば婚姻は成立するのです。

 ここまで、しっかりと書かれている以上、私に拒否権は無いですね。それに、おそらくお母さまは最初からこうなるように動いていたのでしょう。


「わかりました。受け入れます」

「そう、良かったわ」

「ああ」


 やっぱり共犯かもしれません。思えば私が辺境伯様に直接会う必要は無いのです。お父さまとお母さま、辺境伯様だけでも取り決めることが出来るのです。それなのに合わせた、と言うことは何かしらの意図があったということです。まあ、それが少し強引に婚姻を結ぶことだったかどうかは私にはわかりませんけれど。


「では、迎えは追って出す。さすがに今すぐは無理だろうし、私の方も受け入れる準備は済んでいないからな」

「わかりました」


 そうして私は今日を以て、冷酷という噂のあるナルアス辺境伯の元に嫁ぐことになったのです。

 私が今日、短い時間ながらも辺境伯様に接した感じから、噂に関しては十中八九嘘であることは十分に理解できたのですけれどね。

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