第32話
「君も分かったでしょ。僕は最低だってことが」
彼の声色は物悲しげなものだった。
「魔法が使えない。たったそれだけでこの世界では生きる資格がない。役立たずと罵られ、みんなから嫌われる。公爵家に産まれなかったら、僕はもっと早くに死んでいただろうね。」
「そんなことはない!ハルネや殿下、バッシュにハイタだって、お前の事を大切に思っている!」
「それは君のことをでしょ?僕は、誰からも愛されなかった。血の繋がった家族でさえ、僕の事を疎んでいた。力の無い僕を。僕は誰も救えない、誰も守れない僕の事を」
「違う!お前は歩めるんだ!真っ暗な悪役の道ではなく、光り輝く英雄の道を!」
「それは君の願望でしょ?僕はそんなの望んでない。誰かの屍で舗装された虚栄の道を征くぐらいなら、僕は骨と化して森の中で小さな住人たちの家になりたいんだ」
彼は泣きそうな声で、そう呟いた。
「なら、お前は虫さえも殺したことがないといえるか?」
我ながら大人げない言い方だと、自嘲の念が起こる。それでも、彼は優しく諭すように反論した。
「違うんだよ。僕が言いたいのはそういうことじゃない。僕は僕のために誰かが死んでしまうのに耐えきれないんだ」
あまりにも行き過ぎた優しさ。誰かを糧にするぐらいなら、野垂れ死んで動物たちの巣になりたいだと?自分のために誰かに犠牲になって欲しくないだと?
なら、どうして
「それなら、どうしてあの時シャトンへと腕を伸ばした?」
「......」
「それでも、変わりたかったんだろ。そんな自分から」
「魔法さえ使えれば、僕は誰かを守れると思った。こんな身体じゃ、命を懸けても少女を救うので精一杯だ」
「あの力の先にあるのは自身の破滅だけじゃない。多くの人間の死を
「どうして、そう言い切れるの?君は何を知っているの?教えてよ、君は僕なの?それとも、別のナニカなの?」
「っ」
言葉が詰まる。 答えは持ち合わせているはずなのに、どうしても口から出ない。
「君は僕を英雄にしたいの?それとも、僕を使って君が英雄になりたいの?」
核心が突かれたような気がした。俺は、俺の思う希望が彼の希望であることを、今まで信じて疑わなかった。だからこそ、いつかその時が来れば、彼に譲ってやるといった驕った思考で罪悪感から逃げてきた。
「身体の主導権が君になってから、僕は夢を見るように君の人生を見てきた」
心臓が締め付けられる。冷や汗が手に滲んで、人知れず息も荒くなる。
「羨ましかったよ。僕にはきっとああいう風には過ごせない。だって」
─君は全部知っていたから。これからこの世界で起きること、大精霊のこと、これから来る義弟のこと、僕の惨めな顛末、全部知ってたんだ─
抑揚のない声が、逆に恐怖を煽る。知られたくない事実を、一番知られたくない人物にさらけ出された。
後悔と羞恥が入り混じって、視界が歪む。
「知らなかったのは、僕の苦しみだけ」
ディードは恨むように視線を上げる。その瞳には赤色の炎が渦巻いていた。
「僕の身体を使って君の望む人生を送っていたのなら、それはそれで構わなかった。一度捨てた人生だから、僕に文句を言う権利は無い。でも」
彼は歯を食いしばり、牙を剥く。それは彼が初めて見せる怒りの表情だった。
「僕の意志を騙って、それを免罪符にするなよ」
「ぁぅっ」
此処こそが断罪の場。あの出来レース染みた裁判などもはやおままごとに過ぎない。俺が犯した罪を、少年は淡々と並べ、詰める。
「初めは僕の事を考えてくれていると思った。それに、
「その通り、だ」
「だから、僕は意思を示した。君がこれ以上、偽りの僕を作り出さぬように。僕が望まぬことを君がこれ以上しないように」
「──怖かったんだ」
そうだ。本当は怖かったんだ。彼と向き合おうとする意思は建前。本当はいつ彼が姿を見せるのか、ずっと怯えていたんだ。
偽者の俺じゃなくて、本当のディード・オルネーソが現れることに。
「心のどこかで、後ろめたさがあった。見せられた過去の記憶も、ただの脳が見せた
俺が今向き合うべきなのは、ディード・オルネーソではなく、己の醜い本心。それを真っ向から見つめ直さなければならないのだ。そうして、始めて彼と向き合う資格が生まれるといえる。
「俺は今まで都合のいいように解釈していた。お前だけじゃない、今まで関わってきた全員にだ。勝手にそうだろうと思い込んで、俺の願いを押し付けていた。そりゃあ、上手くいかないだろうさ。でも、それを全部お前のせいにしていた。ディード・オルネーソだからと納得して、己を省みようとは思わなかった。それどころか、お前の虚像まで作り上げて、卑怯な自己正当化までする始末」
語れば語るほど、滑稽な話だ。彼に諭されるまで、全く気づかなかったとは。
「お前を想う振りをして、お前を傷つけてしまっていた」
それは何よりも残酷で、無慈悲な行いである。
「誠に申し訳ない」
正座をし、手を八の字に着き、頭を下げる。
許してくれ、とは言わない。
消えろと願うなら、喜んでこの身体から去ろう。もとより、お前こそがディード・オルネーソなのだから。
「.......どうして」
彼の声が震えている。
「僕は君を否定したんだよ?どうして怒らない?どうして無理やり奪おうとしない?どうして、そんなに冷静に頭を下げられるんだ?どうして?どうしてだよ!?」
取り乱した彼は俺の胸倉を掴んでくる。
俺の言葉が彼の疑問の答えになるかどうかは分からない。それでもあえて言おう。
「お前の言葉に納得しているから、じゃないか?一言一句、お前の言っていることが正しいと俺自身は納得しているんだ」
「じゃあ消えろよ!僕の身体から今すぐ!この泥棒が!」
「あぁ。苦しい思いをさせてすまなかったな、ディード」
俺は余計だったんだ。はじめから、ディードの人生を掻き乱すことしかできなかった。その結果、こんなにも早く、国から追い出されてしまうことになった。魔法も使えるようにすると豪語して、何の成果も得られず、彼を苦しめるだけだった。本当にすまなかった。
目を閉じて、終わりの時を待つ。
「待ってよ!」
だが、彼の悲痛な叫びが静寂を突き破る。
「今のどこが納得できるって言うんだよ!消えろって言われて、すんなり納得なんて出来るはずないだろ!」
ああ、本当に、どうしようもなく
優しいやつだな、お前は
俺はそっと彼の身体を抱きしめる。
「そうか。お前、わざと俺を怒らせようとしてたんだな」
俺を逆上させて、それとなく体の主導権を握らせようとしていたんだな。俺がもうお前のことを気遣うことがないように。自分の方が消えてしまうようにそれとなく誘導していたんだな。
「本当に不器用な奴だよ」
でも、お前が図星を突いたということは、お前が俺のことをしっかり見ていてくれたということの証明に他ならないんだよ。俺が自分ばかりに夢中になっていた傍らで、お前は俺から目を離さなかったという優しい事実にしかならない。
「ありがとう」
どんなに捻くれても、お前の暖かい炎はちゃんと俺には伝わっているよ。
「どうして、どうしてそこまで僕に優しくしてくれるんだよ!?こんな最低で、なんの価値もない僕のせいで、君も苦しんだんだよ!僕のことが憎くないの!?」
分からないことだらけで、苦しいよな。だから、これからは俺と一緒に答えを探していこう。
「好きだからだよ、ディード。お前のことが大好きだからだ。だから、どんなにお前が自分のことを卑下しても、俺はお前のことを嫌いにはならない、なれないんだよ」
「えっ?」
彼は目を丸くさせて、驚愕の声を漏らす。
「お前になって、俺は初めて夢を持てた。生きてるって感じがしたんだ。だからこそ、お前に盗られるなんて無粋な畏怯を抱いた。それはお前の持つ魅力がとても素敵なものだったからだ」
「そんなことはない!君だって、力がないばかりに多くの人を失った。国からも追放されて、いいことなんて一つもないだろ!グレイの方が、弟の方がよかったんじゃないか!」
「俺は......」
確かに、この身体は何かと苦労することが多い。遠征の時だって、俺は足手まといで多くの人間が死んでいった。もし魔法が使えたら、また違った結果になったかもしれない。
多くの人間から疎まれた。あの馬鹿伯爵から始まって、婚約者、家族、そしてサマーナにも嫌われている。
だが、
「それでもお前で良かった」
俺はディードが嫌いだった。何度もしつこく主人公に絡んでくる雑魚の癖に、偉そうで、いつも横にいるサマーナが本当に可哀想だと思うほどに陰険な奴だと思っていた。
けど、彼自身の人生をほんの少しだけ歩んでみてようやく分かった。彼は強くあろうとしたんだ。大切なモノを奪われないようにするために。彼が好いていた従者とオルネーソ家の誇りを守るために。優しい心を捨て、
「ありがとう、ディード・オルネーソ」
お前を好きにさせてくれて。あのまま、本当のお前を知らないままで人生を終えなくてよかった。心からそう思うよ。
「......本当に、優しいね」
ディードは膝から崩れ落ちて、嗚咽を漏らし始める。
「お礼を言うのは僕の方だっていうのに。君だけが、僕のことを信じていてくれたのに。僕は君に何もしてあげられなかった。それどころか、僕は君に酷いことを沢山言ってしまった」
「いいや、俺がここまで強靭な肉体を作り上げられたのはお前の潜在能力があってこそだ。それにお前が言っていることは全部俺が直すべき悪癖だった。それを、お前は気づかせてくれたんだ。全部全部、お前のお陰なんだよ。だから」
─生まれてきてくれてありがとう、ディード─
「う、うああ、うああああああああ!」
今まで己の生を僻み、恨み憎んでいた彼は生まれて初めて自身のどうしようもない人生が肯定された。今はただ色んなものが入り混じった涙を流すことしかできない。しかし、それは彼が新たに生まれ変わるための産声なのだ。
「ありがとう、もう一人の僕」
ひとしきり泣いた後、真っ赤な眼を擦りながらディードは顔を上げる。そこで、二人は初めて目を合わせた。
「君のおかげで、僕は生まれてよかったと思えた」
─...ぁん
「なら、これからはお前が行くか?」
その言葉にディードは首を振って否定する。
「まだだよ。だって、約束してくれたでしょ?僕はまだ君に見せてもらっていない」
─..ちゃん!
「我ながら図々しいとは思うけどさ。それでも、みんなが待ってるのはきっと君の方だから」
─.んちゃん!
「これから先も、きっと多くの困難に直面すると思う。でも、僕も君を信じるよ。だから、どうか夢の続きを見させて欲しい。けど、一つだけお願いがある。もうこれ以上、僕たちのために誰かを犠牲にしないで。僕からはそれだけだよ。さあ、いっておいで、もう一人の僕」
意識が急激に上の方へと引っ張られていく。下を向くと、ディードがこちらに手を振っていた。
「兄ちゃん!」
いつの間にか、視界には泣きじゃくっているハイタの姿があった。
─もしこれから、これ以上耐えられないと思った時はもう一度ここへおいで。その時は、僕が君を照らす灯火になるよ─
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