スプーキーメソッド

名取

スプーキーメソッド



 不幸中の幸い……いえ、泣き面に蜂という中での幸い、とでも言いましょうか。暴漢に襲われて手足に大怪我を負い、救急外来に運ばれたことが「一つ目の不幸」だとしたならば、「二つ目の不幸」はまさに悪夢のような出来事だったと言わねばなりません。病院に着いて安心しきっているところに、まさか味方であるはずの医者や看護師から、あんなことをされるだなんて。


 医者たちが私に悪用した技術——『プルースト式潜脳療法』が公表されたばかりの頃、世間がこぞって「不気味な手段スプーキーメソッドだ」と陰口を叩いていたのはご存知ですか? 


 ええ、今でこそ『プルースト式』といえば、向精神薬のように副作用もなく、しかも薬以上に効果が出るというので、精神疾患やトラウマの治療には積極的に使われている有名な技術ですが、まあ、当時はひどいことを散々言われていたものですよ。元々、世間は精神病患者に多大な偏見を持っていましたし、「他人の脳内世界に潜るなんて人権侵害にも程がある!」と主張する人権団体も星の数ほど存在しました。けれど、それって矛盾ですよね? 精神病に苦しむ人からすれば、もうすでに自らの病と周りの偏見のせいで、人権なんて剥奪されたも同然の暮らしを強いられていたのですから。

 そんな地獄の様相も、追い風となったのでしょうか……私は専門家ではないので、詳しくは知りません。でもとにかく、プルースト式はあっという間に受け入れられ、今やどこの大病院の精神科にも、潜脳専用の装置が完備されるようになりました。重傷の私が運ばれたのも、そんな病院の一つだったというわけですね。


 今は医者も看護師も、大分薄給だとか。


 聞くところによれば、薬や備品を横流しする看護師や、わざと病を長引かせる処方箋を書く医者が後を立たないとか。これは倫理というより国の政治の問題でしょうが、はっきり言って、人の善意をあてにしすぎたんだと思います。童話作家の私が言うのもグロテスクな話かもしれませんが……でも結局、働きに見合うご褒美がなければ、ひとは誰しも堕落するというのが実際のところでしょう。


 とにかくそんなわけで、哀れな彼らは次の小遣い稼ぎとして、童話作家たる私の脳から金の卵をほじくり出そうとした、と。


 あはは……「創作者の脳が高値で売買される」なんて恐怖譚、一時期は流行ってたものですけどね。実際、自分がその当事者になってみると、なんだか現実味がない感じで。何しろ私は潜脳中、夢の中でも眠らされていて、何が起こったのか全く覚えていないし。


 私が何かしたのではないのか、ですか?


 ああ……実際、なにも。何もしてない。私はね。彼らは全員私の本の読者だったらしいですが、あなたは違う? あ、読んだことがある? 学校で? そうですか……確かに私の本はほとんどが子供向けで、国中の学校に置いていただいていますからね。そこは感謝しきりなのですが。まあ、それを読んだことがあるかどうかが関係しているかはわからないんですが、私の脳に潜った医者たちは意識を取り戻したあと、


「貴方は一体誰なんだ?」


 と延々呟いているらしいですよね。皆、廃人同然のようになって。怯えた目で。

 あなたは、一体どこまで知って、私のところにいらっしゃったのかな。あの医者たちに話を聞いた後で、私の家に来たのかな。

 ああ、そう。

 それならば話が早い。


 私は昔——ひとつだけ罪を犯しました。


 ああ、椅子から立ち上がらないでください。あなたは話を聞いてくれに来たのでしょう? なら、きっと聞いてくれますよね。いえ、どうか聞いていってください。このつまらない告白を。今回こんなことになって——こんなことになるとは思っていなかったとはいえ、私一人の胸には秘密をしまっておけなくなってしまった。だからどうか、お願いします。どうか。ああ、ありがとう。


 私は……昔からずっと、孤独でした。


 あの時代には別段珍しいことでもなかったのですが、それでも無垢な子供にとっては辛いことには変わりなく、つまり母も父も、ふたりとも私を愛していませんでした。始終出歩いていて、幼い私が家に帰れば、そこに待っているのは意地悪な祖母だけ、学校でもそんな惨めな暮らしをからかわれ、級友にも教師にもいじめられる、うじ虫のような日々。

 そんな私の心の支えは、自分自身の空想、そしてその中の友達だけでした。


 来る日も来る日も、私はノートに物語を書きました。


 全員が死ぬ話。私だけが死ぬ話。動物が死ぬ話。木が死ぬ話。海が死ぬ話。戦争の話。子殺しの話。親殺しの話。凌辱の話。

 幸福を目前に、何もかもを奪われる話。


 おびただしい苦痛と憎悪の物語が、みすぼらしい部屋に積み上がり、まるで屍体の山のよう——でも誓って、現実で何か悪さをしてやろうとは考えませんでした。というかその頃には、もうとっくに、現実には見切りをつけてしまっていたのです。私の頭の中で完結するこの小さな恐ろしい世界、そしてなにより、その中で永遠に生き続ける仲間たち——この世の何よりおぞましく愛されない私でも、気後れせずに付き合える、気の知れた千人殺しの怪物たち。もし私が望めば、躊躇いもなく、良心の呵責もなく、私の下らない命を一瞬で喰らい潰してくれる化物達。


 私はそれで満足でした。


 けれど、ある時、それは間違いだと痛烈に気付かされることになりました。その認識は。そう思うこと自体が。悪魔たちを呼び出してしまった。いや、悪魔なのかどうかさえわからない。これは、あれは、一体何なのか。誰なのか。しかし少なくとも、彼らはきっと、私の生命力を食らって育ったのでしょう。

 何たって書くことには、とてもエネルギーが要りますから……。


 ああ、これはきっと警告だ。

 これから先、自分はどうあっても幸福に生きていかなくてはならない。そしてもうこの国のどの子供にも、こんな化物を生み出させてはならないのだ。


 暗澹たる棲家を抜け出た彼らが、外の世界の学校を倒壊させた日、私はそんなことを悟りました。前日、私はいつもよりひどく痛めつけられており、家で死にそうになりながら伏せっていました。夢遊病も疑いましたが、でもどう考えても、子供一人が素手であんな建物を壊せるわけもない。明らかに老朽化による倒壊や災害の被害ではない。確実に誰かに、悪意を持って荒らされた形跡がある。彼らがやったのです。私の仲間たちが。私を殺させまいとして。私が死にたいと願い、身を粗末に扱うほど、彼らは生き延びたいと願うのです。

 私は心底恐ろしく思いつつも、正直に言えばそれでも少しだけ、嬉しく感じていました。自分の力を誇示できたからではなく、もはや孤独ではないと確信できたからです。それだけで、何か世界がぐるりと百八十度変わったようでした。私は試しに、祖母にもっと優しく接するようにしてみました。すると祖母は、意地悪さは変わらずとも案外話のわかる人で、そこまで憎むべきでもなかったとわかりました。彼らが祖母を殺さないでいてくれたことに、私は心から感謝しました。

 それからというもの、私は祖母と自分の食い扶持を稼ごうと、売るための文章をひたすら書き続けました。幸せな世界を描くのは簡単なことでした。基本的には私の世界の反対を書けばいいのですから。そして少しの、私自身の知る幸福を書き入れさえすればいい。

 そうして何ヶ月か練習をしたあと、私は本格的に童話を書き始めました。誰もが楽しく、安心して読める、他愛なくも愛のある、平凡な物語。

 あれほど凶暴だったかつての仲間たちは、私が光の中に近づけば近づくほど、冬中暖かな穴の中で眠る熊のように、すっと大人しくなりました。


 だから、すぐわかりました。


 きっとあの狂った医師たちが、瀕死の私の頭の中で見たものは、売れる話の種を生み出す泉……などではなかったのです。


 私たちは何をしてしまったのでしょう。


 けれどそれが何であれ、そして調査隊の医師であるあなたがこれから私の脳に潜るつもりなのだとしても、最後にひとつ言わせてください。私は私を愛してくれるすべての人に、これからも読者であってほしいと心底願っているのです。


 私と仲間たちのことなど知らぬ——しあわせな無辜の読者のままで。


 

 


 

 


 


 


 

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