不思議な彼女 その二




「あなたが自慢していた桜、今はどうなっているの?」


 メアリーが話を切り込んできた。俺の鈍い反応に待ちきれなくなったんだろうな。


「桜のオブジェ、オレも見たよ。って言うか、自慢気に何度も見せ付けられた」


 丁度、話題が閉じたのか、恋人を置き去っていた事に気付いたのか。ジェフは、メアリーに上半身を寄せながら話に割って入って来た。


「違うわジェフ。あれは『イケバナ』って言うのよ。でも、本当に素晴らしかったわ。花器に浮かぶ桜の花弁が、池や川に浮かぶ風景のようで」


「今は別の花を生けています。ご存じかもしれませんが、あれは花筏はないかだとも表現するんですよ」


 かなりぬるくなった緑茶を美味しそうに一口飲み終えた友希が、さり気なく説明する。


「花の舟。ああ、もう何て素敵な表現なのかしら。だから日本は私の心を掴んで離さないの」


「オレは? そんな事をオレの前で言っちゃうのかい?」


 ジェフが物欲しそうな響きを込めながら、メアリーに向けた童顔を左右に小さく振る。


「あなたは別。比べようがないくらい、特別な存在よ」


 するとメアリーは慣れた様子で、俺達の前でジェフにキスをした。

 

「止めろよ。ここは、をするようなカジュアルな場所じゃない」


 さぞ、うんざりしたように聞こえただろうな。この店はその昔、オーストリア=ハンガリー帝国へ嫁いだ女性と所縁ゆかりがある一角に構えている。時間帯や客層の間口は広いが、全ての客の質を問わないほど寛容ではない。


 そもそも、俺がこの店を知ったのは、シニアパートナーの通訳で相伴しょうばんあずかったから。

 料理も店側の対応も素晴らしく、様子を後日ジェフに話したところ『オレも連れて行け。予約しろ』と公私混同の上司命令が下った訳だ。


 友希にも、食事とこの上質な雰囲気を味わって欲しかった。と言うのが最大の理由だったけれど。


「堅い事を言うなよ。キミ達も、散々してるんだろ?」


 普段通りのジェフの軽口は気が気じゃない。根は真面目な友希が、不機嫌になったり不快にならないか心配だ。そんな本人を見ると、顔色も変えずに天井を見ていた。


 この店は友希にとって、興味深い面白い造りをしているらしい。座敷に上がった友希の第一声は『出来損ないのコンサートホールみたい』だった。これはネガティブな表現ではない事を、俺は知っている。

 表通りのテーブル席とカウンター席。俺達が案内された通路の先にある四つの個室は、三階分程度の天井の高さを保ちながら繋がっている。


 結果としては、音が乱反射して歓談会場のようなノイズはポジティブな演出として利用客を包む。


「でも、意外だったよ。あえて何も言わなかったのに、悠士くんがに気付いてくれるなんて。屋外の本物の花筏には見劣りしてしまうけれど、気分は味わってくれたみたいで良かったよ」


「花の付きも良かったから、散った時どうなるんだろうと思っていた」


「掃除の心配の方が大きかった?」


「実は、その通り」


 俺達は、その場で顔を見合わせて静かに笑った。


「来年は、一緒に花見がしたいよ」


 心から、そう思った。友希が用意してくれた小さな桜の風景も捨てがたいが、青い空の下で満開の桜を一緒に見たい。アルコールが苦手な友希に合わせた一品の候補もある。


「こんな風に弁当も良いけれど、桜餅を食べたい」


「どっちの?」


「どっち? 何でそんな事を聞くんだい?」


 ジェフが横槍を入れて来た。一瞬、会話の邪魔をされてイラッとしたが、確かに気になる。ピンクの小さなクレープ状の生地に、こし餡が包まれているヤツの事じゃないのか?


「東日本の長命寺ちょうめいじは、薄い生地でこし餡を包んでいる物です。西日本の道明寺どうみょうじは、干したもち米を砕いた物で餡を包んでいます。色合いは、両方とも同じですけれど」


「へぇ~、調べてみよっと」


 友希の説明を受けたジェフは、テーブルの上に置いていた携帯端末で検索し始めた。同じ名前と目的なのに、東と西で違うのか。でもまぁ、どこの国でも地域差による対抗意識はあるよな。


「今なら、水饅頭とか、わらび餅、笹饅頭。涼しげで透明な和菓子が出始めるよ。水無月みなづきは、白っぽいかな」


「ミナキ?」


「見た目が苦手なので、行儀が悪いですが自宅でいただく時は、ひっくり返して食べてしまいます」


「み、み、み~」


 片手に端末を持ち、片手は唇を撫でながら、水無月について検索を開始したらしい。加えて、連続する小さな舌打ち。このジェフの癖、友希は苦手そうだな。友希の様子を見ようとした時には、検索を済ませたジェフが端末の画面をこちらに向けた。


 涼しげなガラスの皿に濡れた笹の葉。乗せられているのは、二等辺三角形に切り分けられた白い土台。その上には、潰されずに敷き詰められている小豆あずき


 少し、苦手な形状だ。特に小豆の状態が。生理的な嫌悪感がわき上がる気配に対し、本能的に代償行為や助けを求めてしまう。この場合、隣にいる友希を見る。不快さを掻き消す、俺の癒しと精神安定要因だから。


 すると、友希も俺の方を見ていて、その切れ長の目と合った。俺達は、ほぼ同時に顔を見合わせ、同じように控え目に小さく声を立てて笑う。


「あの時と同じじゃないの。動画で見ていたたけのこの、うぅ」


 友希は当時を鮮明に思い出したらしく、両手をこめかみ辺りに持って行きさすっている。


 俺も、同じ事を思い出していた。


 友希が好んでいる、動画配信者の番組を一緒に視聴していた時の事だ。配信者達が許可を得た上で、知人が所有する竹林でタケノコを掘り起こしている風景。その根元は、集合体恐怖症の覚えがある人間にとっては困った様相を呈していた。


 その時も、俺達は今と同じように不快感を払拭ふっしょくするため互いに目を合わせて、申し合わせもないのにリンクした行動に笑ってしまったんだよな。


「な、何? 何なの二人して。タケノコで出来てるのかい? このミナキってヤツ」


 俺達の様子を理解できていないようなジェフが、恐る恐る尋ねてくる。


「そうじゃないよ、タケノコは別件。集合体恐怖症にとっては、困った和菓子だなと思ってね」


 水無月には全く罪や問題はないが、こればかりはどうしようもない。画像で見ているからこその問題もある可能性があるし、実際に見て食べてみると『美味しい』で済んでしまうかもしれない。


「たけのこ、ねもと。で、検索してみれば? こっちに見せたら、ここの支払いと精神的苦痛に対する賠償を請求するからな」


 検索しながら俺の言葉に理不尽さを訴えていたジェフだったが、目的の物を目にしたのか静かになった。


「別に、何て事ないじゃないか。こんな物に反応するなんて、日本人って変わってるな」


 人種なんて関係ない。お前の感性に訴えたのが間違いだった。とは、面倒な展開が予想できたので、それは言わずに無視して食事を続ける事にした。



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