桜の国の彼女 その四



「大変だな、その花粉症」


 不埒ふらちな考えも不安も払いたくなって、俺は話を切り出す。女性を気遣きづかえる、を演出したい見栄もある。


「小学生からの付き合いだから、もう慣れたよ。当時は肥厚性鼻炎ひこうせいびえんとか、アレルギー性鼻炎って診断されて、花粉症なんて言葉はなかった。悠士ゆうしくんの世代なら、花粉症は存在していたんじゃないかな」


 言いながら、友希はコントローラーをローテーブルに置くと、俺の右隣に座り直した。友希は、いつも俺の話を聞く体勢を取ってくれるし、その余裕を備えていてくれる。俺の見え透いた気遣いは、本物の気遣いにはかなわない。


「じゃあ、この時期は大変だな。どこも花見の話題ばかりだし、会社とか友達に誘われるだろう?」


 誘われる。その一言に、自虐的な質問だと我ながら感心する。


「無いね。花粉症以前に、アルコールも煙草タバコも人混みも得意じゃないのは私の周りは知っているし、なインドア派だと上司に刷り込んでいるから、上司がかばってくれるんだ。それに」


「それに?」


「現代人の花見が美しいとは思えない。悪い場面ばかり見ているだけかもしれないけれど、周辺住民に迷惑を掛けたり、桜に意地悪をしているようにしか見えないから」


 友希が変わっているのは、作家だからだと思っていた時があった。これは、俺以上に厄介な視点の持ち主なのだと改めて実感していると、友希が少しだけ会話の切り口を変えて来た。


「世界中に桜の名所はあるよね。もう、花見は日本独自の文化じゃない気がする。USA米国にも桜の名所があるじゃない。ワシントンD.C.のタイダルベイスンは有名だし、ブルックリン植物園には全米最古の日本庭園の一つがあって、素敵な桜の風景が広がっているんでしょ。その日本庭園を手掛けた造園師の方の名前は、う~ん、忘れた。ノートを見ないと分からないわ」


「そうなんだ」


「そもそも桜はバラ目バラ科で、国花を薔薇にしている国は多い。州花のイメージが強そうだけど、USAの国花も薔薇だったはず。だから海外の人も桜に対して、ポジティブに受け止めているんじゃないかな」


「詳しいね、友希さん」


「普通じゃないかな、このくらいの情報。インターネットも普及して久しいし、こんなの誰だって手に入る情報だよ」


 そうかな。クライアントに招かれて、何度か日本の花見に参加したけれど彼らは大抵、次のように自慢をする。


『こんなに素晴らしい桜が見れるのは日本だけです。存分に楽しんでください』


 会社も、学歴も身なりも立派に見えたのにな。


「悠士くんも、今年の花見は済ませたでしょう? 東京のソメイヨシノは、もう散ってしまったものね」


「うん、まぁ、その通りなんだけど、俺は友希さんと花見をしたい」


「私と?」


「そう、友希さんと」


「ん~む。八重桜も残っているし、北上すればソメイヨシノも咲いているだろうけれど」


 友希は、ソファーの背もたれに上半身をあずけた。俺とは逆方向になる窓の外を見て、静かに一つ肩で深呼吸をしている。

 公私共に花見を断っていた友希に対して、俺の願望を伝えてしまった事で不機嫌になったのか、呆れたのか。友希の一挙手一投足が気になって喉の渇きさえ感じ始めた時だった。


「じゃあ、桜をここでけてあげるよ。駅からの通り道に感じの良い花屋さんがあったから、桜の花材かざいくらい何とかなるでしょ。無理なら最終手段もあるし」


 どうかな? と言わんばかりに俺の方に顔を戻して、切れ長の目に質問を張り付かせている。そこには微笑みが添えられていて、互いの事情を中間で折り合いを付けたような解決方法だった。


「費用は全部、俺が出すよ。何なら、今から一緒に買いに行こう」


「そこは私に任せて欲しい。そうしないと、お楽しみが減ってしまうよ?」


 こんな事を言われて、断れる人間が居るなら会ってみたい。俺だけに用意してくれる、友希との桜の時間。その期待は俺が持つ意地も、支えにしている信念すら骨抜きにされるような錯覚すらある。


 友希の提案に陥落した俺は嬉しさのあまり、友希の前で振る舞うはずだった緊張感か解けてしまったらしい。追い払ったはずの衝動が、再び襲い掛かって来た。


「じゃあ、を今すぐ頂戴ちょうだいしようかな」


 甘えたくて、欲しくてたまらなくなった。こんなもの、あらがえる訳がない。俺はソファーの上で友希に向き直ると、俺を見ている友希の顔に掛かっている赤い縁の眼鏡を取った。


 キスするよ。俺達だけの合図。


 今は不織布ふしょくふのマスクもあるので、外すために友希に向かってもう一度手を伸ばす。

 

「ちょ、ちょっと待って」


 いつもの合図に察しを付けた友希が手のひらでさえぎり、俺の行動を妨害した。


「ん? どうした?」


「マスクしていたから私の顔、凄く臭いから恥ずかしい」


「そんなもので恥ずかしがる仲じゃないだろう? の方が、よほど臭うのは友希さんだって知っているはずだよな」


「生々しい話をしないでよ、うわっ、もう強引だな」


 無許可でマスクを取って、友希の頬を両手で包む。当の友希は、目をそらして不満そうに俺の目的地を一文字に結んでいる。

 精一杯の抵抗をしているつもりの友希には悪いけれど、この反応は楽しい。


 友希を見て美人だと答えるのは、十人のうち二人くらいだろう。本人も、顔と言わず体型についてもコンプレックスを数多く並べ立てる。


 でも。これに気付いているのは、俺だけであって欲しい。友希は、美人とか可愛いんじゃなくて、カッコイイという事を。


 友希のパーツ、声も匂いも、仕草も何もかもが好きだけれど、特に目が好き。友希の目に、憧れすら持っている。俺が理想としている目の形だから。

 切れ長で濃い茶色の底には思慮深い気配を沈めていて、目の雰囲気を動物に例えると猫とかキツネ。でも、性格は犬っぽいんだよな。


 性別や色は違うけれど、俺が知っているwatchdog番犬と、同じ気配を宿している気がするという理由もある。


 今まで出逢った事もない、不思議な女性。全てが鮮烈で、俺をかき乱す唯一の運命の人。


 友希が何を考えていようと、画策していようと関係ない。


 誰にも渡さないし、手放すつもりもない。


 俺は、友希だけに愛されたい。


 俺はもう、友希だけしか愛せない。


 本当の両親とが愛した桜の国で生まれ育った友希が、来年も、この先もずっと俺の隣に居てくれますように。


 友希がれてくれた珈琲コーヒーの香りが今も鮮やかに残る部屋。甘いだけではなく、ほろ苦い複雑な強い香りに包まれながら、俺は祈りに似た無言の誓いを友希に直接注ぎ込む事にした。


 俺だけを愛してくれますように、と。




        【 三月・悠士編 完 】








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