桜の国の彼女 その三
俺は、出来るだけ
一応、本の続きを読むつもりでカップと一緒に持っては来たが、友希が操作しているゲーム画面の方に興味は移ってしまっていた。
「あれ?」
丁度、友希が操作しているキャラクターが
「動画配信をしていた時のキャラクターの名前って、いとしだったよな。これオズって名前になってるけど」
「ふふっ、実はこいしってキャラも居るんだ。住人を増やしたくて、本体を三台持ってるのよ。それに、フ○ミコン時代から使っている名前じゃないから、どうにも違和感があってね」
「オズ? 小さい頃に読んでもらった本のタイトルから取ったのか」
「あぁ『オズの魔法使い』の事? 残念ながら、読んだのは四十過ぎてからだよ。どういう訳か、物心ついた頃に三つのワードが頭から離れなくてね。オズは、その内の一つ」
「は? そんな歳にならなくても、親御さんに読んでもらったとか図書館で読まなかった? それに、友希さんは小説家なんだし本は数多く読破しているはずじゃないのか」
俺の言葉に、友希のゲーム操作が止まってしまった。これは
しかし、この友希の反応は俺の言葉に不快さを感じているとしか思えない。
吐き気に似た不安と共に、俺は謝罪の言葉を選んでいると友希が動いた。
「にふっ」
また、変な音のクシャミをした。例によって、俺に背を向けて肘を折って口元に当てながら。遠慮をしているんだろう。立てる音も勢い付く息も最小限に抑えようとする気配りを感じる。
恋人同士なのに、こんな遠慮はして欲しくない。
「やっぱり、花粉症に効く薬を買って来るよ。近くのドラッグストアに売ってるはずだから」
「大丈夫、大丈夫。もうすぐ放送局に行く時間だし、このまま
再び、眼鏡を外した友希の目が俺に向けられた。位置的に上目遣いの視線がアレルギー反応のせいでいつもより潤んでいる。ただでさえ、男は女性の上目遣いには弱いのに、相手は許されるなら一日中離したくない、たった一人の運命の女性だ。
昼にもなっていない時間だとしても、性衝動を満たしたくなる。男は、本当に簡単で単純で、情けない生き物だと思ってしまう。
「何を考えているか、当ててあげようか」
「止めてください、お願いします。その前に、俺ってそんなに分かりやすい?」
「出会った頃に比べたら、崩壊レベルで分かりやすい部分があるかな」
友希は少し背を反らして肩を上げると、その左手で俺の膝を軽く二度触れる。まるで、大型犬の頭にポンポンと上下させて触れる感じ。もっと具体的に表現するならよしよしされている気分だ。
相手の性別や年齢を問わず、人付き合いに関しては割り切って目的を果たす事が可能だし自信もある。そうやって生きて来たし、目的のためなら自分自身を偽る事に対しても苦にもならない。
なのに、友希だけが違う。俺が培って来た女性への扱いや処世術、
「男性として、健全な証拠だよ。恥ずかしがらず、誇らしくあれば良い」
さらに、容赦のない
「来週までおあずけになるから、そんな時は無理せず遊びなさいな。相手を見極めて、避妊を忘れず、病気を移されないように気を付けてね」
マスクの奥で、友希が小さく笑う。この寛容さは、どこから来るのだろうか。違う、これはもはや『私も、遊びだけの相手の一人なんでしょう?』と言われているように聞こえる。
「ここは、現場じゃないだろう。そういうアドバイスは、リスナーに言ってくれ」
勝てない。本当に勝てないから悔しくて仕方がない。友希のこの余裕はどこから来るんだ。性別や年齢の差とか、この際関係ない気がする。
友希が今まで何を見て、どんな言葉を口にして、どのような情報を聞いて来たのか。俺の前に辿り着くまでに何を経験したのか。知りたいのに、いつも違う言葉が出るんだ。
それくらい、友希の前では俺の感情は揺らいでいて、話の流れが
そう、今は『オズの魔法使い』で浮かんだ違和感より、このままラジオ番組の収録のために俺の部屋から出ると、友希はその足で地元に帰ってしまう焦燥感の方が上回っている。
友希は万人受けはしないけれど、少数ながらもコアなファンを持つ兼業小説家だ。その独特の観点を買われ、二つばかりのラジオ番組に参加している。
東京での仕事で知り合ったゲーム好きの人を誘い、リモート形式でゲーム画面のまま雑談をする様子や、休憩時間を利用して珈琲の
そんな多目的な活動をしている友希は、小説・ラジオ番組関連の仕事で週末だけ上京する。週末だけしか会えない、俺の運命の人なのだ。
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