不思議な彼女 その九




『一緒に途中まで帰れるね』


 今は空席になってしまった場所に目をやりながら、友希ゆうきの言葉をもう一度繰り返す。憧れていた、学校や会社帰りの約束をした気分になる。


 本当は、友希の家まで迎えに行ったり、送り届けたい。でも、それ以上の条件が俺をあのアパートメントに縛り付けた。


 友希の『ただいま』と『行ってきます』は、俺が欲しかったものの一つだったから。


「いや~、キィの申し出は助かった。拾うか配車サービスを使えば良いって話だけど、確実につかまるキャブの方が安心できる」


 友希の提案には、ジェフの語り口もご満悦の様子だ。俺の嫌な予感は当たってしまい、先程ジェフが受け取った着信はオフィスからの呼び出しだった。

 着信の内容を濁すジェフの様子に、すかさず友希が移動手段の手配と同時に席を外してくれたのだ。


Hey heyおいおい,come on!戻って来いよ


 ジェフが乾いた手を使って叩く。余計なお世話なくらいに響く音で、俺はジェフとの会話に向き合う機会を得た。


「大きな音を立てるな。場所もそうだが、ここは日本なんだぞ」


「おっとと、スマン」


 片手を口元くちもとに持っていくと、ジェフは謝った。ルールを遵守する近代文明人には、『ここは日本』の文言は本当に効果がある。この店の雰囲気も、一役を買ってくれているのかもしれない。


「さって、本題といこうか」


 ジェフが、わざとらしく指を鳴らす。無言を通す俺に対して、気拙きまずくなった時の態度である事は間違いない。


「おめでとう。


「そいつはどうも」


 何もかもが演技じみているジェフが差し出した握手に軽く応え、俺は感覚を枇杷ゼリーに戻した。


「何だよ、その態度は。キィがいる時と全く違うじゃないか」


 ジェフは、呆れたと言わんばかりの溜め息と一緒にその一言を吐き出した。俺の気を引くためだと分かっているので、無視をしてゼリーをくちに運ぶ。


「それにしても、キィって面白いね。オレの話に区切りが付くまで、相槌あいづちを一つも打たずに黙っていた。それに、日本人が発する質問を一切しない。例えば、日本語がお上手ですね~、顔が小さいですね~、外人なのに低身長ですね~とか」


 最後の低身長の部分は、ジェフの私怨じゃないのか? 確かに、日本人がよく言う質問だな。でも、西洋人に対して顔が小さいと言うのが褒め言葉だと思っている日本人はいまだに少なくない。

 顔が小さい。頭蓋骨の容量が少ない。頭が悪そう。その連想から気を悪くするのにな。


「オレの方がチープな質問をしてしまったくらいだ」


「へぇ?」


「何で、あんな凄い物語が書けるの? って尋ねてしまった」


「彼女は、どう答えたんだ」


「キィはこう言った。『目の前でシロアリとアルゼンチンアリを傍観していたからでしょうね』だって。お前、何の事か分かる?」


「蟻?」


 全く友希と結び付かない単語に、そのまま聞き返してしまう。それでも、答えようと友希との会話を思い出そうとするのは、質問に答えられないのが悔しいから。

 この世で一番、友希の事を知っているのは俺でありたいと証明したい。


「アリの答えも面白いし、不思議だよな」


「は?」


 俺が、いつもの無視を決め込んでいると判断したらしいジェフは感想を被せて来た。


「お前は、ワルプルギスの夜に彼女を口説いたのか? よく生きて帰って来たな」


 脈絡がない急な言葉に、蟻の話の脳内検索が止まってしまった。しかも、カトリックのくせに軽々しく“ワルプルギス”だと? 今日だって、午前中の奉仕活動を終えてから来ているって言うのに。

 この辺りのジェフの感覚は、俺には理解できない。もっと友希のように、柔軟に考えるべきなんだろうか。


「おいおい、今日のお前は本当にポンコツだな。この程度の軽口くらい、いつもならすぐ返すだろう?」


 思い切り西洋人のジェフから、ポンコツと言う単語が出た事に腹をくすぐられる思いだ。しかし、小馬鹿にされている響きがかんに障った。


「聞き捨てならないな。俺はいつもと変わらないし、彼女を魔女呼ばわりしないでくれ」


 ワルプルギスの夜は、今のヨーロッパ圏内の古い習慣と宗教が混在した由来がある行事だ。今では五月一日に行われる北欧を中心に行われる春の祭りの事だが、この国では魔女集会のイメージが強いらしい。


「疑いたくもなるさ。今日、初めて会って少し話しただけだが分かる。日本人特有の察しの良さや、どんな話題にも対応する知識や関心を示すスキルが異様に高いように感じた」


 友希に対する評価には違いないが、科学的な評価なのか非科学的な観点なのかが迷う言い方だな。


「何故なら、オレが気分良く話せるような、または上手く引き出す質問を投げてくるからだ。キィの様子も何というのかな、安心感? みたいな。まるで魔法にかかっているかのようだった」


 褒められている、とは思うのだが複雑な気分だった。友希との会話の心地良さと安心感を、俺以外の誰かが共有していると思うといびつな独占欲がわき上がって来る。


 今の俺はやはり、ジェフが言うように“ポンコツ”なのかもしれない。だから俺は再び、友希がいない席に視線を向けてしまった。



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