第31話

 俺たちが連れられてきたのは、やけに煙臭い工場のような場所だった。


「連れてきたぜ」


 そこには大人数の男たちが待ち構えていた。


「ようやくご対面だなぁ、影の少女さんよぉ」


 ハイタのことだろうか。なんとも安直なネーミングセンスだ。


「ええ大人が寄って集って、恥ずかしくないんか?」


「ああ、厄介なには大人数の方が適しているだろう?」


 ボス格の男は下卑た笑みを浮かべる。


「俺たちのシマを荒らし回った落とし前、きっちりつけてもらおうじゃねぇか」


 男達はポキポキと指を鳴らす。

 まさかのステゴロか。こちらが抵抗できないとみての余裕だな。


「ごめん、なさい」


 捕らえられた少女は絞り出すように言葉を漏らした。


「謝らんでええ」


 ハイタは優しくほほ笑みかける。その言葉が言いきらぬ間に頬には拳が飛んできていた。


「ぐぅっ」


「ハイタッ!」


「オメェも他人の心配してる暇ねぇよ!」


 ディードの顔面に目掛けて放たれる突き。


 だが


「痛ってえええ!!」


 。ディードは拳が当たる瞬間に、その拳に頭突きを放っていた。鍛え抜かれたディードの肉体と男の体幹では天と地ほどの差があり、結果として男の拳が砕けたのだ。

 男達は何が起こったのか分からなかった。一瞬の動揺の後、バイソンは少女の喉に刃を立てる。


「『虚泥ヴェアグロ』」


 その直前に、質量を持った闇がバイソンを縛り上げた。


「何やってんだテメェら!」


 ボス格の男が焦って飛んでくるがもう遅い。


「いっぺん死ねや、クソボケ共」


アグロニス


 開かれた闇の饗宴。こんな光景をどこかで見たことがある。ある有名な画家が戦争について描いた絵画だったような気がする。


「ッ!ハイタ!」


「わかっとる。殺すな、やろ。ちゃんと手加減しとるわ」


 ハイタがパッパと手を払うと、男たちが地面へと放り出された。


「お姉ちゃん!」


 人質の少女がハイタへと駆け寄る。


「おーよしよし。すまんなぁ、怖い思いさせて」


 ハイタは膝を着いて、少女を抱き止めようとする。


「くそがぁ!『激流弾アクドラ』!」


 まだ意識が残っていた男が苦し紛れに水の弾丸を放つ。そして、その軌道は屈んだハイタの頭へと─


「あ」


 考えるよりも先に身体が動いていた。

 いや、。その身を挺して、彼女の命を救おうと。


「ぐふっ」


 ハイタを突き飛ばすと同時に、魔法耐性の無い身体を弾は容易に貫いた。感覚で致命だと悟る。

 でも、何となく嬉しいんだ。彼は。他人のために自分を犠牲に出来るほどに、彼の優しさはまだ残っていた。


「兄ちゃん!」


 そんな顔するな、ハイタ。お前は俺が居なくとも、きっと上手くやれるさ。

 土に染みゆく血と共に、俺の意識も沈んだ。



 ────────────


「消えろ!出来損ない!」


「ごめんなさい!ごめんなさい!」


 グベル兄様は、僕を見る度に暴力を振るう。僕が泣いても、血を流しても、突きや蹴りを止めなかった。

 従者たちは、陰に隠れてその光景を楽しんでいた。


「お止め下さい!グベル様!」


 サマーナだけが僕の味方だった。僕の声を聞きつけて、いつも助けに来てくれる。


「このままでは死んでしまいます!」


「死ねばいいんだ、こんなクズ!母様を殺したくせに、何の罪の償わずにのうのうと公爵家の廊下を歩きやがって!消えろ!死ね!」


「.......それでも、この方は貴方様の弟君でございます。ですから、どうかその怒りをお鎮め下さい」


「ふん!興が削がれた。お前が処理しておけよ」


 兄様は僕に唾を吐き捨てて、どこかへ去って行った。


「お可哀想に」


 サマーナは優しく僕の血を拭ってくれる。

 僕は彼女の優しさで、今この時まで生きてこられたのだと思う。だからこそ、彼女が僕の生きる唯一の理由だった。


「まだ生きてたの、ディード」


 サマーナに手を引かれ、部屋に戻ろうとしている途中で、今度はベルナ姉様に出会う。姉様は滅多に書庫から出てこない。母様が死んだ時も、花を添えに来たぐらいだった。


「これ、あげるわ」


 姉様は僕に小瓶を手渡す。中には紫色の液体が入っていた。


「ぐっすり眠れる薬よ。つらい時に飲みなさい」


「ベルナ様、それは......」


「言ったでしょ。ただのよ。それじゃ」


 彼女は振り返ることなく、食堂の方へ消えていった。


「ディード様、それをお渡しください」


 サマーナは緊迫した表情で僕の了承を得ることなく、小瓶を取り上げた。


「あ......」


「申し訳ございません。ディード様にはまだ早すぎる物ですので、これは私が預かっておきますね」


 彼女は優しく微笑みながら、僕の手をそっと握ってくれた。そして、僕の体を気遣いながら、ゆっくりと手を引いて、部屋まで連れて行ってくれた。




 程なくして、僕の下に新しい従者がやってきた。


「はじめまして、ディード、さま。ええっと、今日からディード様の専属従者になるハルネです...ございます」


 しどろもどろな敬語で入ってきた彼女は、一見して僕よりも少し年上ぐらいの少女だった。

 燃えるような赤髪に凛とした目つき、そしてほんの少しだけ背筋の曲がった姿勢。......それは、まるで


......?」


 かつての友人の姿と重なった。そんなはずはないのに。どうして、そう思ってしまったのだろうか。


「違いますよ」


 当たり前のように彼女は否定した。そうだ。彼女がフィアータであるはずない。だって、フィアータは猫で、彼女は人間だ。

 だから、彼女が一瞬だけ目を見開いた気がしたのも、ただの気のせいだ。


「これからは私とハルネでディード様のお世話をしていきますので、よろしくお願いいたします」


 サマーナはいつものように、僕に優しく微笑んだ。

 でも、その笑顔が嘘だって事に気づいたのはハルネが来てからそう遠くない日だった。


「どうしてあの子の下に?」


 その夜、どうしてもおしっこがしたくなった。誰かを呼んでいくのも、なんだか申し訳ない気がしたから一人で行くことにした。

 その帰り道で、給仕室からサマーナの声が聞こえてきた。だから、気になってほんの少しだけ耳を傾けてみたんだ。それが、いけなかった。


「別に。深い理由はないわよ」


 話し相手はハルネだった。いつもの彼女とは違って、ふてぶてしい態度だったので新鮮だった。


「とんだ物好きがいたようで。てっきり、冷やかしなのかと思いましたよ」


 サマーナもまた、いつもと違い、冷淡な雰囲気で何だか怖かった。


「そういうアンタはどうなのよ?」


「私ですか?私も特に深い理由はありませんよ。ただ」


 ─彼が苦しむ姿を間近で見ていたいだけです─


 その笑顔を見て、いつも僕に向けてくれる笑顔が嘘だっていうことが初めてわかった。


「イカれた女ね。呆れるほどにだこと」


?私が彼に対して? 笑わせないでください。彼には憎しみと憎悪しか抱いていませんから」


 知りたくなかった。たとえ、彼女が言っていることが真実だとしても、僕は死ぬまで知らなくてよかった。

 彼女は僕の光だったのに。それだけが希望で、それだけが僕の──


「ぅ」


 思わず叫びそうになるけれど、何とか口を抑える。ここでバレてしまえば、


「おかしな話ね。それだけで本当に瀟洒しょうしゃほど、感情ってものは単純なのかしら」


「素性も明かさぬ田舎娘が、何を知った風な口を!」


 もう嫌だ。

 もう嫌だ。

 もう嫌だ。


 僕は逃げるようにその場から離れた。それから、ベッドに潜り、力一杯目を閉じた。

 けれど、全然眠れない。それどころか、一層目が冴えて、僕を現実から逃がそうとしない。


 ─消えてしまいたい─


 孤独と絶望は夜の闇に融けて、漠然としていた希死念慮を形にする。

 起きているだけで、その思いは膨らんで、僕の心を蝕んでいく。


 ─ぐっすり眠れる薬よ。辛い時に飲みなさい。


 唐突にあの時の記憶が浮かび上がる。

 でも、あの薬は今もサマーナが持っている。欲しいと言ってもくれないだろうし、何より、今は彼女に会いたくない。


「姉様」


 あの人に頼めば、もう一度くれるだろうか。

 皆が寝静まり、薄暗くなった邸の中で記憶を頼りに書庫へと向かう。


 一際大きい扉の前に着くと、扉の向こうから本を捲る音が微かに聞こえてきた。

 僕は、無心に、扉を叩く。


「誰?」


 ランタンを片手に、姉様は扉を開け、大きな隈を携えた眼で僕を見下ろした。


「珍しい客。なんの用?」


「薬......」


 声が掠れてしまった。喉はこれ以上の会話を拒絶している。それでも、姉様は聞き取れたようで


「あぁ、あのね。取ってくるから、部屋の中で待ってなさい」


 彼女は僕を招き入れると、奥の方へ消えてしまった。そこで初めて僕は書庫に入った。大量の本棚に膨大な本の数。見ているだけで、飲み込まれそうになる。


「はい」


 いつの間にか戻ってきていた姉様は、僕に例の小瓶をポンと手渡してくれた。


「ありがとう」


 自分でも声に出せたか分からない。

 ただ、早く部屋に帰って薬を飲みたい一心だった。


「いい夢を」


 扉が閉まりきる直前に、彼女は本に目を向けながらそう呟いていた。


 部屋に戻ると、僕は脇目も振らず瓶の蓋を開けた。

 あぁ、これでようやく眠れる。

 サマーナの狼狽え振りから見て、これが本当にただのだとは思えない。でも、そんなことはもうどうでも良かった。とにかく、僕は眠ってしまいたかった。


 おやすみなさい


 願うならば、もう二度と辛い現実へと目覚めませんように。


─────────────



 長い記憶の海を渡りきると、目の前には膝を抱えて俯いている少年がいた。


「ディード!」


 声を掛けるが、少年は動かない。


「邪魔しないでよ」


 消え入るような声が脳に響く。














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