第48話

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 気まぐれな風に吹かされてか、その時期は女子おなごの姿を象った。

 性別という概念は、肉体を持たない我々にとって未だ理解の浅いものであり、経験に勝る智慧などないと考えたからだ。


 それ故に禁忌に触れてしまうと知っていれば、運命は変わったのだろうか。

 いや、知ってもなお、私は同じ轍を踏むだろう。


 この世界を調律する者でさえ、この欲望には抗えなかったのだから。


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「ティラ......」


 言葉が出ない。

 どう続けるつもりだったのか。

 逃げよう? 戦おう?

 それとも、


「なんにも言わなくていいよ」


 白雪のような小さな手がそっと頭に添えられる。


「さっき、、あーちゃんとお話してたんだ。もう一人のわちしはね、とっても物知りで、この海のこともその外のことも何でも教えてくれるのだ」


 やはり、君の中にいるのはなのだろう。

 どうして、と口から零れそうになるが彼女の口がまだ動いているので、ぐっと言葉を飲み込む。


「その子から、てっちゃのことを教えてもらった。てっちゃとわちしは、でもてっちゃはめげずにいっぱい頑張って、沢山の人間やそれ以外も助けようとしてて、わちしは─」


 ──


 湿気た木片から白煙が燻る。


「わちしは、ずっと。泡になれば本当のおっ父やおっ母に会えると思ってたから。でも、あーちゃんが見せてくれたてっちゃの姿を見て、わちしもあんな風にって思った! わちしは魚みたいに水の中で生きられないし、人間みたいに外では生きられないけど、それでも、わちしはを持ってるから!」


 揺らがぬ自信。

 煌々と輝く瞳には一切の迷いはない。

 それがだとしても、彼女は決して臆することはない。


「今、鏡緑域ここに何が起きてるのかは知ってる。ミツも、おっ父も、守るために戦ってる。わちしも、鏡緑域みんなを守りたい」


「駄目だ!」


 死。

 その先に待っている結末は一つ。

 こうして抑えているか細い腕は、今にも折れてしまいそうだというのに!


「戦いっていうのは、ティラが思うような、格好良くて心躍るようなものじゃない!痛くて、苦しくて、悲しくて、とっても怖いんだ!」


「うん、知ってるよ」


 彼女は屈託のない笑顔で答える。


「だから、てっちゃは。それはきっと、てっちゃがから。何もかも、ぜーんぶ背負ってたら、重くて潰れちゃうよね」


「ぁ......」


 そうか


 君は─


「わちしは。だって、てっちゃは!」


 白煙はやがて黒く染まり



「だから、!」


 仄かな紅を覗かせる




「見つけタ......」


 巨大な触手が二人の身体を捕らえる。


「なっ!?」


「ひゃっ!?」


「やはりあの御方が言っタ通りか、一方は──ギョア!」


 突然、不可視の刃が触手を切断し、二人は岩場から放り出される。


「お嬢!無事ですか!」


 気がつけばミツの背中に乗っていた。


「もちろん!ミツ、助けてくれてありがとう!」


 ミツは止まることなく、縦横無尽に駆け巡る。


だ。ぬしよ、これが終われば全て教えてもらいますぞ」


 苦言を漏らすミツ。

 だが、無理もない。

 既に我々はといっても過言ではないのだから。


「うん、そうだよね。あーちゃん、てっちゃに会わせてくれてありがとう。ううん、......」


 ティラはブツブツと独り言を零していたと思うと、こちらに手をかざした。


「てっちゃとはこれでお別れだけど、わちしはとっても楽しかったし、嬉しかった。てっちゃは優しいから、きっとわちしのことを心配するんだろうけど、わちしは!だから気にしないで!」


 渦潮が徐々に身体を包み込んでいく。


 待て、待ってくれ!

 こんな幕切れは認めない!

 俺はまだ君に!


 ──君を!!!


「さよな─「いつか!いつか必ず君を救いに行く!だから、死ぬな!生き延びて俺を待っていてくれ!ティラ!!!」


 無数の泡の隙間から、笑っている彼女の顔が見えた。


「うん、待ってるよ」


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 昇っていく感覚。

 その眼前には、がいた。


「さて、また会ったね」


 その笑みは賢しく、少女のような爛漫な雰囲気はない。


「聞きたいことは山程あるだろうが、如何せん時間がない。重要なことだけ、手短に話そう。これが君との最後の会話だ」


「お前は水の大精霊で間違いないんだな?」


「そうだ。それがまず一つ。といっても、私はその残滓のようなもの。幸か不幸か、彼女にとって命を繋ぐ存在となり、また脅かす存在ともなった」


 皮肉げな眼差しは憂いを含み、切ない。


「だが、私は。自身の境遇を呪ってもなお、それでも......!」


 まるで、子を想う母のような憎たらしいほど甘ったるいエゴ。

 その表情からは幾重もの苦悩が見て取れる。


「だが、。あの子と同じように生きることを世界から拒まれた君が、持てる力の限り、とした。この僅かな力を使ってでも、その勇姿をあの子を伝えたかった。そのを見た翌日、あの子はよく笑うようになった。いつか君が来た時のために底抜けに明るいお転婆な乙女になった」


水鏡ジェニトでか?馬鹿にならないほどの魔力だぞ?生きるだけでも魔力を使わないといけない彼女にそんな負担を掛けていたのか?」


水鏡ジェニト』とは、水に映った記憶を術者の脳内に映すもの。術者の練度によっては、となった水ですらも対象となる。

 ましてや、水の大精霊ともなると目の届かぬ場所の方が少ないと言えるだろう。


「返す言葉もない。だが、鏡緑域の一帯は『幻月晶』の宝地。賢鮫のロッドであれば、入手は容易。私はあの子にを持って欲しかった。責められ得ることをしてでも!を!」


「やけに感情的だな。どうしてお前がティラにそれほど入れ込む?お前にとってはただの都合の良い器に過ぎないんじゃないのか?」


「違う!あの子は、あの子は私の──」


 ノイズが走る。

 最後の言葉だけ聞き取れなかった。


「ああ、もう時間が無い。もっと、伝えなければいけないことがあったというのに」


 水の大精霊は惜しむように身をよじる。


「それなら、次会ったときに教えろ」


「ッ!」


 彼女は目を見開く。


「覚えていないのか?これが最後だと言っただろう!?」


「俺にそんなつもりはない。ティラと、次いでにその中にいるお前とロッドもミツも鏡緑域も救い出してみせる。必ず、どんな手を使ってでも」


「私とてそんな意図で君を呼んだつもりはない!彼に見つかった時点でもう手遅れだったんだ!だからこそ、私はただ、死にゆく彼女の思い出としてせめて君と─「本当にそれでいいのかよ?んだろ?」


「〜!」


 彼女は強く唇を噛み締める。

 目尻からは涙がこぼれ落ちた。

 彼女もまた、同じように迷い、諦め、また迷い、抗いようのない運命の中で燻っていたのだ。


「ティラは。不貞腐れていた俺の姿を見て、それでもなお、なんの疑念も抱かず、純粋な笑顔で「待っている」と言ってくれた。俺には何の力もないと知っているのに、彼女は言ったんだ!」


 猛るは紅炎


 一度は消えゆくも


 再びこの世界に燃ゆる


 また一段と強く


 一際強く!!!


「あぁ、そうか。これがか」


 彼女はゆっくりと眼を閉じる。


「我こそは水の大精霊『アクリヌス』、汝この大いなる海を覆い尽くす意志を示さん。その勇気を称え、我が加護を授けよう」


 光り輝く泡が身を包む。


「待っているよ。私たちの



 toucher


 私の


 私たちの


 心に触れる者よ

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