四月 友希編

ラムネ味の朝 その一




 東京二十三区内でも治安が良く、かつて母が仕事をしていた某区。大通りから道一つ入ると騒がしくも、静か過ぎる事もない適度な雰囲気。

 部屋は道路側・公園側に別れている、内廊下の五階層アパートメント。共用部はオートロックにメール・宅配ボックス、駐輪場とゴミ集積所。


 そう言えば。警備会社のステッカーやオートロックがあればセキュリティーは万全と思いきや、先月やったかな。共連ともづれされた、ここの住人らしきお嬢さんが変な男に絡まれてはった。やっぱ世の中、安全神話なんてモンはないな。


 世話になっている間取りと床面積は、2LDKの60,36平米。ディンプルキーで開錠して玄関を開けると、そこには青空を背負う八重桜。


 お日様代わりのライトと、青空は布地を背景にしているので割りと違和感はない。悠士ゆうしとの約束通り桜をけた訳だが、下手すりゃ二十年ぶりやろか。

 今日、花器と花材を用意してくれはった花屋さんが同じ生け花流派の免状持ってる人で助かった。

 しんは辛うじて覚えていたけど、そえたいはどっちが左手前で右側だったのか、スッカリ忘れてたもんな~。


 とは言え、よ。私のセンスは錆び付いてはおらんようや。うむ、良い感じにけられた。


 ディンプルキー じっと見てると ちとキモい


 集合体恐怖症というヤツ? いいや、そこまで過敏でもないな。ここで世話になるまでは、最終的に同じ区内のマンスリーマンションで落ち着いてた。そこはカードキーで怖かったな~。パキッと折れそうとか、磁気で飛んでしまうんやないかとヒヤヒヤしてた。


 例の流行病はやりやまいが、世界で大混乱をもたらしていたのが数年前の話。その頃から、我が国でもようやくリモート作業が普及し始めた。

 本来、小説関連の打ち合わせや諸々の作業で、頻繁に上京する必要はないと言える。


 けど私は新人のクセに、わがままを通させてもらった。壮絶なインドア派やのに、口実にしたのは内緒の話や。

 そんな感じで、最初は二~三カ月に一回か二回のペースで上京してたから、気ままなホテル泊で楽しんでた。


 その内、ありがたい事に色々と面白い仕事に呼んでいただいて。挙げ句、有名な占い師さん、動画配信者さんとそれぞれ組んでラジオ放送に声が乗る奇妙な現状に至る。


 人生、何が起きるか分からんもんや。しかし、最も理解に苦しむのは私に男性パートナーが出来てる事。


 その男性の名は、鹿ノ島かのしま悠士ゆうし


 十人いたら八人くらいは男前やと答えるやろね。背も高いししてはる。

 しかも、宇宙で一番の好みのパーツを全て込めた容姿。私が男の人やったら、こんな風になりたかった! まさにソレそのもの。吉田さんの喫茶店で、改めて面と向かって顔合わせした時。


『これ、何の罠?』


 と、思ったくらい。まず容姿もさることながら、キャラメルのような声にかれた。こんな事は悠士さんには直接言えへんけど、長くて濃い睫毛と少し垂れた目尻がこれまたいのよ。大型犬とか、タヌキみたいでなごむ。面白い事に、性格は一匹飼いしている猫みたいや。

 男性の割りにヒゲもやや薄め。なのに、筋肉も程良く付いて身体も締まってるし、指や肌の触れ具合も匂いも含めて、悠士さんの全てが心地い。


 あかんて、あきまへんて、駄目だって。最後の最後で、こんな最高のご褒美を頂戴ちょうだいする訳にはいかん。

 法では裁けない大罪を重ねている私が、を受け取って幸せな日々を重ねる事は出来ない。私はいくつもの仮説を立てた絵図面えずめんを描き、選んだ通りの現実を受け入れて過ごしている。


 生まれた時点で運を使い果たしているし、最高のギフトを頂戴してしまっているのに。


 なのにそこへ、想定外の鹿ノ島悠士が現れてしまった。


 思惑から覚めた私の視界には、ミニチュア状態の桜の姿。他の花も混ぜるか迷ったが、二種類の八重咲き桜でまとめた。それが、最も美しい姿だと判断したから。


「皆、桜さんの事が好きで、すぐそばで見たいんやな。でも私は、まだ見るのがつらいわ」


 つい、声が出た。こぼれ出した言の葉は勢いを増し、言霊ことだまたれと願いを込めて重ねる。


「桜さんや、私のお願いを聞いてくれへんやろか。鹿ノ島悠士さんの意識もさらって欲しいんや。私なんか、霞んで見えなくなる程に」


 私は通過点でえんや。あんなに素敵なお人には、私もより若くてスタイルも良くて美人で品があって、学歴も家筋も財力も立派な女性こそが相応ふさわしい。

 その女性を幸せにして貰うための、になれる手伝いが叶えば、それでかまわへん。


 一つ、悠士さんに問題があるとするなら、少々独占欲が強いから、セルフコントロールが必要なくらいかな。


「はんっ、アホらし。人様の玄関で、何を言うとるんや」


 弱気になっている自身が情けなくなって、急にいらっとした。落とした枝や花を包んで片付けながら、改めて腹の内で願いを整える。


、本当の運命の人が現れたから別れてくれ。いままで、ありがとう』


 と、目を覚ました鹿ノ島悠士が、私に告げてくれる日が来ますように、と。



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