第37話

 照りつける太陽に舞う砂埃。

 山岳に連なる仰々しい旗の数。

 むせ返るほどの獣の香り。


 ここは自由を謳う戦士が集う国『マルネイト共和連盟』。

 この国は野生の掟よろしく弱肉強食の理で、住人たちは過ごしている。

 つまり、強い者ほど偉く、弱い者ほど虐げられるのが決まりなのだ。


「酷い臭いだね、まったく。鼻が曲がりそうだよ」


 メティスは鼻を摘んで、辺りを見渡す。

 確かに、ここは終着点とはまた違った異臭が漂っている。

 人によってはこちらの方が不快かもしれない。


「おいてめぇら!」


 騒がしい市場を歩いていると、唐突に呼び止められる。

 狼の亜人だ。

 彼は鼻をヒクつかせて、こちらの臭いを嗅ぐ。


 しまった! 臭いで人間だとバレたか!?

 くそ、対策を忘れていた!


「ひでぇ臭いだな。ちゃんと水浴びしてんのか? 井戸は誰でも使えんだからそれくらいはしとけよ」


 それだけ言い残して彼は去っていった。


「ふぅ。なんとかなってよかったな......メティス?」


 彼の方に視線をやると、わなわなと震えていた。


、だと......!?」


「んくっ!」


 ダメだ笑うな。

 笑うと絶対細切れにされる。

 ここは彼がキレる前にフォローに回ろう。


「それはあれだ。俺が臭すぎて、お前の臭いまで分からなかったんだよ」


「僕と君は同じ匂いだ。あの葉で包んだ時にそうしたからね」


 フォローが逆効果!


「それじゃあれだ、亜人と俺たちじゃあ感覚が違うんだよ。うんうん、良い花の香りじゃねえか。全然臭くないぞ」


「ほんとに?」


「嘘だったら今ここで腹を切る」


「ふぅん、まあいいや。君に免じて、彼は許してやろう。所詮、獣の価値観だ。初めから合うとは思ってないさ」



 ふう、こちらもなんとかなった。


「それで、彼女は一体何処にいるんだ?早急に見つけて、即帰るよ。ここには長居したくない」


「手がかりはテントと檻だ。彼女はおそらく奴隷として売られようとしている」


 "奴隷"という言葉に唇を噛むメティス。

 やはり、彼女がそのような扱いをされているのが非常に不快なのだろう。


「手分けして探そう。君は西側を、僕は東側から行くよ」


「いや、場所の目星は着いてる」


 主人公グレイたちが国に訪れた時、その光景に戦慄した。

 そこにはぶくぶく太った豚が取り仕切るオークションが開催されていたのだ。

 種族を問わず、あらゆる少年少女が醜い大人たちに品定めされている。

 そこには王国の貴族の姿も見えていた。


 その場所とはまさに─


「この国の地下!」


 地下には特定の井戸を調べると降りることができる。


「へぇ、こんな場所があるんだねぇ〜」


「この国の住人でさえ、知ってるのは一握りだろうな」


 降りた所から少し歩くと厳重な鉄の扉が姿を現した。

 ディードは扉の三歩前に立つと


「雷様に知られるな、バレたら全てが麻痺するぞ。氷様にも秘密だぞ、バレたら全てが凍結だ」


 を唱えた。


「......入れ」


 ギギギ、と重苦しい音を立てて扉は開かれた。


「こんな餓鬼まで遊びに来るとは、とうとう世も末だな」


 ローブを羽織った男はディードたちを見下ろしながら毒づいた。


「そりゃどうも。軽口次いでに聞いとくが、ここにエルフの奴隷はいないか?」


「さぁな。売り物に関しては売人に直接聞け。もっとも、エルフなんて代物が市場出た日には大騒ぎだろうな。なんて言ったって絶滅した種族だ。まあ、期待はしない方がいいぜ」


 売り場に行く前に男にチップを渡しておく。これで特に印象は悪くないはずだ。仲間内で話題にすることもないだろう。

 金に関しては、ここに来る途中にメティスが魔法で工面泥棒してくれたおかげでたんまりある。


「よくもまあ、こんなに趣味の悪い場所を知っていたね。もしかして、ここのお得意様だったりするのかい? 公爵家のお坊ちゃんは」


「笑えないな。こんな場所、誘われたって来ねぇよ」


 この場所はまた上とは違った異臭が漂っている。

 今まで嗅いできた悪臭の中で、一番不快な臭いだ。


「浮悦草が焦げる臭いだね。見てよ、あの葉巻を持ってる女の顔、目の焦点が定まってないよ」


「指差すな。変な因縁つけられるぞ」


 上とはまた違った異様な活気の溢れる市場を練り歩く。奴隷が売っている場所は地下の最奥部だったはずだ。


「おい、ありゃ人間の餓鬼だぜ」「見た感じはお偉い貴族だな」「じゃあ手出しはできねぇな。揉め事はごめんだぜ」「隣にいる奴もかなりの上玉だなぁ」


 聞く気がないのに、自然と耳に入ってくる。

 まあ、陰口なんざ今に始まったことじゃないから俺は気にならないが、


「下卑た会話だね。耳が腐るかと思ったよ」


 大精霊様はどうしても気に入らないらしい。


「ガキが......!」


 周囲は一瞬殺気立つが、やがて舌打ちと共に静まっていった。

 どうやら、顧客と見なされている相手には手が出せないらしい。こんな終わった場所でも、それなりの秩序はあるという訳だ。


「もう少し穏便にできないのか?」


「これでも大分抑えている方だけどね。本当だったら、この国をひっくり返してでも探したいんだよ、僕は」


 やっぱり、大精霊ともなると考えることのスケールが違うな。

 他の人なら冗談だと笑い流せるが、彼が言うと本当にやりそうだから恐ろしい。


「これはこれはお坊ちゃんたち。一体何をお探しで?」


 豚のように肥えた男が、両手を擦り合わせながら歩み寄ってきた。


「ここにエルフが入ったと聞いてな。ぜひともお目に掛かりたいんだ。もちろん、既に買い手があるなら構わない。ただ、一目拝めるだけでいい」


 男の手が止まる。

 肉に埋もれた細い弧がこちらを見定めるように薄く開かれた。


「失礼ですが、お名前は?」


「悪いが名乗れない。だが、メデンチ氏に紹介されたとだけ言っておこう」


 ボルボンル・メデンチ侯爵。

 協定締結以前からマルネイトの有力者たちとのパイプを持つ富豪貴族。

 その家財を元本として、この地下市場に大きく貢献している。

 数年後には主人公グレイたちの手によって、その悪事が裁かれることになる。


「何かそれを証明するものは?」


「俺が人間であることと此処に居る事実で充分だろう?それとも、俺を疑うのか? 私の家はメデンチよりも上だぞ?その気になれば貴様程度の首なんぞ簡単に飛ぶ」


「悪いやつだね〜」と、メティスが小声で囁いてくる。

 うるさいぞ、そこ。


「ごもっともですね。失礼致しました。しかし、メデンチ氏が他人にその事を話すとは意外でしたね。彼女は彼だけの秘密にすると思っていたのですが......」


「ま、最上位である公爵家に属する俺の言うことには逆らえなかったということだ」


「ほぉ、これはとんだ大物にお越し頂いたようですね。ご案内致しましょう。どうぞ、こちらに」


「本当にいるのか......!?」


「メティス、落ち着け。まずは確認だ。それまでは平静を保てよ」


「どうされましたか?」


「いや、なんでもない。早く連れて行ってくれ」


「かしこまりました」


 男は黙って先を歩く。

 メティスもまた、押し黙りながら足を運ぶ。

 俺にはこの静寂が、嵐の前の静けさだと、どうしても思わずにはいられなかった。


























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