五月 悠士編

不思議な彼女 その一




 約束の五月中旬。やや曇りがちの晴れ模様の気温と気圧は、初夏に向かう気配となって、この国の首都を覆っている。


 その中にあって、俺が友希ゆうきを惚れ直すのは、これで何度目になるのだろうか。


 俺が予約した座敷の個室。約束の時間に合わせ、店員に案内された同僚の二人が入って来た時。すると、あらかじめ座布団を外していた友希が三つ指をついて出迎えた。今も、初対面の相手に臆する事なく会話を成立させている。


 それが例え、日本語を不自由なく操る西洋人であってもだ。友希がどんな反応をするのか好奇心もあって、単なる同僚というだけでどんな相手なのか前情報を渡していなかった。特徴もバックボーンも伝えていないのに、本当に感心してしまう。


 談笑の気配さえ漂う中で、友希の順応力、度胸、何より相手との会話を途切れさせない話題の豊富さと選別の感性には改めて驚かされた。動画配信や、ラジオの仕事が順調なのもうなづける。


 友希と同僚が早く打ち解けている理由。これについては、もう一つの要因が大きいのかもしれない。彼らは『士村しむらとき』の作品のファンなのだ。『士村とき』の作品は、言い回しや内容が英文から和訳された文章に似ている部分が多々あるからではないか。俺はそう推測している。


「うっわ、楽しみ~。先生の直筆キャラクターとサイン入りの本。去年、コイツが手に入れた時に自慢して来てさ、羨ましいの何のって」


 イタリア系アメリカ人のジェフリー・G・シェルバ。低身長だが、映画俳優と名乗っても信用してしまう程の褐色の髪と目を持つ色男。今も、童顔を隠すために整えてる顎髭あごひげさすりながらご満悦な様子だ。


「お忙しいでしょうに、私達二人分を依頼してしまって心苦しい限りですが、正直、凄く楽しみです。美しい日本語で彩られる先生の作品は、本当に大好きなんです」


 アイルランド系アメリカ人のメアリー・ファレル。典型的な金髪碧眼の美女で、容姿も経歴も洗練されている。メアリーの親日度合いは、独学で日本語を習得する程かなり高い。


「ライトノベルで『ウェストファリア体制』とか『インテリジェンス』を感じさせてくれるとは思わなかったよ。しかも、璜準コウジュンのモデルがインノケンティスウス三世とか痛快でしかない!」


 一二一五年の第四ラテラン公議会で、『教皇は太陽。皇帝は月』と言った第一七六代のローマ教皇だ。色々と、逸話が絶えない人物だったはず。


 分かりにくいかもしれないが、友希の作品には知る人間なら分かる人類史の片鱗に触れる事が出来る。女性の関心を引く事にしか興味がないように見えるジェフが、膝を叩いて興奮を表現しているのは、彼は歴史が好きだからだ。

 異国での歴史認識を友希の作品に見出し、嬉しくて仕方がないのだろうな。


「私の元ネタは人類史ですからね。妄想と組み合わせたり、“諸説あります”の解釈を、そのまま作品にしています。とは言え、整合性と再現性がない作品にはしたくはありませんので、その辺りは気を付けております」


 俺だって気付いた。俺の方が先に、吉田さんの店で友希の作品を見付けた。友希と対面したその場で作品のファンだと伝えたし、『軍使ぐんしを引用されるなんて、感心してしまいました』と、友希へ言ったんだ。


 そうしたら、友希は本当に嬉しそうに軍使について語ってくれた。俺も楽しかった。こんな話をしても、誰も応じてはくれなかったし共有も出来なかったから。


「でも、最初に気付いてくれたのは悠士ゆうしくんだよね。しかも、こうしてファンも二人増やしてくれて、ありがとう」


「そんなもの、当然じゃないか」


 これって以心伝心いしんでんしんと言うのかな。これはまずいぞ。嬉しすぎて、変な顔になっていないか不安になる。


 それより気になるのが、座っている位置だ。揉める程ではないが、ジェフとメアリーが来る前、席順の事で友希と意見の相違があった。上座と下座の問題だ。

 仲間内の場なので堅い事を持ち込む必要はないと提言したのだが、うっかりジェフは年下だが上司だと伝えてしまったのが最後だった。


 普段から交わす友希とのdebate討論は、俺にとって癒やしの時間でもある。でも、上座下座問題の一件は、一方的に畳み掛けられ成立さえしなかった。


 一方で、日本の習慣には詳しいはずなのに、ジェフはレディーファーストよろしく上座をメアリーに譲った結果、友希の前にジェフが座る事となり会話が途切れない。しかも、二人の趣味が合うのか話が弾んで友希が時折、楽しそうに笑い声を立てる。もちろん、この場所に合わせた品のある小さなものだ。


「あ~、それ分かるわ~。本音を言っちゃうとさ、その手の話を独自解釈で作品に落とし込まれたストーリーは苦手かな~?」


「現実的な知識があると、その乖離に違和感があるとかですか」


「フィクション、エンターテインメント、って頭では分かっているけど、どこかで不満があるんだよ。素直に受け止められない」


「日本人の悪い癖ですよ。悪意のない寛容さ、とでも言うのでしょうか。その上、人畜無害の顔をしながら、他国の伝統や観念を破壊している事に気付いていないのです」


 友希とジェフの話が気になって、口に運んでいる一流の松花堂しょうかどう弁当の味も分からない。箸で何をつまんでいるのかさえも。


「ちょっと、? ちゃんと話聞いてる?」


 テーブルの上に置かれた向かい合う弁当箱のふたの間。塗り箱が会食で出された時、開けた蓋は本体の向こう側に置く。この場にいる全員が出来ている。

 その内の一人、白い指先を彩るカフェラテ色の爪の持ち主が、コツコツと小さな音を立てて俺の意識を向けさせる。


「は? 何?」


 メアリーが話し掛けているのは気付いていたが、友希とジェフの話に集中してたから聞いていない。俺の前に座るメアリーが、チラチラとジェフと友希を交互に見る。碧い視線で会話を遮るようにと訴えているのは明白だった。


 今となっては、女性によくあるこの態度さえも比べてしまう。友希は、俺が何かに集中していたり、何も考えず黙っている間は干渉してこない。本当に、友希と居ると何もかもが心地い。


 同時に、落ち着かない自分に気付いている。何故、いつも顔を合わせているメンバーに友希が加わっただけで、後ろめたさのような焦りと罪悪感が湧き上がっているのか。


 それは短いながらも、メアリーとを持っていた時期があったからだ。



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