第8話
「あーあ、退屈ね」
ハルネはキョロキョロと辺りを見渡す。
「サマーナはよくこんなのに耐えられてるわね」
「ハルネさん、静かにしてないと駄目です。ほら、他の従者さんたちが睨んで来てますよ」
「あんたたちも大変ねぇ。こんなに立ちっぱなしで疲れてこないの?」
ハルネは隣の従者に話しかけるが、一睨みだけされて無視された。
「目立つとディード様に摘まみ出されますよ」
「はいはい。分かってるわよ」
---
「最低限の教養はありますのね」
シャンパンを模した炭酸果実水を飲んでいるとフォールテが話しかけてきた。主宰の殿下が料理を口に運ぶまで、客人は手をつけず飲み物で口を潤す。常識だ。
「そりゃあ、曲がりなりにも公爵家ですから」
「それでも、今年が初めての社交界。公爵家なら4歳で通らなければならない道ですのに」
「驚いた。フォールテ嬢は貴族至上思想をお持ちなのですか?」
貴族至上思想とは貴族はこうでなければならないという考え方だ。本編の世間知らずの天然お嬢様からこんな言葉が出てくるとはやはりゲームとは違うとしみじみと思わせる。
「少なくとも私は貴方をそのように見ています」
「そうですか」
まともに会話をする気はないらしい。俺は諦めてグラスに口を着けた。その際、壁際にいる彼女たちに一瞬目配りする。まだそこまで騒いでいないようで一安心だが堪え性のないハルネのことだ。いつ爆発するか分からない。
カチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえる。どうやら、殿下が食事を始めたようだ。壁に引っ付いていた従者たちが一斉に主のもとへと散らばっていった。ハルネはサマーナに促されながらも二人とも俺の元へ来る。
「何をお取りしましょう」
「そうだな。サラダと鶏肉を少々でいい。後、食べるならバレないようにつまみ食いしろよ。特に小さい方」
「そこまで意地汚くないわよ」
「そうだよな。来る前に馬車の中で大量のクッキーを食ったもんな。さすがにもういいよな」
「うるさいわね!」
ハルネは俺の足を思い切り踏みつける。だが、痛くない。強がりでなく本当になんともない。いたいけな少女の踏みつけなどもはや俺には効かぬのだ。
「随分と仲がよろしいのですね」
フォールテが横から口を挟んでくる。また横にいる従者の目も冷たい。
「悪いよりはいいでしょう?」
「しかし、横に婚約者がいるというのに他の女性と仲睦まじくするのは如何なものでしょうか」
「フォールテ嬢はそちらの方がお好みで?」
「表面上くらいは取り繕ってくださいということですよ」
「まったく、8歳の言葉とは思えませんね」
「その皮肉、貴方にも言えることですよ。貴方の場合、姿もですけど」
そんなに大きいかなぁ。皆、口々に言うけれどそこまで大きくないだろ。正確に計ってないが精々150cm後半位だろう。10歳にしては大きいだろうがそこまで騒ぎ立てる大きさではない。
─ヒュッ─
会話をしている俺たちの元に何かが高速で
飛んでくる。瞬発的に目をやると、中身が入ったシャンパン瓶とボロネーゼ風のパスタが乗った皿だった。
「失礼」
俺はフォールテの前に庇い立ち、溢さないように二つとも受け止めた。よかった、上手く掬い取れたようだ。溢れていない。
「何が...?」
「フォールテ嬢、大丈夫でしたか?どうやら料理が風に飛ばされてきたようです」
速度的に考えて手で投げられたものではない。おそらく、風魔法による加速が行われている。精霊たちはこのような悪戯が好きだ。だから、光の大精霊の庇護下である王宮の中だとしてもこのような魔法に手を貸すのだ。
「風魔法、ゴンダ伯爵のしわざでしょうか...」
フォールテはかしづいて考える。
「決めつけはよくありませんよ。もしかしたら事故かもしれませんしね。それよりも、貴女に怪我がなくてよかった」
「その身体、見かけ倒しではなかったようですね」
「おやぁ、大丈夫でしたかぁ?」
ねっとりとした口調の少年が話しかけてくる。
「殿下に魔法を披露をしていたらぁ、そちらに物が飛んでしまいましたぁ。まだぁ、この有り余る力を使いこなせてないようでぇ、恥ずかしいですぅ」
「まだ自身でろくに制御できぬ魔法を殿下の目前に晒したのですか?これが私たちだったから良いものの、もし、殿下の身に何かあったなら貴方の首だけでは足りません。貴方はご自分で何をしていたのか理解できていますか?」
フォールテの声に怒気が籠る。それは、自身が被ったことよりも殿下の身を案じているようだった。正直、正論だ。こいつの言い訳は嘘にしても十分不敬。視線や口調的に俺に対する当てつけだろうが、所詮は子供の悪知恵。自身が発した言葉の重みを分かっていない。
「殿下にはぁ、謝りましたしぃ、許していただきましたぁ」
「そういうことを言っているのではありません!」
「無駄ですよ、フォールテ嬢。馬鹿につける薬もなければ、説く賢者もいりません」
こういう輩は何を言っても自分の否を認めない。自分が正しいと思い込んでいる者には何の忠告も無意味だ。
「へぇ、偉そうですねぇ、この木偶の坊」
「ゴンダ伯爵、一応身分は私の方が上ですよ。言葉は選んだ方がいい」
「知ってますかぁ、身体が大きいだけで何の役にも立たない無能を、木偶の坊っていうんですよぉ?それに宛がわれたぁ、貴女も─」
「口を慎みなさい!この尊い場をこれ以上汚い言葉で汚さないで!」
堪えきれず、フォールテが叫ぶ。
あれー、おしとやかな歌姫はどこいったー?まだ、そこまで精神は成熟しきってないってことかな?どれだけかしこぶっても、まだまだ子供か。
「フォールテ嬢、一旦落ち着いて。ゴンダ伯爵も後で話は聞きますから、今一度は抑えて。二人とも、殿下の御前で騒ぎ立てるのはよろしくない」
「なんで貴方はそんなに落ち着いていられるの!?彼は貴方に無礼を働いてるのよ!?」
「だから、落ち着いて。殿下に騒ぎを知られればそれこそ、我々公爵家に泥を塗ることになる」
「もはやぁ、プライドすらないって感じですかぁ?まぁ、風の大精霊に愛された僕を前にしたら、しょうがないかぁ。貴方たちぃ、公爵家はもうおしまいですぅ。だってぇ、僕は将来宰相にぃ」
「続きは外で聞きましょう。俺もこれ以上、お前の醜い言葉でめでたい催しを汚したくないのでね」
徐々に集まりつつある野次馬を背に俺たちは会場を後にした。
「ここなら、少々騒いでも問題ないだろ」
向かったのは使われなくなった廃庭。ここは後に重要な場所となるが今はただの汚い庭だ。
「別に貴女まで着いてくる必要はなかったのですが」
フォールテまで着いてきた。サマーナたちに彼女の面倒を頼んだのに。
「婚約者として貴方と彼の決着を見届ける義理があります」
「そろそろぉ、いいですかぁ?早く木偶を切り倒したいですぅ」
「サマーナ、万が一何かあったらフォールテ嬢を頼む。出来損ないで憎たらしい俺のせめてものお願いだ」
「ディード様.........かしこまりました」
「あたしは?」
「お前は、身の危険を感じたらとりあえず逃げろ」
「なんであたしは戦力外なのよ!」
「『
ゴンダの全身から無数のかまいたちが放たれる。狙いは定まっておらず、周囲に無造作にばらまかれた。
「『連激』」
襲い来るかまいたちを拳で弾き消す。こんなもの、俺にとって形のあるそよ風と変わらない。『隼脚』を使いつつ、後ろにいる彼女たちに当たらないようにこちらにくるもの全て消し飛ばした。
「この技はぁ、まだ僕も制御しきれてなくてぇ、どうやら運良くぅ、生き残ったようですねぇ」
「これが、ディード・オルネーソの実力...!」
フォールテは目を見開いていた。拳で魔法を打ち消すなんて護王十騎士の演武でしか見たことがないからだ。魔法を生身で打ち消すなんて桁違いの実力差がないと不可能。だか、ゴンダ伯爵自身もその歳にしては抜けた実力だ。つまり、
「見かけ倒しなんてものじゃない...!」
「4年間、飽きもせずに毎日ずっーーと鍛えてたからね。そんじゃそこらの馬の骨にやられるほど柔じゃないわよ、ディードは」
ハルネは冷静に吐き捨てる。
「それでもこんな!」
「雨の日も雪の日も嫌になるほど暑い日も、あの子は泣き言なんて言わなかった。それどころか自ら進んで鍛えてた。自分にはこれしかないって」
「でもぉ、次は、この最高の一撃でぇ、確実にボロ切れにしてあげますぅ!」
「外すなよ。ここだ、良く狙え」
ディードはトントンと自分を指差す。
「貴女に解る?有るべきものが無い絶望。あの子は泣いてた。あの日まで毎日泣いてた。あの日は狂って指まで切り落とそうしてた。でも、立ち直って前を向き始めたの」
「『
ひときわ大きい風の刃が一直線にディードへと向かう。
「違うのよ。覚悟が。重みが。温室育ちと比べたら」
ディードは避ける素振りも防ぐ素振りも見せない。それどころか風の刃に突っ込んでいく。
「お前に技は勿体ねぇよ」
「くたばれぇ!そしてぇ、僕の礎の一歩となれぇ!」
─バチュン─
弾け飛ぶ音。消えたのは
「なんでぇ!?」
風の刃だった。
「お前程度の三流以下を殴るのは力だけても十分だ」
そして、一瞬で距離を詰められたゴンダの顔面に拳がのめり込む。
─メチィ!─
あぁ、こりゃあ鼻の骨がお釈迦様だ。でもよ、これくらいのお灸じゃないと懲りないだろ?
ディードは拳を振り抜かず、引いた。
「あえ、ぁ」
それでも、ゴンダの顔面はひしゃげている。鼻の骨が折れ、歯も数本折れていた。
「二つだけ教えてやる。ひとつ、これくらいの魔法なら俺の家は5歳までに制御しなければならない。世界は広いな。ふたつ、俺を馬鹿にしてもいいがそれ以外は許さん。次は拳を振り抜くからな」
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