第41話

 マルネイトの地下では、メティスとニルによる静かな戦闘が繰り広げられていた。

 その理由として、このマルネイトには二人の大精霊が坐しているからである。

 一方は冷静沈着であるが、もう一方は非常に短絡的で好戦的。

 両者ともに自身のテリトリーで勝手に暴れている二人をよしとしないだろう。

 もし、見つかればメティス、ニル、その二人の三つ巴に発展しかねず、更に事態がややこしくなる可能性がある。

 それを二人は理解しており、できる限り目立たないように戦闘をしているのだ。


 しかし、その中で焦りを見せ始めているのはメティス。

 進展のない戦闘に舌打ちの回数は重ねられ、攻撃も単調になっていく。


「どうしましたですか? なにやら随分とお急ぎのようですね」


「君こそ、始末すると言った割には避けてばかりじゃないか。それじゃあいつまで経っても僕に傷一つ付けられやしないよ」


「.......クスッ」


 挑発的な笑み。

 時間稼ぎをして有利なのは僕じゃなくてあいつか。

 まったく、癪に障る。


「運命は変わらないのですよ、メティス。今必死にならなくとも、いずれあの子は救われる。ただ、今がその時ではないだけ。あの子にはより相応しい舞台が用意されてるのです」


「面白いことを言うね。自分たちが無理やりはめた歯車が思い通りに動くと思っているのかい?。自ら定めた摂理を君たち自身が破った。故、その空いた玉座を埋める為に奔走しているんだろう?」


「王が辿るべき道は絶対的なものなのです。木っ端がいくら足掻こうが、それは一つの伝説へと収束するです。たとえ、大精霊という超越した存在であっても世界を総べる王には抗えない」


「作り上げられた継ぎ接ぎだらけの王に絶対的な力などない。人形の可愛さあまりに矛盾しているんだよ、君たちの行動論理が」


「いくら反論しようが、いずれ認めざるを得ない時がくる。彼こそが世界を照らす太陽だということに。その絶対的な結末に反実仮想はありえない」


 まるで炎壁に雷槍、泥土に氷剣。

 論争も戦闘もこのままじゃ埒が明かない。


「不本意だけど押し通らせてもらうよ」


 無音。

 一切の静寂が辺りを包み込む。


「受肉したの間違いだったね」


 勝利を確信した笑みを浮かべるメティス。

 だが、沈黙が続いたまま何も起こらない。

 数秒過ぎた頃、メティスの表情は一気に焦燥へと染まる。


鏡像分身っ!!!」


 しまったと言わんばかりに背を向けるメティスを嘲笑うニル。

 守るべき者の下に向かう彼を追いかけないのは既に決着が着いたからなのだろうか......。


 ────

 ──────

 ────────


「どういう思考回路でその男を庇ったのかは理解できないのですが、は貴女の首を絞め続けることにしかならないのですよ?」


 ゼルフの魔力で辺りが荒ぶく。

 俺の知識では決して荒々しい性格ではないと記憶している。全てに優しく、悪く言えば取り繕ったような柔らかさを持っていたはずだ。


「誰が私を助けてくれたか。その事実を鑑みればどちらの味方をするのかは自明だと思いますが、大精霊ともあろうお方がその程度のことすら分からないと?」


「不敬。やはりなのでしたか」


「ッ」


 ニルの言葉にゼルフの表情が歪む。

 恨みの混じった怒り。

 だが、それでも無闇に攻撃しない冷静さは保っていた。


。水面で光が乱反射するから奴は思い通りの力が出せない。可能なら、空中と水中を駆使して逃げろ。その際、俺は置いていけ。奴の目的はあくまでだ」


 ディードはゼルフだけに聞こえるように小声で呟く。


「敵前逃亡、ですか」


「あぁ。だが、勝利条件だ一番効く


 ディードは未だ治らぬ目の頭を抑え、カッと見開く。そして、左手の親指で鍔を少し押し上げた。


。時間稼ぎをするつもりだが、その猶予はおそらく一瞬。その隙をついて全速力で駆けろ。目的地は南東にある。近づけばなんとなく分かるさ」


「別れの挨拶は済みましたか? わたしもそれほど暇ではありませんですので、そろそろ終わりにしたいのですが」


「ほんと、悪役みたいな台詞を吐くなぁ。光の大精霊サマはよ」


「......見え透いた挑発には乗らないのです」


 その瞬間、ディードの纏っていた風が消える。

 そして、間髪入れずにゼルフはニルに向かってディードを投げつける。

 その一連の行動をニルは冷静に処理した。


「逃がさないのです」


 一目散に空を駆けるゼルフに焦点を当て、光と化してそれを追跡しようとする。

 ディードなど魔法の効力が切れた今、落下するしかないただの投擲物ゴミ

 そう判断したニルは、彼から


「今!」


 ゼルフの叫びと共に剣を突き出すディード。

 それはくうを切る。

 だが、二ルにとってはであったと言わざるを得ない。


「な゛っ」


 公爵家が使用する高価な刀剣。

 ディードにとって身体の一部であると言っても過言では無いその刀身は日頃の丁寧な手入れによってまるでのような艶と透明感を醸し出していた。

 光となったニルの眼前にそれが爛々と立ちはだかったのだ。


「しまっ──」


 人型から変形するコンマ数秒の遅延ラグが彼らの策を見事に成立させた。

 それは絶対的有利な状況におけるニルの驕りを二人が見抜いていたからこそ、成せた芸当。

 は勢いよく、二人から離れていった。


「ここまで上手くいくのか......」


 ディード当人が信じられないと言ったような声を漏らす。


 ディードは見えない目を見開くことで、まるで見えるようになったように振舞った。それはもちろんであるのだが、ゼルフは後の会話からその意図を汲み取り、一瞬だけ風の魔力を散らして逆に。ニルへの接近を可能な限り無傷で許すために。

 まず、僅かに覗かれた刀身を見て、ゼルフはこの策に一考の余地ありと判断したのだが、実行の決め手となったのはに他ならない。

 目の見えぬ彼はタイミングを計る手段を自身で持ち合わせていない。つまり、己が最後の一手の指示をしなければならないのだ。そう考えると、この作戦は自身ゼルフの依存度が大きい。

 だが、それでも彼は迷いなくこの策を示唆してきた。それはまるで己が一寸の取りこぼしもなく全てを読み取りかつ受け入れ、そして実行してくれると信じているかのように。

 それが何よりもゼルフを奮い立たせたのだ。


 そして、一息吐かぬ間にゼルフもまた地平線の彼方へと消えていった。


「さて、一杯食わされたお前はまず俺の方へ来る。そうだろ?ニル」


 ディードが嘲る先には髪を掻き乱し、瞳孔を開き、口端から泡を吹き、荒々しく息を吐く光の大精霊の姿があった。


「路傍の石ころにまんまと嵌められたんだ。そんな間抜けなこと、お前のチンケなプライドが許すはずがないよな?」


「消えろ」


 大精霊から向けられる底無しの重圧。

 それはこれまでの人生において抱いたことのない確信めいた死の直感であった。

 夢半ば、受け入れ難いものであるはずなのに心做しか満足感のような感情が胸を満たす。


「これで、よかったんだな......」


 誰に問いかけたのか。

 答えは既に返ってきている。


 失明という暗闇の世界が真白に染め上げられる。

 それほどまでに彼の目の前にある光量が甚大であるのだ。

 剣を構えたときには既に遅かった───。



「ぅ、ぐすっ」


 ゼルフは泣いていた。

 死んでしまったであろう彼の事を想って。

 分かっていたのだ。

 これがとなることを。

 それでも、彼女は彼の覚悟を胸に抱いて目的地の鼻の先まで辿り着いた。

 彼の命を決して無駄にしないために。


 ─ィィィン


 しかし、自己犠牲が有用で尊いものであるのは所詮空想上だけであり、現実ではなんの弊害にもならない。

 特に、


「褒めてあげますですよ、よくぞわたしをここまでコケにしてくれましたですね」


 目の前に立ちはだかる少女の姿に思わず目頭が熱くなる。

 悔しい。

 彼の決死の行動は何だったのか。その儚い命をこうも容易く踏み躙るのか......。

 そう思う度に奥歯がギチギチと音を立てて、暖かい吐息が漏れる。


「さて、このまま捕らえたところで反抗心を抱かれたままではどうにも扱いにくいですね」


 このまま自分だけのうのうと生き永らえるのか?

 海を越え、緑が茂る陸の上で彼女は自問する。


「もういっそ壊しちゃいましょうか。どうせになる予定だったのですから、壊れていたとしても似たようなものです。とりあえず、精神に負荷を、お?」


 否、されば自身も同じむすびとするべきである。


「貴女の思い通りにはさせない」


 ─風の精霊よ、共に


精霊狂饗ギオルテ


 メティスが地上に飛び出たその瞬間、ひときわ強い風が吹いた。

 そして、全てを悟ったメティスは弱った羽虫のように力なく地面へと落ちていき、やがて虚空を見つめたまま動かなくなった。


 ─西の風が止んだ































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