六月 友希編

雨の声 その一




 立葵たちあおい 明ける空を 望みつつ


 いつもの週末。屋根とルーバーの間から見える空の色は、濃淡が散る鈍色にびいろ。ちょっとした事がきっかけで、ご縁が出来たご婦人の庭の白の立葵が下から三分の二の位置まで咲く時節。


 立葵ってのは、螺旋状に下から上へと咲く。梅雨入りと共に下段から咲き、梅雨明けの頃に頂上の花が咲く。昔から気象庁の梅雨入り宣言より、この立葵や栗の花の開花、蛍の群れの出現の方を信用しとる。


 チョコレート色のローテーブルに視線を移すと、黒を基調とした無骨なデザインのオーバースペック腕時計が、午後の一六時三十二分を示す。

 その隣には卓上計。気温十九度/湿度五十パーセントを表示中。鳥肌は立たへんけど、袖や裾の長さに迷う室温ではある。


「ねぇ、友希ゆうきさん。これ、何て書いてあるの?」


 綺麗に整った鼻の奥で笑いを含ませながら、宇宙で一番の男前が背後から上着のように覆ってきた。私の腕の外側から、悠士さんは腕を回して私の目の前で例のノートを広げて説明を求めてはる。があるから、さむっとはならん訳や。


「おっと、これは失敬。このページから、急に左利きになろうとしたんだと思う」


「本当に急だね」


「左利きって、格好良くない? それに、いつ利き腕が使えなくなるか分からないでしょう。備えよ常に、だよ」


 シレっと言葉を並べる私やけど、の左肩に顎を乗せる悠士ゆうしさんの振動が、くすぐったくて仕方ない! 何とか、表に出さんように耐えながら応える。


「あぁ、これってもしかして、隔離・収容・保護の財団の用語?」


「バレたか。フィクションにしてはリアルな表記だったり、格好いい表現だったから参考までにメモ書きしていた物だよ。このサイトのおかげで、創作小説にも未来があると確信したから、今の妄想家としての私があるんだよ」


「妄想って。小説家で良いじゃないか」


 クスクス笑う悠士さんの鼻息が私の肌を撫でる。わざとだとしか思えん。


 何なん? この状況。座敷の一件で、愛想を尽かされ幻滅の果てに別離を想定してたのに、何なん、ホンマにこの状況。まるで熱々のカップルやないの!


「ナンバリング/0180・JP/月向葵か。俺も、このレポート好きだよ」


「良い話よね。ここだけの話、ボロボロ泣いたわ」


「実は、俺も。この二人って、実際に夢の中で会話をして触れ合っていたと思う?」


「思う。断言するよ。あの財団の世界観ならあり得る」


 むぅ~ん。サイト上で展開されている、世界中の人がナンバーを振って創作したトンデモ物語の話題で盛り上がってる場合なんやろうか。ノート数冊を持って来たのも『座敷事件』のその日の夜に、何も変わらへん様子のメッセージが届いたからこそや。


『今、用事が済んだよ。一条さんを呼んでくれて助かった、ありがとう。友希さんは、もう家に着いた?』


 普通~のメール。恨み節も、事情説明の要求もない。私の嫌がらせの全てをスルーされた内容や。こうなったら人として、食事会のお礼や諸々のやり取りを済ませると、そこからは何もかもが元通りですわ。電話もメッセージのやり取りも、通常運転でしたわ。


 するとだ。通話中に何かのきっかけがあって、私が話す情報源と悠士さんの認識の相違があった。昔、書き込んだノートに証拠があると電話で語ると、悠士さんがそのノートを見たがった。ってのが流れやね。


「このナンバリング、友希さんのお気に入り?」


「なかなかの癖があるでしょう」


 そ、それより、こりゃまずいで。悠士さんの肌とか息やら毛先やらが、首や肩に触れてるから変な声が出そう。わざとか。わざとやろ、これ。


「くすぐったい?」


 やっぱ、わざとやんか! でも、くちを開いたら変な声がって、あれ? 今一つ、刺激物が足りんような気がする。


「その前に待って。悠士君のお肌、やけにスベスベなんだけど」


 そうや。どんなに男の人が気を遣ってくれたとしても、チクチクする髭剃り跡がない? ほぼ真横にある悠士さんの顔があると警戒しつつ、あえて私は頬を悠士さんの頬に当てた。


 案の定、悠士さんは私の眼鏡の存在なんてお構いなしにキスしようと体勢を素早く変えて来た。


「おっと、質問に応えてもらおうか」


 持っていたコントローラーで口元くちもとをガードする。普段、あまり表情を動かさない悠士さんが、濃いけど手入れされてるなって印象の眉を上げ、視線を反らした。

 冗談混じりの不満を表しているのは分かる。それにこの様子は、先月に会ったジェフさんみたいな感じだから、少し面白くなって小さく笑ってしまった。


「答えたら、キスしてくれる?」


「それは関係ない。スベスベの秘密を教えてくれないなら、ゲームに戻っちゃうぞ」


 私も、冗談っぽく答える。正面のモニターに出力されているのは、我が国で一番有名なハンティング系のゲーム画面。話をしている間にクエストターゲットのモンスターに体力を削られ、出発地点に戻されとる。安全地帯に操作キャラクターがおるから、私は正味の話どちらでも良かった。


「医療脱毛だよ」


「二度と生えて来ない、って訳ではなさそうだけど、思い切った事をしたね」


「友希さんの肌の方が大事だから」


「なぬ?」


 悠士さんの髭と、私の肌との脈絡が繋がらず妙な返事をしてもうた。



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