雨の声 その二




「毎日、起きたら髭剃りはするけれど、夜には伸びてしまうんだ」


「うん」


 そりゃそうやろ。個人差はあっても男性ならではの特性やしな。悠士さんの髭は薄い方とは言え、女性の顔に生える生毛うぶげと比べたら断然太いし濃い。いや、太かったし濃かった。


「その、俺は友希さんと触れ合うのが好きだから、思いっ切り肌を合わせるだろう?」


「うん」


 間接的な表現やけど、とかの事やね。


「友希さんって、肌が柔らかくて繊細だよね」


「普通じゃないかな。ただ、個人差はあるとして女性の肌は男性と比べて四分の一の薄さしかないのは事実だよ」


「え、そうなの?」


「ネットで見た情報だけど、大きく外れた誤報ではないと思う」


 何やねん、この遠回しな言い方。


「俺、さ。友希さんと直接肌を合わせた愛情交換が出来るようになって嬉しかったんだ。だから調子に乗って時間を忘れて触れ続けたら、友希さんの肌が荒れて赤くなってしまっただろう?」


「この部屋に来るようになった頃だね。確かに、そんな事もあったな~。それは仕方ないじゃない。その手の切断面って、目視出来ないだけでかなり鋭いから、女性より乳幼児への接し方の方が気を付けるべきよ」


「今は友希さんの話をしているから、話を反らさないで欲しいな」


「ごめんなさい」


「あ、その。俺こそ、ごめん。言い方が強かった」


 いやいや、鋭いよ悠士さん。そこまで言われると結果は想定できたから、似た情報を持って来て話を反らそうとしたのは事実や。

 こうなったら、悪足掻わるあがきついでに意地悪でもはさんどこうかな。


「私のために医療脱毛してくれるのは嬉しいけれど、次に付き合う人が髭好きだったらどうするの?」


「は? 何を言ってるんだよ。次の女性なんか考えてない。俺は、友希さんと」


 悠士さんが不自然な所で言葉を切った。思ったより冷静で困るなぁ。言質が取れると、私の願が叶いやすいと思ったのに。


 ここで『友希さんと結婚するから、他の女なんか選ばない』とか『この先も、ずっと友希さんと一緒に居る』なんて言おうものなら、別れる事を前提に交際をしている現状を否定する。つまり条件を破壊する事になるから、本音の告白と別離が紐付けられている事は自覚があるって訳やな。


 逆を言うと、ここで言葉を切れたって事は、悠士さんは今の関係や環境を崩したくない。まだ私と一緒に過ごす時間が惜しいと思ってくれてるって事やんな。


 ホンマに、困ったお人やで。


 最初から、私が一方的に有利でたのしめる条件を承知の上で呑んだのが鹿ノ島かのしま悠士ゆうしって人や。呑んだ時点で、私がどんなに見下げ果てた人間か、悠士さんほど賢くて優秀な人なら分かりそうやのにな。それとも、私の言い分をくつがえす自信でもあったんかな。


 こんな私みたいなモンを、信用せん方がえのに。


 さあ、どないしはるん? この空気。私が引導を渡そうか? 私は、いつでも引く覚悟は出来ているからな。


「友希さん」


「ん?」


「サクランボ、食べようよ」


 急にどうした? そらぁ、夕方のお茶タイムに悠士さんが用意してくれはった、お高級な国産のサクランボを食べる約束にはなってたけど。

 言われてローテーブルに置いてある腕時計を見れば、十七時〇三分。要は時間切れのため、この話はおしまいって事か。


「分かった。食べる」


 私も様やない。約束は守るし、不愉快になった訳でもない。むしろ、ディベート未満ではあるけれど、スリリングな会話は楽しかったし、何よりもサクランボは楽しみに待っていた。


 そこで私は、悠士さんの腕から脱して立ち上がり、悠士さんを正面に捉える。眼鏡を頭の上にずらしながら顔を近付けた。


「ん~、ふふっ」


 悠士さんが、満足そうに鼻と喉の奥でわろうてはる。唇を離す時に、少し音が立つ。丁度、リップクリームを唇同士で馴染ませて開いた時の、シャボン玉が弾けてしまうような、そんな音。


 悠士さんとのキスは好き。悠士さんの唇や舌は、柔らかくて本当に心地がくて。こんなに素敵な感覚を味わえただけで私はもう満足。こんなに素敵な男性が、この世に存在していた事を確認できただけで安心したわ。


「友希さんからのキスは、特に嬉しい」


「まぁ、お肌スベスベの理由を教えてもらったし、も含めているかな」


 私も、ここで世話になる以上は、お互いが不快な思いのまま居たくない。得るもの、共有できるもの、今後の成長に繋がる情報交換は実行したい。


 何とも、おめでたいご都合主義やけど、責任やリスクってのを味わうのも大人だから出来るもんとちゃうんかな。


「では、珈琲コーヒーれて参ります。悠士君は、サクランボを食べる準備をお願いします」


 見よう見まねの敬礼で、姿勢やセリフは正しても、私がやるとおどけているのはご愛嬌あいきょうや。そんな私に合わせて、悠士さんも乗ってきた。


「はい、承知しました」


 立ち上がった悠士さんは、私と向かい合い敬礼と一緒に応えてくれた。視線も合うと、ほぼ同時に小さく笑い出す。そんな悠士さんは、私の腰に手を回しながらキッチンへを私をエスコートしてくれたのだった。



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