ラムネ味の朝 その四




 それにしても、帰宅後すぐの風呂。すっかり、私の習慣が移ってしもうたな。私は花粉を落とす目的で、始めていたのが習慣化しただけやのに。

 私に合わせてくれるのは嬉しいけれど、無理してへん? って、心配になる。


「ご馳走様ちそうさまでした」


「お粗末様そまつさまでした」


 キッチンのカウンター席で、食後の挨拶を交わす私達。私の左隣に座る悠士ゆうしさんは、雑に水分をぬぐい取った濡れ髪のまま、食事を終えてしまった。


 時間的に小腹が空いているだろうと、風呂上りの悠士さんに、すぐ準備出来ると提案したのが次の三品。


 一つ。一〇〇ミリリットルの生クリームを角が立つくらいホイップしたものと、同じく一〇〇ミリリットルの牛乳を加えて作った、苺味の贅沢フ○ーチェ。

 

 一つ。小さなお茶碗には目玉焼きに見立てた、黄身を混ぜた丸いおにぎり。中身は、昭和の朝の食卓の定番だった、海苔のり佃煮つくだに。その周囲を風味付け程度の和風出汁だしと、ふりかけ三姉妹の次女が清楚な彩りを添える。


 一つ。ホンジュラス産の中煎ちゅういりの豆を手挽きした珈琲コーヒーをベースに、珈琲コーヒーリキュールを入れた大人の冷たいカフェ・オ・レ。


 どれが良いと問うと『全部』という返答だった。加えて、冷蔵庫で寝かせてあるフレンチトーストや、他のデザートもご所望だったけれど、それは阻止。さすがに時間的に重すぎるから。


「とても美味しかった。でも友希ゆうきさん、意地悪だな。ちゃんと料理が出来るんじゃないか」


「料理も化学反応の延長よ。想像したり、説明書通りにすれば出来上がる。それに、これを料理と認めてしまうと、悠士くんが作ってくれる料理に申し訳ないわ」


「また、そんな事を言う。でもさ、友希さんの負担にならなければ、また手料理を食べたいな」


「分かった。食事の準備している時って、割りと楽しかったのよ。だから、悠士くんの料理を手伝えるようにもなりたい。その時は、教えてくれると嬉しいな」

 

「本当? 約束だからな?」


「うん、いいよ。約束する」


 はにかむ。って、こんな笑顔の事を表すんやろか。照れて、恥ずかしそうに、困ったように微笑んでいる。クシャリと乾いた紙が音を立てて、表情が崩れる感じ。破顔はがん、とも言えるんかな。


 悠士さんって、ビジネス目的以外の表情を動かしたり、不意を突かれて浮かべる感情とか見られるのも苦手そう。今も自然なんやけど、ぎこちない。


「ねぇ、友希さん。髪を乾かして欲しいな。終わったら、耳掃除。もちろん、友希さんの膝枕で」


「うん。その前に、食器を浸け置きさせてね」


「じゃあ、お言葉に甘えてソファーで待ってる」


 私の提案に対して、待たされるにもかかわらず、悠士さんは満足げな笑顔で応えてはる。それを確認した私は行動に移した訳やが、今回の要求は自主的やね。いつもは私が誘って、悠士さんが渋々応じてくれる流れだったのに。


 あぁ、そうか。私は明日、午前九時に一条さんが迎えに来たら、そのまま仕事回りをして地元に帰ってしまうからか。今回は、見事にすれ違ったもんな。


「それでさ、友希さんにもらったラムネ、容器ごと人に渡してしまったんだ。ごめんね」


「それは大丈夫だけど、ラムネを欲しがるなんて珍しい」


「書類を出した時に、仕事先の人に音を指摘されたんだ。あれって、特徴があるだろう?」


「そうね、確かに」


 さすがに仕事内容の機密には触れないけれど、『今日の出来事』を横になったまま、悠士さんは私のももの上で報告してくれる。

 話を聞きながら、悠士さんの耳掃除をしているが安心した。ここは男前でも同じ。新陳代謝で老廃物は溜まるし、毎日入浴していても耳には溝が多いから汚れも見落としがちや。特に耳の裏側は本人から見えない分、気を付ける必要がある。


「見せると『懐かしい』って、色々と説明してくれて。ラムネを皮切りに昭和の話で盛り上がった」


「昭和って言っても、ラムネの話は悠士くんの年代になると微妙に分からないんじゃない?」


「そこは、友希さんのおかげ。よく昭和生まれの自慢を話してくれるだろ? ラムネはレモネードを聞き間違えた、とか。栓をしているビー玉を取るために、ガラス容器を割ってたとか。危険視した世論を受けて、容器の材質が変わったり、飲み口が取り外し可能な容器に変更になった、とかさ」


「本当に? 若い人には『また始まった~』みたいな話なのに、どこで役に立つか分からないね」


「相手の方は俺より少し年下の部下を連れていたんだけれど、その若い部下の人と、こっちの上司は置き去りだったよ」


 状況を想像すると面白いな。耳掃除の手を止めて、悠士さんに息が掛からないように顔を反らして笑ってしまった。


「でも、助かったのはラムネの件だけじゃないんだ」


 悠士さんの声量が落ち、少しだけ緊張している。この音の変化は、つい身構えてしまうな。


「昼頃、友希さんと通話しただろう? あの時、割りと焦っていたんだ。友希さんの事が心配だけど、移動する時間が迫っていて上司にかされて」


「原因の一端を感じるわ。ごめんね」


「友希さんは、悪くない。俺に未熟な部分、残っているから。俺の方こそ、悪かった」


 言葉が途切れ出した?


「でも、驚いた。オヤジと、同じ事を言うんだから。『仕事に集中しろ』ってさ。友希さんは」


 私の名前が出てから十秒以上が経過したけれど、悠士さんの話が止まってしまった。左半身を上にしている悠士さんの肩が、ゆっくりと規則的な呼吸に合わせて上下している。


 おや? 寝てはる? 


 朝も早かったし、公私共に気を遣い果たしてるし、そりゃ疲れるわ。しかも、適度に胃に物が入って消化に機能が集中して、この状況では落ちるのも納得。


 気温と湿度は、エアコンによって快適に保たれているので問題はない。手触りが良い、大好きな日本製のタオル地タイプの肌布団が、悠士さんを包んでいるから風邪は引かんやろ。


 とは言え、や。


「大の男が、無防備な姿をしてはいけないな。だから、こんな事されてしまうんだぞ」


 腿の上 打ち上げられし 大男


 改めて見ると、でかいな悠士さん。そう言えば、ジョンさんと並んだ時、同じくらいやったもんな。じゃぁ、一八〇センチメートルくらいあるって事か。

 そのせいもあってか、カウチタイプのソファーなのに快適に眠っているとは思えない。


 身長差や遠慮もあって、普段は触れたくても触れられない悠士さんの髪。昭和の人には通じる言い方だと『中坊カット』と、モダンな言い方だと『ツーブロック』の中間あたりの髪型。量が多くて艶がある黒髪は、少し柔らかくてクセがある。


「ぶっ細工さいくなオバサンに、こんなに優しくしてくれたり、彼女だと認識してくれて本当に有難う」


 半分、タヌキ寝入りを疑いながら、表面を撫でたり指先を差し入れてくしげる。何だか懐かしい気分になるのは、思い出しているからかな。私に少しだけ触れて、安心して眠っていた『あいつ』の事を。


「おやすみなさい」


 さすがに悠士さんを運ぶ事は無理なので、しばらく寝ていてもらおう。そもそも、カウチソファーとはいえくつろげない姿勢だから途中で起きるだろうし、それまでこのまま待つか。


 リモコン操作で照明を落とし、PCモニターに映していたノイズ代わりの動画も電源を落とす。


 薄暗くなったリビングには、静音設計の空気清浄機の駆動音と悠士さんの寝息が環境音となって、私の世界を席巻し始めていた。



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