不思議な彼女 その七




「最後に話をめくくったのは、アソーさんでした」


「もう、苦しいから止めてくれ。You're killing me.そのジョーク面白い You're killing me面白すぎるから!」


 何なんだ、この状況。見た所、友希ゆうきの話でジェフが笑い転げているのか? メアリーを見ると、俺に視線を合わせたまま、ゆっくりと首を振る。


 『イ』『ヒ』『ハ』が連続するジェフの笑い方と声量は、男同士か仲間内で発する本気の笑い方だ。この笑い方は、メアリーでも聞く機会は少ないんじゃないだろうか。

 元々、声が大きいジェフだが女性の前では声も笑い方も作っている。余裕と自信を示す手段として声を作る男は多いだろう。格好をつけたり見栄みえを張るのは、男の本能の一つでもある。


「お~、やっと戻って来た。No.2大きい方を出してたのか? それとも、一人でたのしんで来たのかい?」


 許されるなら、殴ってやりたい。何という事をサラリと言ってしまうんだ、このバカは。女性の前ではヘソから下の話を避けていた、昔の英国紳士のように振る舞えとは言わない。せめて、食事時にする話なのかどうかくらい判断して欲しい。しかも、友希とは初対面なんだぞ。


 考え事をしながら入口で立ったまま見据えていたせいか、ジェフは肩をすくめて見せる。ただはっきりしているのは、ヤツは全く反省していない事だ。


「考え事が長引いただけよね? 台所や洗面所で考え事をしたり、気を抜いている事が多いもの」


 ジェフの品位のかけらもない発言を無視して、俺を擁護してくれる友希の指摘には、素直に感動してしまった。その友希に視線を移すと、俺に向かって両手を揃えている格好だった。仕草の意味が分からず、友希の手の平と切れ長の目を往復してしまう。


「ポーチを返して頂戴?」


「あ、いや。タオルは洗って返すから、俺が持って帰るよ」


「手ぶらのが、スーツに合わないポーチだけを持っていたら違和感があるでしょう? それに、その予備がないと不安で震えてしまう」


 不安と言う割りに、俺に気をつかわせまいと、渡しやすいように微笑んでいる。そう見えた俺は、抵抗感すら削がれてすんなり手渡してしまった。


 それに、の後に何をどう話を振れば良いのかも分からない。時間も経っているし、座敷での話題の流れも変わってしまっているのは明らかだった。禍根は残るかもしれないが、ここは全て切り換えて場の流れに任せてしまうのが得策だと判断する事にしよう。


「ありがとう」


「お礼を言うのは俺の方だよ。助かった、ありがとう」


 言いながら戻った俺の席は、もう食べ終えていた弁当が下げられていた。代わりに水菓子デザートが置いてある。ガラスの器に満たされた透明なゼリーの中は、細かく刻まれた枇杷びわの果肉が金魚が器の中で群れを成して泳いでいるように見える。その姿が、時を止めて封じ込められているみたいだ。

 意図して入れられた気泡は、水流を表現しているのか? 固さが異なるゼリーを混ぜたのか。この状態で仕上げるための手間を想像してしまう。


 水菓子を観察を終えた俺は、身体を友希に向けた。水菓子よりも先に手を出したい事がある。


「お願いがあるんだ。タイを結び直して欲しい」


「もちろん、任せて。ついでに、化粧水も塗って良いかな?」


 俺の様子から、水で洗い流しただけだと判断したのだろう。タイを渡しながら、友希の意向に従う旨を伝える。


「帰ったら、家に置いてある私のクリームを塗ってケアした方が良いよ」


「うん、そうする」


「無作法ですが、見逃してくださいな」


 友希が律義に、ジェフとメアリーに断りを入れた時点で、俺は目を閉じた。


 目を閉じた俺の感覚に、次々と侵入する。俺の前髪を、掻き上げてくれる友希の指。ポーチから、友希が愛用する小分けされた化粧水を手にする音。その化粧水は、日本酒を製造しているメーカーから発売している物だが、アルコールの匂いはない。

 冷たい友希の手が、俺の顔に化粧水を塗ってくれる感触。タイが滑る音。俺の感覚は、友希が与えてくれる物で支配されつつあった。


「はい、おしまい」


「友希さんが結んでくれると、安心感が違うよ。ありがとう」


 照れ隠しなのか、片手をヒラヒラさせながら友希は身体を正面に戻した。その時、やっと俺は気付いた。友希の正面に置かれている水菓子は、匙一つ入れられていない事に。


 手を付けずに、俺を待っていてくれたのか? 見れば、ジェフの器は完食状態。メアリーの器には、ゼリーが半分残っていた。


 俺が気付いていなかった山札から、手札を切っては提示している。俺は、そんな気分にさせられた。友希が持っていた知らない一面カードに、翻弄ほんろうされっぱなしで混乱してしまい、俺は平静を装いながらも言葉の選択に戸惑っていた。


「へ~、そうやって窪みディンプルを作っていたのか。それにしても、って器用だね。相手の首にタイを結ぶのって難しくない?」


 俺の混乱をよそに、窪みディンプルを作り出した鈴蘭のラペルピンを、友希がフラワーホールに戻したタイミングで、ジェフが質問をした。


「待て、って何だよ」


 耳慣れない響きに、会話の流れを寸断してしまうのを承知で尋ねてしまった。ジェフと友希を交互に見ていると、普通に答えが返って来た。


「私の方から、お願いしたの。ずっと“先生”って言われるのも変な気分になっていたから」


「お前と先生の名前が似ているし、言いにくいからオレ達で勝手に付けた。良いセンスだろう? お前はシィ。先生はキィ」


 俺が席を外している間に、同僚達との距離が縮まっているようで安心して良いのか、警戒した方が良いのか。


 生返事をした俺は、複雑な気分を抱えながら枇杷のゼリーに匙を入れた。



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