第45話

 いくら泳いでも、コピー&ペーストを繰り返したような光景が広がる。まるで、この空間の全てが入口であり出口であるかのような。

 逃げ場などないのだと、天使の嘲笑う声が聞こえる。


「黙れッ!」


 かき消そうと声を荒げても、その大きさは増すばかりで、鼓膜を食い破り、脳を舐め回す。


「どうすればいいんだ!?」


 誰に対する言葉なのか。

 錯綜する感情が無作為に零れ出る。


 そうだ。

 俺はお前みたいにじゃないんだ。

 いくら必死に、繕いきれない布と糸に嫌気が差して、毒を吐きながら投げ捨てる。


 分からない。

 もう嫌だ。

 もっと、楽な方法がよかった。


 魔法が使えない男が、魔法が飛び交う世界で、誰も殺さず、誰も傷つけず、それでも誰かを守り抜くなんて......


「そんな顔で笑うなよ......」


 冷めていく。

 決意と勇気は諦観と恐怖に塗り替えられて、浮遊する感覚に悪酔いをする。

 所詮、知識など単なる情報に過ぎず、それを如何に実践に活かせるかが大切なのだと、足りない脳ミソで後悔する。

 そして、分離していた本来の自分が輪郭を帯びて、移り変わるように儚げな少年の面影が薄く、黒く、消えていく。


「ディード!」


 もう声は聞こえない。

 誰も応えることはない。


 裏切ったのはお前だ。

 意志を貫き通せない軟弱者め。

 醜悪なる生も、美麗たる死も受け入れられないというのであれば、なぜお前は再び目覚めたのだ?

 あのまま、潔く、この継ぎ接ぎだらけの笑劇に幕を降ろしていればよかっただろうに。


「てっちゃ?」


 冷たく柔らかい指が頬を撫でた。


「泣いてるの?」


 目尻から伝う涙が少女の細い指先に溜まる。


 泣いていたのか?


 自覚すると、喉が鳴る。

 情けない。

 恥ずかしい。

 もはや、そのような感情を抱く資格すらない。


「そっか」


 少女はそれ以上何も言わず、俺の頭に優しく手を置いた。

 包み込むように抱き寄せて。


「止めろ!」


 わかった振りをするな!

 少女の皮を被った得体の知れない怪物に薄っぺらな同情などされたくはない!


 その激情に反して、突き飛ばした彼女の顔を直視できない己がいる。

 どんな表情をしているのだろう?

 そう考える度に、自身の未熟で幼稚な振る舞いを恨む。だが、摩耗した精神では感情が二転三転と突沸して制御ができない。それほどまでに、今の俺はもう手の施しようがないほど狂ってしまった。


「大丈夫」


 その声に、彼女の爛漫な笑顔が脳裏に浮かぶ。


「わちしはずっと一緒にいるから」


「何故だ!?何故それほど俺に情けをかける!?会って間もない人間だぞ!?魔力のない、ただの肉塊なんだぞ!?」


 激昂じみた叫びにティラは臆することなく、その瞳を見据える。


「わちしは独りぼっちの辛さを知ってる。だから、てっちゃを絶対に独りにさせない。それに、てっちゃはわちしにとって──」


 突然の爆破音が彼女の言葉をかき消す。

 目視する間もなく激流に呑まれ、視覚と聴覚が奪われた。


「つかまって!」


 少女の細い腕からは想像できない剛力で引っ張られる。

 ようやく穏やかな流れに出たと思うと、眼前には見慣れぬ魚たちに囲まれていた。


「これが例の標的か」

「ただの稚魚と人間にしか見えねぇけどな」

「とにかく、これで恩赦になるなら安いもんじゃろ」


「おじさんたち、悪い魚なの?」


 ティラは眉をひそめながら、俺を庇うように手を広げる。


「まあ、そうだな。悪いか悪くないかで言えば、悪いかもな」


「今から死ぬるお前さん方にとっては」


 弧を描くように二匹が射出する。

 残る個体は魔法を放つ体勢に入った。


「『潜帝艦グロスエンペラー』」


 魚雷のような弾丸に包囲される。

 完全に退路を断たれた。

 このままでは二匹の餌食だ。

 俺は腰元に手を当てる。


「えっ」


 そこでようやく、という事実に気づいた。


「てやっ!」


 ティラが大手を広げながらその場でぐるりと回ると


「うおっ!」

「ぬわっ!」


 まるでひっぺがされたように辺りの水流が大きく乱れた。

 二匹は体勢を崩し、巨大な岩場に突っ込み、包囲弾は散り散りになって消えた。


「ふんっ!」


 誇らしげに胸を張るティラ。

 やはり彼女の持つ力は底知れない。

 


「このガキ......!」


 魔法を放った魚が、彼女に飛びかかろうとする。

 あまりの速度にティラは反応できていない。


「うおお!」


 蹴りを放つ。

 水中の抵抗力で蚊が止まるような威力になるだろうが、それでも盾ぐらいにはなれるはずだ!


「よくぞ、その気概を見せた」


 黒い弾丸が、敵の身体を吹っ飛ばす。


「ミツ!」


「お待たせしました、お嬢。お怪我はありませんか?」


 飛んできたのはミツ。

 なんという迅さだろうか。

 戦闘態勢に入ってなお、彼の速度を捉えることができなかった。


「ミ、ミツって、あの『黒死のミツ』、か......?」


 彼の名を聞いて岩に突き刺さった一匹が狼狽え始める。


「さ、お嬢。今から掃除を始めますので、ぬしの所へおかえりください」


「ん! じゃあいこっか、てっちゃ」


 彼女は何の躊躇もなく、彼に背を向けて泳ぎ始める。


「いいのか?」


 思わず疑問が口から零れ出ると、ティラは満面の笑みを浮かべながら答えた。


「だいじょぶ! ミツは無敵だから!」


 ミツは二人の影が小さくなっていくの見送ると、ぞろぞろと集まり始める三匹に向き直った。


「さて、久々に喫食でも嗜むか」

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