ラムネ味の朝 その二




 やや広めに取ってある玄関スペース。突き当たって左正面にはに水回り。さらに突き当たって右へ進むと、カウンター式のキッチンがあるリビングダイニング。右手に洋間が二部屋。


 リビングから見える景色は、散歩の通り道には良さそうな公園と小路こうじ。その向こう側に、住宅やアパートメント諸々の建物や木々が適度な間隔で並んでいる。

 目隠しルーバーのおかげで、ソファーに座っている分には外部からの視線は気にならないといった感じ。


「しっかし、急に暇になってしもたな~」


 部屋の主・悠士ゆうしさんの返事はない。朝の五時前にスマートなフォンに呼び出され、十分足らずで支度を済ませて仕事先へ向かった。


 その様子は、ちょっとした見世物だった。何故、起きたばかりであんなに素早く準備が出来るんや。

 食事も、サーバーからの水とサプリメントやナッツを放り込むだけ。せめてものにと、上京する際も常備しているラムネを容器ごと進呈し、仕上げのタイを結んで、どさくさに紛れて『いってらしゃい』のキスをして送り出した。


 そんな悠士さんは支度の途中、何度も私に気遣きづかいと、謝罪の言葉を掛けてくれはった。


 それにしても、今日は土曜日なのに珍しい。という訳で、悠士さんは早朝から仕事で不在。私は先方の都合で丸一日、予定が白紙になった。

 なので、花屋さんが開店するまでのんびり過ごし、時間を気にせず玄関とリビングに花をけていたので、今が何時なのか少々気になっている。


「お昼近いやん。時間つん早いな~」


 独り言が多くなっていると自覚しながら、視界に入った置き時計の針を見ていると、もう一つ気付いたモンがあった。


 ローテーブルの上には、花屋さんに行く前から置き忘れていたスマートなフォン。Eーメールと通話着信を告げるシグナルが点滅と表示を繰り返していた。


 わざわざ用意してくれた、悠士さん専用のスマートなフォン。元々、仕事用とプライベート用の二台持ちやったのに、これで三台目になってしまった。こんなにガチャガチャ持ってる人ってるんか? いいや。意外にも、るかもしれん。


「んお!?」


 そりゃ、変な声出るって。Eーメールだけで十通、着信が三件。時間的に、玄関で桜を生けてる頃合いか。


 と、言う事は、そろそろ着信が来るのでは? その前に掛け直すのがすじやろうと操作していると、悠士さんからの問い合わせの方が早かった。


「はい、も」


『もしもし、友希ゆうきさん? 良かった出てくれて。どうした? 具合でも悪いのか?』


 悠士さん、凄い勢いでかぶせて来たな。しかも質問攻めである。お腹でも壊して、お手洗いに篭城していると思っているのかもしれん。


「大丈夫、ドレッシングルームで顔面エクササイズしていただけ」


『は? 顔面エクス? いや、無事なら良いんだ。それより、今は話しても大丈夫?』


 うん、嘘やからスルーして結構です。そこは口に出さず、悠士さんに続きをうながす。


『大事な話があるんだ』


「そう」


 大事な話。先程の勢いとは違い、声も抑え気味で告げられる短い言葉。桜さん、こんなに早く願いを叶えてくれはったんか。


『でも今日、遅くなりそうなんだよ。先に寝てしまっても大丈夫だけど、俺が帰ったら起きて話を聞いて欲しいんだ』


「うん、分かった」


『本当にごめん、勝手な事ばかり並べてしまって。必ず埋め合わせをするから。それと』


 悠士さんの話が続いているけれど、内容が一方的で声が近くなったり離れている。これは、早めに通話を切り上げた方が良さそうやな。時間を気にして腕時計を見ているか、通話と並行して事態が動いているようやね。


『冷蔵庫の物、好きに使ってくれて大丈夫だから。デリでも良いけれど、宅配ボックス越しで受け取ってくれよ』


 私の食事も含めて、どこまで過保護なんだ。私、五十のババァ(※友希が自身だけを差している名詞です。女性は、お嬢さんと淑女レディーしか存在していません)なんやで?


 いやいやいや、そんな事より。


「急な休日出勤なのに、悪態もつかず身支度を整えている悠士は、とても格好良かった。こんな素敵な人が私の彼氏だなんて、本当に誇らしいよ」


友希ゆうきさん?』


「私は筋金入りのインドアよ。一人で過ごす方法なんていくらでも考え付くから、悠士くんは仕事に集中して」


 悠士が黙ったな。落ち着いてくれたみたい。


「お言葉に甘えて、冷蔵庫の物をいただきます」


『あ、あぁ、好きなもの、あるはずだから』


「ありがとう、じゃあね。待ってる」


『うん、またな』


 華麗に一件落着。スマートなフォンをローテーブルに戻し次の一件に向かった先には、シャンパン色の二〇〇リットル・スリードアの冷蔵庫。ハタハタと開いては閉じての感想は。


 余所様よそさまの 食料庫とは 秘境かな


 確かに、すぐ食べられそうな物はあった。本来、女である私が食材を搬入し、下拵したごしらえをして、悠士さんに食事を振る舞う。


 あるべき当然の事象や。しかし、現実は悠士さんが毎週気合いを入れて食材を買い込み、外食が苦手な私のために店で覚えた味を再現しようと食事を用意してくれはる。


 私は料理をしないし、出来ない。お湯を注ぐか、混ぜて火を通す事が精一杯や。食品ロスより、元は生きていた生命でもある食材を不味く調理する方が罪深いからな。


 実際、悠士さんが作ってくれはる食事は美味しいし、メニューを任せても不満はない。好みも似ているのが幸いしているけど、これじゃ家に居る時と変わらんやないか。


 用意された物を頂戴する。好きも苦手も関係なかった。だから、家族は私の食の好みを把握していない。会食恐怖症を抱えている事も、その理由すら知らん。


 その会食恐怖症も、この年になるとビジネス目的であればねじ伏せられるようになったけれど。人間って、意外に都合良く出来ているモンや。


 ただ不思議な事に、悠士さんとの食事は不快ではない。


「野菜でもかじって済ませようと思ったけど、恩返しくらいは、しとかんとな」


 風呂に入るには早い時間。ゲームする気分でもない。今、動画鑑賞をしても寝てしまいそう。東京ここでの仕事は、明日にならんと済まされへん。


 じゃあ、どないする? ザッと冷蔵庫の内容物を見た時点で、既に絵図面えずめんは引き終えている。これはもう、足りひん食材を調達しに行くしかない。


 大事な話が済んでしまう前に、休日出勤をねぎらわせてもろても、バチは当たらんやろ。


 出来る女は、荷物が少ない。そうありたいと願う私は、それそのままに手ぶらで部屋を出た。得物財布と鍵は、東京での外出着スリーピースのスーツに収められている。


 靴音も高らかに、ジャケットのボタンを留め直し、裾や袖を整えているとふと疑問が浮かぶ。


「悠士さんの労働基準法、どうなってんの? 朝五時起きで、夜も遅くなるって一周以上回ってるやん」


 世界は、平等でも公平でもない。分かりやすい数字をあげると、貧困層の約三十六億人の資産と、富裕層の八人の資産はイコールで結ばれているらしい。性別、環境、能力差、格差は残酷だが確実に存在する。

 誰かが手放した役目や仕事を、別の誰かがけ負い役目や仕事が果たされ世界は回る。


 つまり、能力が高く勤勉で真面目な人間ほど割りに合わない構図でもある。


 願いは、流れに対するあらがいに似ているのかもしれない。


 などと考えつつ、私は階下に移動するために、エレベーターのボタンを押した。



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