第43話

 真っ暗な世界


 手探りで何かを探す


 だが、手も足も空を切るばかりで段々と沈むように落ちていく


 もう声は聞こえない


「おはうぇ」


 開かれる殻。

 オパールの瞳。

 たなびくオーロラ。

 それは神秘の権化とも言うべきものだった。


「わちし、ティラ。貴方あては人間? 初めて見たのだ」


「に、人魚?」


「うーん、それって何? わちしはティラなんだけど......」


 二人が困惑していると、ミツがふよふよと現れた。


「む、お嬢。こんなところで何を?今はまだ学舎に居るお時間では?」


「ミツ!わちし聞こえた!おっとうの声!人間て言ってた!だから来たのだ!」


 胸を張るティラにミツは溜泡を吐いて、尾を振った。


「全く、お嬢のお転婆ぶりには困ったものだ。仕方ない。人間、相手をしてやってはくれぬか?」


「それは、構わないが、話はいいのか?」


「それは後々、聞くとしよう」


 そう言い残すと、ミツはまたどこかへ行ってしまった。


「人間!尾が二つに別れてる!真っ二つ!ヒレも細長い!ティラと同じだ!」


 跳ねるように辺りを泳ぐ彼女は、まるでお菓子の家を目の前にした少女のようであった。


「人間、名前は? 無いなら、わちしが付ける!えっと、テッチャ!意味はね、秘密!」


「あー、まぁ、好きにしてくれ......」


 テンションの高さに辟易しながらも、どうにも無下にできない思いが胸を曇らせる。

 感情の錯綜が激しい。


「テッチャ! 泳ご!鏡緑域は綺麗なのだ!」


 少女に手を引かれ、身体が浮き上がる。

 まるで風に吹かれる絹のように。


「テッチャ、見て見て」


 彼女が指を差す先には、サンゴが光できらめいている。ここが深い深い水の底なのにも関わらず。なんとも不思議だ。


「あれね、ロンゴさん。暗いとこが見えない魚たちを助けてくれるのだ」


 ティラが手を振ると、ロンゴたちが微かに揺れたような気がした。


 次に訪れたのは、魚介類が集う城下町のような場所だった。


「あんれま! ティラちゃん! また学舎から抜け出して......ん? この生物は一体どなた?」


 ギラギラと光る鱗にコブだらけの大きな魚。

 さしずめ深海のマダムといったところか。


「人間のテッチャ!今は鏡緑域ここを案内しているのだ!」


「人間......!へぇ、これがあの!初めてみましたわぁ......本当にエラも無いし、尾ひれも面妖な形をしてますわねぇ!」


 ペチペチとヒレで体を触るご婦人。

 性格に関しては魚でも人間とそれほど違いはないらしい。


「それにテッチャですか.......。これはまた大胆な名前ですこと」


 魚の貴婦人はヒレをそっと腕に寄せ、何かを呟いた。あまりに小さすぎて聞こえない。


「それでは、ごきげんよう」


 貴婦人に別れを告げ、町巡りの続きを始める。


「人間!?」

「人間!」

「人間ッ!」


 頑固そうな親父から物心つかぬ幼児まで、興味津々な目をしながら俺に話しかけてきた。

 誰一匹として、嫌な顔を見せない。


 そして、名前を聞く度に意味深な頷きをしながら、腕にヒレを添えてくるのだ。


「皆、良い奴だな」


 そう呟くと、ティラは嬉しそうに「うん!」と飛び跳ねた。



 町巡りを終えると、今度は淡い緑の海藻たちが漂う静かな岩場へと移動した。


鏡緑域ここに住んでるみんなは、とても優しいのだ。わちし、みんなと違って変な姿をしてるのに悪口なんて誰も言わない」


 ティラはアンニュイな表情で岩に腰をかける。


「わちしは、ぬしおっとうの本当の娘じゃない。だけど、みんなは本当の娘のように接してくれる」


「なぜ、それを俺に話す?」


「それは、。おっとうとミツが話してた。ティラの本当のおっとうは陸に居る人間で、おっかあは......」


 遂には黙り込んでしまった。

 要するに彼女は半人半魚であり、生みの親はここにいない。

 幼い彼女は、いかにしてその事実を受け止めたのだろうか。いや、一人の少女が背負うにはあまりにも重い事実だ。


「母はまだ、何処かの海に居るのか?」


「うん、それは絶対に居る。深界のどこか」


「会いたいと思うか?」


「会ってはみたい、気がする」


 いくら環境に恵まれていたとしても、埋まらない心の隙間は存在する。それが、家族に関するものであればなおさら替えはきかない。俺に出来ることは何もない。


「いつか会えるといいな」


「えへ、テッチャも優しいのだ」


 宝石のような笑顔で深海を照らす。


「はは」


 乾いた笑みが零れる。

 己の軽薄さに。

 お前は知っているはずだ。

 この子が辿る結末を。

 救いようのない顛末を。


「テッチャ?どこか痛いの?」


 今まで俺は何をしてきた?

 何を成せた?

 何を救えた?


「テッチャ......」


 今の俺にしてやれることなどない。

 己の汚いエゴと欲望で脳内を満たし、辛うじて息をしているような俺に君は救えない。


「すまない......」


 どうして俺は生き延びてしまったのだろうか......。














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