不思議な彼女 その十一




 例の店員は用件があって、俺達が陣取る枇杷びわの座敷に訪れた機会と同時だったのだろう。よく見れば、来店した俺と友希ゆうきに対応してくれた店員だ。

 その店員も間もなく気を取り戻したようで、驚いていた顔を整え折り目正しく目的を告げた。


「お客様、失礼します。EJTの一条様が到着されました」


 間違いない。友希ゆうきが手配してくれた相手だ。


「ありがとうございます。その、手配してくれた女性はもしかして、先に帰りましたか?」


「え、ええ、その通りです。タクシーを誘導された後、枇杷の座敷のお客様にそのむねをお伝えするようにうけたまわりました」


 嫌な予感ほど良く当たる、とは友希が言っていた。響きは悪いが、人類が生き延びて来た要因の一つだろうから、ネガティブに感じる事はないんだと言い切っていた。

 危険予測が出来ない生き物が、子孫をのこせる確率なんてたかが知れている、とも。


 そうだとしても、俺が落ち込むだけの打撃力には変わりなかった。


「え~、キィは先に帰ってしまったのかい?」


「一条さんの車のタイプは分からないけれど、私達が乗ると定員から溢れてしまうから、キィは譲ってくれたのかしら。日本の一般的なタクシーの乗客定員って、三人よね?」


 俺の左側から、ジェフとメアリーの質問が浴びせられる。言葉で応える気にもならず、頭の自重に従い項垂うなだれれるがままになっていた。


「お客様、申し訳ございません。お帰りの前に、確認させていただきたい事がございます」


 俺の様子に、気遣いと恐る恐るが混ざる店員の声がする。それを機に、俺も気分を切り替え顔を上げた。


「はい。何でしょう」


「領収書をお持ちしましたが、ご予約いただいた通りの手配にいたしましょうか」


「領収書? 会計は、後で俺宛に職場に届く手配になっているはずでしたよね」


「おっしゃる通り、後日ご請求させていただく手筈でしたが、お支払いはより現金で頂戴しました。へ改めてお伺いを立てて欲しいと仰いましたので」


「は?」


「その上、心付けまでしていただいて恐縮です」


 店員は、報告と適切な役割を果たしていた。店員には何の落ち度もないが、俺はのおかげで思考停止を起こしたため、譫言うわごとのように繰り返してしまった。


から、心付け?」


「Well,Kokoroduke is like a tip.And......」


 俺が、この店員と座敷の入口で鉢合わせした時に口走った事が聞こえていたんだろうな。店員が英語で説明している。非常に丁寧で分かりやすいアメリカ英語だが、フランス留学経験でもあるのか? 懐かしいフランスなまりの英語だ。


 って、いや、違う。俺が突っ込みたいのはじゃない。


「あ、いえ、日本語で大丈夫です。あの、彼女はだと貴方に伝えたのですか」


「は、はい。確かに」


 確かに、この手の店ではあずかり知らない相手からの会計を受け取るどころか領収書を切る訳がない。そのための方便だとしても、これは。

 今も店員が領収書の受け渡しをどうするのか聞いているが、それどころじゃなかった。


 顔といわず、全身が一瞬にして火照ほてる。ジェフが再びけたたましく笑っていた。止めてくれるはずのメアリーに動きもなさそうだ。


 俺の前方には店員がまだいる。少しでもさえぎりたいがために、手を使って顔を覆う。顔が、熱い。今まで数え切れないくらいの恥や失敗を重ねて来たが、人生で初めてじゃないかと思うくらいの有り様だ。


 俺って、こんなに赤くなる奴だったのか? 鏡を見て確認するまでもないくらい赤面しているはずだ。これでは耳も赤いし、体中が熱暴走を起こしているようだった。


 もう、赤を通り越して緑色になっているのではないかと非現実的な心配まで起こしてしまう。


 そこで、動揺する俺を見たジェフの笑い声が刺さる。


「今すぐ、そのくちを縫い付けてやろうか。彼女に余計な事を吹き込みやがって。その上、俺が席を外している間に、彼女から俺の女性遍歴を聞き出して笑っていたんだろう?」


 俺は、正直に認めていた。八つ当たりだと思われても構わないところまで追い詰められている。だから、ここは恨み節も込めたせいか、喉がしぼられ恫喝するような響きになってしまう。


「い、言ってない! 言ってやろうと思ったさ! でも、キィの方から話を反らして来たんだ。それに、さっきの話を聞いていなかったのか? お前の女関係の話なんかで盛り上がる暇なんてなかったさ!」


 ジェフの演技じみた言動は無視するとして、どういう事なんだ?


「普段から指輪を付けていたり、キィを呼び捨ててるとか、あ~それから、顧客にラムネを渡した時『が持たせてくれました』って、お前の一方的な願望を言った事なんて伝えてねぇよ!」


「お前に言われなくても、指輪の事は会ったその日に指摘されて説明済みだっ。そのっ、だからっ」


 恥ずかしさに声の加減も誤り、訂正や言い訳の言葉まで続かなくなってしまった。店員がまだ目の前に居るのに、どのようにしてこの場を収めて切り抜けようか。


 その事だけに、俺は注力を強いられていた。



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