ほしめぐりにすがりたい。

入川 夏聞

本文

 今期の成果についても、まずまずだった。

 取るべき商談は取り、ノルマを超えすぎるようなものはお客さんに頼んで来期に回してもらった。そうすれば、来期もノルマに追い上げられて、プライベートの時間を邪魔されることはなく、小説の執筆に専念できる。 


「……以上だ、三田。今回も、お前は無難にノルマ達成してくれたな。ただ、もう少しインパクトないと、これ以上の昇格は難しいかもなあ。今年、いくつだっけ?」


 上司の村田は思いやりのある良い上司だ。熱血的な指導で幾人も幹部を育て上げた大ベテラン、昭和くさい営業で何度か危ないこともやっているが、それだけに面倒見はいい。


「はい。四十になります」


「うーん、そうだよなあ。もうちょっとなんだよ。俺の定年前には、お前を後任にしてやりたいんだが……」


 後任と言っても、しょせん課長だ。いまさら出世に興味があるわけじゃない。

 もちろん、ここでの正解の回答は、次のとおりだ。


「はい、ご心配おかけしており申し訳ございません……(悲しそうにうなだれて見せるのがミソだ)……ですが、ご報告した来期案件は絶対に死守します! 私は村田さんの期待に、今度こそは応えたいと思っています!!」


 うす、なんて適当に付け加えておく。大学時代に柔道をやっていて良かった。まさか、YaWaRaのアニメ映画を深夜に見て感動したからってその翌日に適当に始めたものが、社会で役立つとは思わなかった。

 おかげで体育会系的なノリも平気だし、皆勝手に良いヤツだと思ってくれた。黒帯だと言えば、誰でも一目置いてくれるし、アレは良い選択だった。卒業したら即やらなくなったけど、言わなけりゃ他人は勝手に良い方向へ想像してくれる。


 さっさと帰ろう。帰って、また小説の続きを書かなけりゃいけない。

 村田さんの席を離れたところ、付近のデスクから北沢がニヤニヤしながら声をかけてきた。


「あ、先輩~。そういや、まだ何か書いてんすかあ?」


 またか。僕は、こいつが嫌いだ。

 北沢が入社してきた当時、僕の趣味を聞いてきたので、読書だと応えたら、こいつはやたら調子良く、自分もっす、なんて言ってきた。こいつが好きなのは、誰が読むんだか、聖書や中国古典を有名人が適当にパクって書いたライトな自己啓発本ばかりだったが、とりあえず僕の周りにはいなかった数少ない読書家だったので、いくらか大切に面倒を見てきたつもりだった。


 だが、あれは一生の不覚だった。


 僕は先日、彼に自分の書いた小説の第一号を見せてしまったのだ。いくら周りに相談相手がいないからと言って、人選を誤り過ぎた。

 彼はうんうん相槌つきながら一頁を読んで、すぐに「続きは今度でもいっすか? すんません、ビールぅ」と言って原稿をさっさとカバンにしまってしまった。


 それ以来、彼はその原稿の感想は何一つ言わない。僕も、聞けなかった。

 そのかわり、「また、何か書いたら見せてくださいよお、フヒヒ」などと小馬鹿にした目で時々、そう言ってくるようになった。しょせん、営業など仕事を一通り覚えたら先輩の価値などないとでも言いたげな感じで、遠回しに煽ってくる。こいつはあまり成績も良くはないので、嫌がらせのつもりもあるらしい。

 僕は、「またな」と短く言って、彼の下卑た視線から逃げた。


    ◆


 まっとうに稼いで家族を養う。これが地球という豚小屋で胸を張って生きていくための最低条件だ。


「あなた、明日って空いてる?」


 夕食終わりの読書をしていると、妻がさえぎってくる。


「いや、明日は昼に高松と会うって言ったろ。久しぶりに上京してくるんだ。それに、夕方は、例の編集者と会う」


「あら、そう。良いわね、ご立派な予定があって。ねえ、じゃあ今夜のうちにソファ出しておいてくれない? 粗大ごみ、やっぱり明日中に出しちゃいたい」


「勘弁してくれ、明日締め切りの短編を書かないといけないんだ。ソファは来週って約束だったろう。まあ、君が僕の小説の感想を教えてくれるなら、良いよ?」


「いい。それは、いい」


 頭をふるほど強く言って、本嫌いの妻は風呂場に消えていった。


「お父さん、これ、何とかして」


 娘がタブレットを持ってくる。


「ん? ああ、ロックがかかったのか。……はいよ」


「いえーい、ユーチューブー♪ ユーチューブー♪」


「あ、ナツミ……このまえ童話を書いたんだが、読んでみるか?」


 その答えを、未だに僕は家族から聞いたことがない。


    ◆


「よお、久しぶりだな」


 先日、夜中についさみしくなって田舎の古い友人に連絡してみたところ、彼はたまたま今日東京に来るというので、強引にメシに誘った。

 高松は、少しめんどくさそうに昼メシだけな、という答えをくれて、僕らは短い会食の機会を得た。

 新橋駅から少し歩いたところの和食屋を適当に選び、年季の入った一本杉のカウンター席に並んでかけた。夕方に会う編集者とも新橋で待ち合わせなので、丁度良い。


「ところで高松さ、この前メールで送った小説。あれ、読んでくれたか?」


 あ? と口ひげをお茶に濡らしながら、彼は続けて「ああ、あれ」とまとまった息を吐き出し、やり場に困ったような視線を店内の虚空へと一旦さまよわせてから、すっと流れ刺すような視線を投げてきた。


「てかさ、三田。お前、なんで今さら、そんなもん書こうとしてんの?」


「え、いや。楽しいかな、って思って」


「お前、ずっと自分は理系だ、とか言ってなかった?」


「いや、理系かどうかなんて関係ないだろ。むしろ理系の作家なんていくらでもいる」


 彼はそのとき、少し吹き出した。


「作家て。ああ、何でもないけどさ」言いながら高松は手を振って、「俺、セリフのとこだけしか読みたくないんだよね。それでも、マンガすら最近じゃキツくてさ」と目頭の部分をつまみながら、右手を煙たそうに振った。


「じゃあ、お前は本は読まないのか?」


「ああ? ほとんど読まないなあ。まあ、なんたら賞取ったとか、そんなのをたまに電車の暇つぶしに買うけど、それも最後まで読んだことないわ」


 ふーん、と鼻を鳴らす以外、僕にどんな反応が出来ただろう。

 それはまるで、何の価値もないお前の駄文など、誰が読むかと言わんばかりの雰囲気だった。

 そして、彼はほっけ定食の身をほぐすのに夢中になりながら、最後のとどめを刺す一言をぽつりと放って、この日の僕の小説の話題を封殺した。


「まあ、何か賞でも取って本屋に並んだら読んだるわ」


    ◆


 僕は深夜二時過ぎに帰宅して、ぐわんぐわんする頭を引きずりながら小説の残りを仕上げようとPCに向かっていた。


 結局、夕方に会った『編集者』と名乗る人間は、自己出版の勧誘営業だった。

 彼は自己紹介が終わって即座に『読みましたよお、あなたの『現実ではブラックで家畜だったので、異世界では女王様の豚になりまぁす』!!』と盛大に全くあずかり知らぬ作品名をほざいて、隣席でスタバってるカップルの失笑を買ってくれた。

 すぐに目の前のフラペチーノ以下の温度感となったその場は、自己出版の説明会に早変わりし、僕の収穫はそのフラペチーノだけという塩梅だった。

 もちろんすぐに、僕はニュー新橋ビルに駆け込んで、終電超えるまでハシゴしてからタクシー帰りで散財をして、今に至るわけだった。


 まったく、筆が進まない。いつもは、小説を書く時は飲まないようにしているんだ。文が乱れたら、読者の人たちに申し訳ないから。


 そう思いながらも、どこかで「お前の読者なんて、いるわけないだろう」という内なる声を冷静に味わっている自分がいる。


 僕は、最近はじめたWeb小説サイトのマイページをすがるように開いた。

 そこから、星を探した。コメントを漁った。自分の小説についての世界の答えを知るために、何度も手元のマウスをクリックする。


 昔から、普通に生きていきたい、と思っていた。だから、思春期はファッション雑誌を読みふけり、大学時代はタバコを吸ってカッコつけたがる集団と意識高い系を装って女の子を見つくろい、マジメでつまらない会社にお固く就職して、結婚を決めた。

 出世したいと思えるほど仕事が好きでないと気がついて、無難に役職なし等級を上げることだけを目指した。それも完了して、家のローンや娘の養育費の目処もついて、老後の蓄えも見込みをつけた。


 で、もう人生はどうでも良くなった。


 思えば、小さいときからアニメやゲームが作りたいなあという無邪気な思いを封殺して、手堅く無難な選択しか、しようとしなかった。


 そんな時にふと、自分で小説を書いてみて、自分は死ぬほど大変なことを始めようとしていたのだと気がついた。今まで漠然と流していた映画、ドラマ、小説、アニメ、ゲームなど、あらゆるもののクオリティがとんでもなく高いものであったなど、作ったことの無い人間がどうして知り得ようか。


 そして、どうしようもなく、小説を書くことが止められない自分に気がついた。


 勉強も、就職も、仕事も、恋愛も、全部そこそこ適当にやってるだけで何とかなっていた。

 でも、物語を想像すること、文字で紡ぐことの遠大さに、狂おしいほど魅せられた。

 世界のあらゆる創作物が、輝いて見える。この感動を、誰かと分かち合いたい……!!


 だが、現実は残酷だ。


 僕が生まれ育った周囲には、本が好きな人なんて一人もいない。今も、そう。


 色んな人の伝記を読んでも、誰もが将来を啓いてくれるような偉大な師に出逢っているものなのに。

 どの作家の技法書を読んでも、誰もが執筆に切磋琢磨する仲間がいる前提で書かれているものなのに。


 僕の人生には、そんな人はいなかった。みんな、無難で退屈でつまらない金太郎飴みたいな人生の過ごし方しか紹介できないような、『人生は我慢が当たり前』なんて蟻んコでも知ってそうな知恵しか、僕には教えてくれなかった。


 だから今夜も、マイページを漁る、ほしめぐり。


 特別なことなんて、何一つない人生だったから。

 せめて、空想の中でだけは理想を追い求めていたい。

 

 僕は一人ではないって、すがっていたい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほしめぐりにすがりたい。 入川 夏聞 @jkl94992000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ