第7話 ちょっとSelfishnessなメイド
いい気分で朝の
「なんですか、コレは!」
彼女は、俺の鼻先にエロ本を突き出した。昨日、俺が目につく場所に無造作に置きっぱなしにしたものである。わざわざレンタル倉庫から取ってきた、昔の大事なお宝で、このためだけに余計な手間と電車賃を使ったのだ。おあつらえ向きのを、とても苦労して探し出したのだから、もっと喜んでくれなくちゃ。内容はもちろん、メイド調教モノである。
「ご主人様は私に、これをやれと、暗に
友よ。意図は正しく理解してもらえたようだが、怒りの矛先が俺に向くのは間違っている。
「だってね、佐渡渡さん、気を張りすぎだよ。もっと人生を
「ご、ご主人様が、えっちなことに、関心を取り戻してくれたことは、リハビリの第一歩、だとは思いますが……」
もごもご言うから聞こえない。「ん、なんだって?」
「私は、この雑誌のように言いなりにはなりません!」
「強情だねぇ。ブルマのお尻触られて濡らしてた癖に」
「誰が濡らしたですって!」
「そうではなくて。つまりだね、性的に興奮することは普通のことなんだから、恥ずかしがる必要はないんだよ。言ってくれれば、俺が最後まで気持ちよくしてあげるよ」
「かー、もー、頭にキました!」
「もうちょっと素直になりなさいな」
「実家に帰らせて頂きます!」
風呂敷の中に所持品を要領よくまとめ、きつく結んだ後、背中にひょいと担ぐと、佐渡渡さんは扉の前に立った。
「これが最後のチャンスです。私に出て行って欲しくなかったら、自分の非を認めてください!」
「非だって? ちょっと待ちなさい。俺がどんな悪いことしたっていうんだい? それに、佐渡渡さんの実家、福岡だろ? お金、間に合うのかい?」
「お金なら、ATMで下ろしてきます。じゃなくて! ご主人様は意地悪です。私をいいように
「そんなに俺が憎いなら、いいともさ、どこへでも行っちゃいな! この……助平メイド!」
佐渡渡さんの顔面はさーっと血の気が引いて真っ青になった。見開いた目には大粒の涙が溢れ、すぐにも頬へと伝い出した。わなわな震える口から、彼女らしからぬ弱音が漏れる。
「ひ、酷いです、あんまりです」
(グスグス、あーーーん)
ガチャン!!(扉の閉まる音)
今回は廊下を走り抜ける音が遠ざかっていく。
ズゴッ
あ、転んだ?
タタタタッ
また走り出した。
友よ、あんなにも気丈だった佐渡渡さんが初めて涙を見せただと……?
天を仰がずにはおれない。
どうしたことだろう!
まるで腐れ妻に言われたのとそっくりなことを、この俺が口走ってしまうなんて。
あんなに、家事で重宝するメイドなんて、二度と雇うことは出来まい。いやいや、俺が困るのは、そんな実用面ではないのだ。
小動物みたいで見ていると安らぐ、あんなに可愛らしい生き物は他にいまい。いやいや、そういう猫好きみたいなことではないのだ……
あんなに健気で、俺のことを一途に持ち上げてくれる存在なんて、俺はこれまでの人生を振り返ってみるまでもなく、出会ったことがない。うむ、これである。
かけがえのない存在なのだ、佐渡渡さんは。
女性と本心で向き合うことが得意な男なんているのであろうか。女性は対極の存在にして、決して理解の及ばない生き物である。
佐渡渡さんのニコッが浮かぶ。いやはや、あんなにも年端もいかない純な存在を前にしたら、俺みたいなおじさんは、自分に素直になるなんてできまいよ。そんな相手に熱を上げるのは犯罪にも等しい。
友よ、まさか自分の言った言葉が自分に
「もうちょっと素直になりなさいな」
(すぐに追いかけなければ)
断言しよう、この思いは既にあった。しかし、出て行ったままの方がむしろ彼女のためだとも考えてしまう。
もっとも、佐渡渡さんのことであるからして、マンションのエントランスまで俺が追いかけることを期待して、案外、その辺で待っているかもしれない。
こんな時になんではあるが、腹がすいた。作りかけの料理が台所でシェフの帰りを待っている。ありつけるはずだったお手製の献立を残念がる俺は、せめて気分転換に、早朝から開店しているはずの少し遠いスーパーへと出かけるしかない。
「やっぱり行っちゃったか」
こっそりキョロキョロしてみたが、佐渡渡さんの姿は見当たらない。
エントランスから出たところで、後ろ髪を引かれる思いがして、ふと振り向いた。見上げると……あの小さな影は?
居た!
友よ、彼女は屋上のフチで、仲良しの風呂敷包みと並んで座り込んでいる!
もし万が一、この高さから落ちようものなら、ただでは済まない。なんと大それた行為で、当てつけがましいことをしてくれるのやら。
運動不足の肉体に鞭打ちながら、一気に階段を駆け上る。あの助平メイドをなんとしても叱り飛ばさねば。
「こ、これは想像以上に(ぜーぜー)きついね」
侵入防止の柵をようやく乗り越え、風呂敷包みの唐草模様と佐渡渡さんの背中が見える位置に近づいた。彼女は、膝から下をフチから出してぶらぶらさせている。
「そこを(ぜーぜー)動くんじゃないぞ!」
「ご主人様、運動不足が解消できましたね」
「そんなとこに居たら(ぜーぜー)危ないだろ。すぐに(ぜーぜー)こっちへ来なさい!」
「どうしてもっと早く来てくれなかったんですか」
「そんなこといいから(ぜーぜー)こっちへ来なさい!」
「嫌ですね」
「(ぜーぜー)なんだと?」
「ご主人様が泣いて懇願してくれないと戻る気はありません」
「(ぜーぜー)佐渡渡さん! これは脅しじゃなくて(ぜーぜー)ホントにそこ(ぜーぜー)危ないから!」
「そんな見え見えの説教臭いこと言っても通用しませんよ」
「八年前に(ぜーぜー)そこから飛び降りた住人がいて(ぜーぜー)そのあと、下はぐちゃぐちゃで(ぜーぜー)大変だったんだよ」
「はったりですね」
「そこ、突風が吹くから(ぜーぜー)ホントに危ないんだよ!」
「フン」
ビュウウウウウウ~
突風に押された風呂敷包みがしばらく宙を漂ったかと思うと、真っ逆さまに落下する。下から、細かいものがバラバラとはじけ散るような、軽いけれど、実感の伴った落下音が響く……
「ご、ご、ご主人様」
「だ、大丈夫だから!」
「こ、こ、腰が抜けました。立てましぇん」
きっと下は風呂敷のせいで人がパラパラと集まりだした頃合いだろう。空を見ろ、鳥だ、飛行機だ……佐渡渡さんだ!
「お尻をにじらせて、こっちへ来てごらん!」
「む、むりでしゅ」
「下を見るんじゃないよ!」
ヒュウウウウウウ~
「み、みちゃいましゅたあ~」
「俺の顔を見ながら、ゆっくりと膝を引き寄せて」
「う、うごけましぇん」
「今、そっちへ行くから!」
佐渡渡さんの体が軽いおかげで、捕まえながら引き戻すのに、それほどの時間も力も必要とせずに済んだ。ところが、下はてんやわんやの大騒ぎ。あげく、消防車が出動する事態に。おかげで、二人して、方々で頭を下げなくてはいけない羽目になったのだ。
「ご主人様が脅かすからです!」そういって佐渡渡さんは、見せたことのないふくれ面をする。「八年前とか嘘ですよね! そんなに長く住んでいませんっ」
「そこまで知っていながら。動けなかったのかい? この……へなちょこメイド」
「もうこのマンションにいられませんかね?」
「そうかもね」
「じゃ、一緒に住む場所を探すのはどうですか」
「喜びながら言うことじゃないよ」
「今度は二人で住める広い物件を、です」
「仕方がないねぇー」
「素直になりなさいって言ったのは誰です?」
「そういうことではありません!」
「おなか減ってませんか?」
「作ってくれるのかい?」
「はい!(ニコッ)」
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