第3話 ちょっとSINなメイド

 食卓には美味しそうな朝ご飯が用意されている。台所は、いつものシケた雰囲気から一変して、ピカピカと後光が差すようだ。有能なシェフの手にかかれば、一夜にして、我が家のキッチンを作り替えることも不可能ではない。

 焼き魚、煮物、ご飯、味噌汁――具はほうれん草、豆腐、油あげ。いいないいなメイドっていいな。こんな手料理の献立で食べたのは何年ぶりであろうか。あの腐れ妻は手抜きをすることに関してのみ、その手腕を発揮した。


 見れば、佐渡渡さどわたりさんはデニムのジーンズと質素なブラウスという出で立ちで、つけていたエプロンをはずし、ショートボブからはシャンプーのほのかな香りを漂わせている。

「シャワー使わせて頂きました」

 うんうん、シャワーくらい、いくらでも、ジャンジャン使いなさい。佐渡渡さんが居れば、これから毎日、こんなにおいしい朝食が食べられたのかねェ。今日中には出ていくんだよ、なんて一体誰が言ったのかしら。

「あ、わたし、大学に行きますから、今朝はこれでごめんなさい」

「大学生だったのかい?」

「はい!(ニコッ)」

「どこの?」おっと、これは立ち入りすぎたかな?

「F女学院です」

 あのお嬢様学校の! そんなとこに通っているなんて、良家のご息女だったのかい?

「あの、ご主人様?」

 いかんいかん。「(コホン)どうした?」

「いってらっしゃいって、見送ってくれませんか。なんだか家に帰ったみたいで。ちょっとホームシックかな。気持ちがリラックスしてしまって。実家だと父が時々、見送ってくれるんですよ。今、どうしてるかなぁ?」

 ちょっと待ちなさい。両親とは早くに死別したって言ったように記憶しているけれど、あれは間違いなのかい?

「佐渡渡さんの郷里はどこだい?」

「福岡です」

「お父さんも、離れて暮らす娘にさぞや心配ろうねぇ」

「ち、父が生きていたら。どうしてるかなぁ……?(ちらっ)」

「・・・」

「じゃ、じゃあ、いってきます~」

 ガチャン(扉の閉まる音)。


 佐渡渡さんが大学に出かけてしまうと、とたんに精彩がなくなってしまった。

 つまらぬ。いつもの退屈な日常が戻ってくる。二度寝しよう。


 ♪ピロピロピロ

 また電話である。やたらと頼られまくるのはおじさん冥利に尽きる。けれども、主体性に問題があろう。佐渡渡さんに番号を教えたのは早計ではなかったか。ご主人様に世話されるメイドとは、これいかに。

「どうした?」

「ご主人様、お休み中のところ、すみません」

「いいよ、寝てなんてないから」

「実は、そちらにノートを忘れてきてしまいました。申し訳ありませんが、こちらまで持ってきて頂けませんか? 水色の大学ノートで表紙に商って書いてあります」

「え、F女学院のキャンパスまで来てくれってことかい? 大丈夫かな、そんなとこにおっさんがノコノコ出ていって。誤解されない?」

「ご主人様は私の叔父ということにしておきますから、受付で“さどわたり・わたる”と名乗ってください。ではよろしく(ピッ)」

 書き文字は……佐渡渡渡さどわたり・わたる? まるでスリーカードのような名前であるな。


 駅からバスを乗り継いで、F女のキャンパスはすぐそこだ。花園の香りに首の毛がゾワゾワする。

「お姉さんたち、勉学、ご苦労様だねェ。受付ってどっち? あ、こっち?」


「おしらべしましたが、在校生にそういうお名前の方は……」と、お年を召した受付嬢マダム。

「そんなはずないんだけどなァ」

「キャンパスはもうひとつございますので、お約束はそちらでされたのじゃございませんか?」

「あ、そうかい。なんだ。じゃあ、そこへの行き方を」


「いやぁ、おじさん、汗かいちゃったなァ、もう」

 よし、(ぺっぺっ)こんどこそ。

「ちょっと、ごめんなさいよ、俺、じゃない、あたくし、さどわたり・わたるという者ですが、娘……姪と約束していましてね」


 ピンポンパンポーン

「佐渡渡まどかさん、佐渡渡まどかさん、叔父様がお待ちです。受付までいらしてください」


「来てくれたんですね! ごしゅ、叔父様!」

「人前で、そんなにくっつくのは止めなさい。ほら、大学ノート」

「ありがとうございます!(ニコッ)」

「サドカ、そちらは?」とハスキーボイスでセミロングの女子大生。

「紹介します、こちら、私のサークル仲間で親友の越中こしなかさん。もっちゃん、こちら、私の叔父様!」

「お噂はかねがね伺っています。越中もほこです。まどかさんには、いつもお世話になっていて」

「あ、これはこれは。姪がどうも。うむ、まどかも幸せだなァ。こんな立派なお嬢さんが一緒に居てくださるなんて。なァ? (ゲフンゲフン)花粉症かな。ちょ、ちょっとすまないね」


 越中さんから遠巻きに離れたところに立たせて、うちの住み込みメイドに問いただす。

(佐渡渡さん。叔父さんの顔を他人に知られることはだね、好ましくないんではないかい。それに、お噂ってなんだい? それにね、火事を起こした唯一の親友とは音信不通だと聞いたはずだったね。あれは間違いなのかい?)

(その件につきましては……嘘も方便ということで)


「お二人さん、ここは学びのもりってことをお忘れなく」と越中もほこ。

(仲がいいのねぇ。ダンディな男の親戚なんて、サドカの趣味ったら)

 愛想笑いでごまかす俺たち。


(ご主人様だって、年齢を詐称した疑惑があります。少なく見積もって、ひと回りはサバ読んでいましたよね。免許証の生年月日を見て、気が付きました)

(それとこれとはコトの重大さが違うのじゃないかね! 越中さんとこに泊めてもらうことが最善の策であるのではないかな)

(無理です。もっちゃんは猫飼ってるので。わたし、猫アレルギーです)

(本当に本当かい?)

(疑うなら、もっちゃんに訊いてください)


「(コホン)越中さん、ちょっといいかな」ちらと横目で佐渡渡さんの顔色を伺う。「さっきサークル仲間だと、さど……姪が言ってたけど、何のサークルなのかね?」

「あら、聞いたことなかったですか? 中世メイド史研究会です」

「メイド!? ……は・は・は・は・は」

 友よ、これほどメイドに拘る女子大生は、世界広しといえども、目の前の娘をおいて他にない。


 あとひとつ講義が終われば“半ドン”――彼女たちはこの言葉を知らなかった――だからと、俺はファミリーレストランで時間を潰すことになった。

「お待たせして、ごめんなさい」とやがて二人。

 サラリーマンもいるが、ひときわ多い女学生の客に混じり、中年男性と若い娘二人のテーブルは、さぞや衆目を引いてしまうのではなかろうか。


「サドカの夢は凄いんですよ。歯科衛生士、いえ、歯医者さんにまでメイドの格好をさせて、日本の遅れた歯科医療を最新のサービス業に変えるんだって」

 友よ。もっちゃん視点による佐渡渡さんのエピソードを聞くうち、俺の前ではかたくなにメイドを演じる不思議な彼女も、いたって普通の女の子であることがわかってきた。


 もっちゃんとは別れ、暮れなずむ町を二人で仲良く辿る帰り道。

「メイドじゃない佐渡渡さんの野心が聞けて楽しかったよ」

「あれは、そういうプロデュース業をしてみたいって思っているだけです。本職はメイドと決めています」

「いいじゃないか。夢があるのはいいことだよ」

「そう思ってくれますか」

「もちろん。叔父さんのことも詳しく問いただしたいけれど、これはまた今度でかまわない」

 友よ、これは俺の勘に過ぎないが、もしかすると。彼女は、頭の中でだけ存在するイメージ上の叔父さんを作り上げているのかもしれない。深く訊ねるのが得策であるか、悩むところだ。また、赤裸々になっていく虚言癖からは、心の健康も気になってしまう。佐渡渡まどかという女性は、知れば知るほど、底なし沼なのだ。

「――でもさ、嘘は良くないね」

「うぅ、言わないでください」

「もう嘘はつかないって約束してくれるかい?」

「ご主人様と一緒に暮らしたかったんです! どうしても、ご主人様じゃないといけないんです!」


 帰宅した。部屋は今夜もみすぼらしい。ただ一つのみずみずしい輝きを除いて。

 佐渡渡さんの作った夕食を向かい合って食べていると、このコをうちに置いてやって一緒に暮らすのも悪くない、と思えてきた。なにしろ、家事全般にかけてはものすごく有能なのだ。大学という外の世界もしっかり存在する以上、家の中だけでメイドごっこをして過ごす時間もごく限られたものになってくるに違いない。そうであるなら、親元を離れている健気な娘に、保護者役をかってでてやるのは、とても人情味のある行為ではなかろうか。同じく娘を持つ親として。

 断言しよう、友よ。俺は佐渡渡さんの親代わりに適任である。

 彼女は俺のことを、あくまでメイドを演じる上でのご主人様とみているのであって、それ以外の関係には成りようがないのである。とはいえ、周囲に誤解されないように、細心の注意は必要とされるが。

「しばらくは、この部屋で暮らすといいよ」

「ほんとですか!(ぱぁっ)」

「ところで、二三、立ち入った質問いいかい?」

「どうぞ(ニコッ)」

「佐渡渡さんは、ひとつ屋根の下で男性と暮らすのは初めてかい?」

「いいえ」

 友よ、……意外な答えが返ってきた!


「つまり、大切な男性と、その……一夜を過ごしたんだね?」

「はい」

「そ、そうかい。それは(ゴホッゴホッ)……自然なことだよ」

「大丈夫ですか? お水いります?」

「いや、大丈夫。で、ゆくゆくは結婚を考えているんだね?」

「そんな先のことはまだ……(ポッ)」

「か、家族は何人くらい欲しいんだい?」

「そうですね、実家では父と母と弟の四人暮らしでしたから……」

「そ、そうだね、一人っ子よりも二人の方がいいというね」

「何を言わせたいんですか? 昨晩、ご主人様と過ごしたのが初めてです」

「そ、そういうことかね――」

 友よ、喜んでくれ。処女だ!

「――こ、言葉に気をつけなさい! 俺とあなたは何も起きていません!」

「どうしたんですか?」

「な、なんでもありません。そ、そういえば、前にも、お父さんと仲がいいって」

「はい!(ニコッ)」

「うちの娘はね、思春期を迎えたあたりから、俺を避けるようになってねェ。くさいとか汚いとかは言われなかったけど、相手にされなくて悲しかったものですよ」

「母親の影響が大きいと思います。うちの母は父を立てる性分ですから、一家の大黒柱であるという沽券こけんに関わる問題がかなりクリアされてました」

(フムフム)


「ところで、佐渡渡さんがだよ、年上の男性に惹かれるとしたら、それはファザコンってことかね?」

(ぐきっ)

「ん? どうしたい?」

「な、なんでも」

「キャバクラの男性客ってさ、中年が多いだろうね? どうして、うちになんか来たんだい?」

「そ、その答えは(ゲホゲホ)さっき、帰り道で(ゲホゲホ)言ったはず、です」

「お水いるかね?」

「い、いえ、お気遣い、どうも」

「いやいや」

「では、逆におたずねしますが。ご主人様は、どうして、見ず知らずの他人である私に、身の上話をしてくれたのですか?」

(ゴホッゴホッ)そ、それは単に愚痴を聞いて欲しかっただけであってだね…… 決して、誰でも良かったなんてわけじゃあ、ないんだよ。そうそう。つまりだね……

「それは、このコなら、話を親身に聞いてくれそうだ、そう思えたからだよ。言わせるんじゃないよ、決まってるだろ」

「そうですよね(ニコッ)」

(ホッ)次の話題、次の話題。


「ただ、困ったことがあるな」

「といいますと?」

「この部屋、狭いだろ? 二人で暮らすには互いのプライバシーが守れそうもない」

「なるほど」

「例えば、服を着替える時、間にカーテンがあっても恥ずかしくなったりすることはないかい? トイレで用を足す時に、音聞かれちゃってる、と考えたりしてさ」

「ご主人様も、オナニーできませんものね」

 ど、どうしたことだろう!


「ま、まどか君、それはどういう意味かね? 俺は隠れてするなんて、一度も言った覚えはないんだがね」

「ご主人様、まどかと呼んでいいのは、お店でだけです。家では、佐渡渡さん、とおっしゃってください」

「わ、わかったよ。では言うがね。確かに困るんだよ。目の前に女体があるのに、使うなって昨日宣言されたからさ。覚えてるかね?」

「はぁ、そんなことを口走ってしまいましたか、この私が。では、いいですよ」

「なにが?」

「私でオナニーしてください」

 ぶっ

「ただし、私自身や私の持ち物にかけたりせず、また、周囲を汚さないように細心の注意を払って、キレイに処理してください。した後は匂いが充満しないように換気もしてください。以上を守ってくださるなら、オナニーを許可します」

「わかった。譲歩に感謝するよ。ただ、細かい疑問が残る」

「今度はなんですか?」

「見抜きはしていいのか?」

「してるところを見せたい、ということですか?」

「そ、そういうことになる……だろうかね。どうなんだ?」

「あんまり、見たくはない気がします。私の視界外でやっていただくのはどうでしょう?」

「わ、わかった」

「私はイヤフォンでも付けて、音が聞こえないようにしますから」

「じょ、女性だって、オナニーするんだろ?」

「その質問は大目に見てあげますが、返答は却下です」

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