とある悪役の顛末 その2

 負けた。

 完膚なきまでの敗北。

 奴の炎はだった。

 いや、炎だけではない。


「ぅ、ぁ」


 このなまくらではかすり傷すらつけられなかった。

 この十余年、せめて剣だけでもと磨き続けた己の剣捌きを奴は初撃で見切った。

 ほんの数ヶ月前まで、下町にいた少年がだぞ?


 ─もう、やめよう。


 憐憫の眼差し。


「ぐぅぅ!」


 はどんな侮蔑よりも悪質な刃だ。



 サマーナがノックもせずに部屋に入ってくる。


「サマーナ!部屋に入る時は声を掛けろと言っているだろ!」


「あぁ、お可哀想に。唇から血が出てますよ。それに、また爪が汚れています」


 彼女はハンカチを取り出すと、丁寧にそれらを拭き取った。


「さぁ、よろしいですよ」


 ハンカチをしまうと、彼女は隣に座り、腕を広げる。


「いつものように、このサマーナに全てを曝け出してください」


 それはまさしく聖母の抱擁。

 いかなる罪人も、彼女の前ではその身を委ね、幼子のように泣き喚き、本心を吐き出すだろう。


 以前の己なら、なんの恥ずかしげもなく彼女に抱き着き、グレイに関する愚痴をぶちまけていただろう。実際、今も彼女の胸に飛び込みたい衝動に駆られている。

 だが、何故か今も尚が此方を見つめている気がしてならない。

 あの憐れみを含んだ瞳で。

 まるで、路地裏で弱っている老犬が不意に視界に入ってしまったかのような、あの───


「ゥェェ」


 純白のシーツが黄緑色の液体で染まっていく。

 寒い。

 誰か、誰か火を......。


「.......クス」


 視界の端では、聖母の顔が昏い欲望で汚れていた。



 ────────


「ディード」


 久しく名を呼ばれて来なかったおかげで、その声に反応できなかった。


「父、上」


 振り返れば父の顔。

 表情は単に無色透明なもので、かつてのような黒い失望や怒りは見えない。

 故に、何よりも恐ろしかった。


「グレイと揉めているようだな」


 また奴の話だ。

 口を開けばグレイ、グレイとまるで嫡子のような扱い。既に俺の名よりも多く口にしているだろう。


「あまり手を煩わせるなよ」


 たった、それだけを言い残して父は横を通り過ぎようとする。


「あ」


「なんだ?」


 無意識のうちに彼の袖を引っ張ってしまっていたようだ。


「俺、炎が、が使えるようになったんです」


 声が震える。

 見透かされてしまうという不安が抑えきれない。

 でも、それでも俺は─!


「そうか、それはよかった。ではな」


 疑うことすらせずに、腕を振り払ってどんどん父は離れていく。


「見てください!ほら、俺にだってオルネーソの炎が!」


 手のひらから炎を出しでもなお止まらない。



 幻聴かもしれない。

 だが、確かにそう聞こえた。

 確かめようがない理由は、最後まで父がこちらを振り返ることが無かったからだ。


「......」


 いつまでそうしていたか分からない。

 時折聞こえてくる雑音は使用人の陰口か、風の音か。

 気がつけば、手のひらの炎が暗い廊下をほんのりと照らしていた。



 魔法が使えるならば


 炎が出せたのならば


 何かが変わると思っていた


「はは」


 認められると思った


 許されると思った


 愛されると思った


「ははは」


 だって、そのために生まれてきたのだろう?


「嘘つき」


 誰が?


 父か?母か?兄か?姉か?先生か?精霊か?


 ─そうでしょ?フィアータ


 



 誰からも愛される者がいれば


 誰からも愛されない者もいる


 だが、それはきっとその者が他者のに気づいていないだけ

 愛にカタチなど決まっていないのだ


 たとえば君が誰かに恨まれていたとしよう

 その者はまるで両親の仇であるかのような憎しみを向けている

 君に

 

 誰にも向けたことのない巨大な感情を向けている


「そうか」


 友愛


 親愛


 恋愛


 それらがまるで陳腐に思えるほどに


「そういうことだったんだな」


 ようやく腑に落ちた。

 おかしいと思ったんだ。

 どうしてこんなにも理不尽なのだろうと。

 そもそも、


「俺は


 だから上手くいかなかった


「サマーナ」


 そうか、君は


 この世でたった一人だけ


 やっぱり君だけが


 俺の事を


 理解してくれていたんだ


 でも、


 ならばもっと多くの者にも憎んで愛してもらおう


 もっともっと多くのあいを育んで


 それに溺れて死んでしまおう


 きっと、それが俺の生まれた意味なのだから




 














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