第2話 ちょっとSLEEPERなメイド

 名うてのナンパ師は、自分になびく女を見分けることができるという。肉食女子というのにも、こういう嗅覚があるのだろう。この場合、獲物はかくいう俺であり……

 若いコに言い寄られたおじさんが、騙されていることに露ほども気が付かず、我に返った時には、そのなけなしの貯金を根こそぎ貢いでしまっていた、そんな莫迦な話が…… 佐渡渡さどわたりさんに会うまでは、あり得ないと俺も思っていた。

 同伴出勤させられ、佐渡渡さんの勤めるキャバクラで歓迎され、お世辞にも安いとは言えない高級ウィスキーを飲まされ、一人と言わず何人ものホステスに強請ねだられ、タダ酒と引き換えに尻の毛を全部抜かれたような、ほうほうのていで店を後にした深夜。

 事前の打ち合わせ通りに、ツケにしてもらったおかげで全く財布は傷まなかったものの、コンビニのパートに遅刻するわけにはいかず、酔いが抜けきらないというのに意を決して出てみれば、運悪く、店長代理が勤務実態をお忍びで見張っていたという始末…… さっそく、店長代理直々に、裏の事務所でこっぴどくなじられる羽目に。

 ところで、高校生の娘を店長代理に任命する父親とは、一体どんな教育をしているのか。PTAに言いつけてやる。


「私の話、聞いてます、オジサン? まだ臭いんだけど。ホント、あきれちゃう」

 いつもはブレザー姿で見かける正真正銘のJKが、目と鼻の先で、陰湿に俺を睨めつけており…… お嬢さん、年上を敬うように習わなかったのかい? そんな顔をしては、せっかくの美人が台無しだよ。

「そうはいうけどもさ、深夜に高校生が外出してるの、問題ないのかい?」と俺。

「父から一任されてますからね、全然問題ありません」

 俺にもこのくらいの年頃の娘がおり…… こちらのお嬢さんの方が上背がある。スポーツでもしているのだろう、薄く日焼けしていて、腕なんかの肉付きもたくましく。

「お嬢さん、さては外泊とかするんだろ、これから。ああ、わかった、これでしょ?」と小指を立てて見せる。「じゃなくて、こっちか」小指を引っ込めて、親指を立てる。

「へ?」

 ♪ピロピロピロ

「ちょっとごめんなさいよ。電話だ」とスマホを取り出す俺。「おぅ、佐渡渡さんか、どうしたい? え、鍵がない? 店が退けたので帰ってきた? 今、玄関前? 鍵がないから入れない? わかった、すぐ行くから」

 店長代理のJKの態度はまるで軟化せずに、酒臭いままでレジに立たれたりしたら、店のイメージダウンにつながるから、逆に帰れと言われてしまう。俺の代理で急遽呼び出された兄ちゃんにはご愁傷様。

「こんなことが続くようなら、父に頼んでクビですからね」


 道すがら考える――佐渡渡さんに対しては毅然とした態度で望まなければならない。あの店長代理JKのように。相手の境遇などに左右されず、経験ある年長者として、ひるまず粛々と理屈を述べれば、必ずや共通の結論に辿り着く。うむ、これである。時に同情は禁物だ。

 余談ながら、お店で“まどか”嬢を指名したところ、全く見たことも聞いたこともない女性が現れたのだった。こちらに気付いて手を振ってきた佐渡渡さんのおかげで丸く収まった。が、佐渡渡さんの付けているネームプレートをよくよく見れば、そこには“まだか”とあった。これには一筋縄ではいかない事情が潜んでいるのであろうか。


 私服の佐渡渡さんは、待ち疲れたという風で、扉を背にしゃがみ込んでいた。深夜だから人に見られる可能性も低いだろうが、こうも扉の真ん前で堂々と座られていては、もし万が一の時に言い訳しずらくなってしまう。世間体とはそういうものだ。

 近寄っただけで、佐渡渡さんにはすごいアルコール臭がした。

「帰るの遅いれすよ、ご主人様。いえ、お店から帰るのは早すぎます」

「悪かったね。とにかく中に入ろうか」


 介抱を装い、部屋に連れ込む不埒ふらちものがこの世には大勢居る。俺はそういった輩と間違われないだけの矜恃きょうじはあるが、この狂った世の中では何もかもが危うい。そうした結末がこの先、控えていないことを望むのみだ。

 佐渡渡さんは半分潰れかかっていて意識が怪しい。水を飲むかと勧めても、返事すら億劫そうだ。彼女にとっては大変な一日だったのだろう。

「ご主人様、私は、今日はもう寝ます! ベッドは、どこれすか?」

 ベッド? ああ、しまった。客用の布団ならあるが、ベッドは自分が使うシングルベッドしかない。これに寝かせるのは――染みついたおっさんの加齢臭を、白くてすべすべの柔肌に敢えて刷り込んでしまうようなものだ。

「ああ、これれすね。おやすみなさい」

 友よ、彼女は代わりの布団を敷く暇もなく、寝てしまった。仕事帰りの私服のまま。電気も点ったままである。

 共通の認識のための会話を交わす機会もない。これではお手上げだ。さて、こちらも布団を敷いて寝るとするか。

 それにしても……

 横たわっている佐渡渡さんの姿態が、これでもかと目に突き刺さる。無防備過ぎやしないだろうか。若い娘が。

 これが自分の娘だったとしたら、俺は父親としてそばに立っている男――つまり今の俺に、まずは一発をお見舞いせずにはおれない。

 逆に言えば、何も抗う方法を持たない淑女の隣に立っている、れっきとした成人男性として、劣情が沸かないことをひたすら祈るしかない。今こそ、あの腐れ妻に活躍してもらわないと。

「若いコを見る度に、鼻の下を伸ばして。このクズ!」

 そうそう、そんな調子だ。

「(ムクッ)ご主人様!」

 友よ、俺がビクッと肩をすくめたりしても。それは致し方ない事情だと理解してくれるね。

 佐渡渡さんは、突然、上半身を起こしたのだ。何も非のない俺が、どうして隠れようとしてしまうのか。それは、他人から痴漢の疑いを持たれたら、えん罪を晴らすことは極めて難しいという事実に去来する。ただの怯えによるものだけではない。

「わたしでオナニーとかしないれくらさい。見抜きとか絶対やめれくらさいね。ご主人様は度胸なさそうれすから、触ったりできないれすよね(ケタケタケタ)」

 バタムと、そのまま仰向けにベッドに倒れ込んだ。

 得意のニッコリが、人をおちょくるようなニタニタ笑いだった。

 俺は唖然とした。

 三時間前には天使の微笑みを浮かべていた淑女が、アルコールの恐ろしい魔力によって、とてつもない性悪女のような喋り方に豹変するのである。


 さどわたり本性見たりウツボカズラ


 オンナという生き物は、決して男の理解が及ぶことがない。相容れない対極の存在である。どうしたら、あのような嗜虐的な言葉が口から出るというのか。

 友よ、これは明らかな挑発だ。彼女は俺の度胸を試している。性的能力が減衰していないか、暗に証明するよう求めているのではないか。

 佐渡渡さんは、俺にご主人様というロールを割り当てることで、一見、男性側に優位を与えてみせた。だが実際にはその逆で、枷を与え、身動きを封じながら、何もできない俺をあざ笑おうとしているのではないのか? 今の嘲笑が何よりの証拠である。

 負けてなるものか。昭和生まれを舐めるなよ。

 キャバクラの一件を見る限り、金品の搾取が目的であるとは、今のところ断定できない。だが、このような悪女の振るまいは許容できない。親として、娘が不良に走ることだけは防がねばならない。

 友よ、彼女に罰を与えよう。

 しかし……

 どんな罰がいいのだろうか。一人の人間として、年輪を重ねた大人として、一女の親として、あまりにも凄惨な行為は俺にはできない。

 佐渡渡さんの本性が垣間見えたとしても、腐れ妻という前例から判断すれば、まだここには救いがある。年若い彼女なら矯正可能である。そうだ、俺がこの身を犠牲にして、彼女に淑女のたしなみを教え込もう。マイ・フェア・レディのヒギンズ教授に俺はなろう!

 ひとつ思い出したことがある。女性がどんな下着を身につけているかで、その本性を占うことができるという、経験に基づく社会学の知識だ。

 佐渡渡さんはお店のコスプレメイド衣装から着替えて、今は私服である。ということは、下着も彼女自身の趣味を反映したものを履いている可能性が極めて高い。

 これは研究の一環である。どんな下着を履いてるのか確かめる必要がある。それにより、今後の対応を検討するのだ。

 断言する。決して劣情がやらせるのではない。どうか、友よ、わかってくれ。


 シングルベッドに被さったままの掛け布団の上に沈みながら、無造作に仰向けに寝ている佐渡渡さん。黒い大人っぽいスカートの端から肌色のパンストと共に細い足が二本、にょきっと生えている。

 不意に、ごろんと向こう側に寝返りを打った!

 絶好の瞬間である!

 ベッドの足の方に少し近づく。

 そうっと、黒いスカートの裾を持ち上げてみる。

 ZZZ……

 寝息は何も変わらない。それじゃあ、もう少しめくって……

「ご主人様!」

(!!)

 友よ、世界のすべてが音を立てて崩れていく。彼女の狙いはこれだったのだ!

 破滅を招くトロイの木馬。ああ、俺の一生もこれまでであろう。数分も経てば、警察官が到着し、明日のワイドショーでM根誠司にほんのちょっとだけイジられるという社会的制裁を受けるのだ。

 腕をがっしりと捕まれて、スマホでパシャリと現行犯……

 ではなかった。

 友よ、目を堅くつぶってしまった俺を笑うがいいさ。

(寝言?)

 冷や汗どころの騒ぎではない。

「佐渡渡さん? 佐渡渡さん?」

 むしろ、軽く揺さぶってみた。ボディタッチするのははばかられたので下敷きとなっている掛け布団越しに、お尻の辺りをくるむようにして、である。

 何らかの意図があるなら、この時点で、ネタばらしをしてくれるのではないか。

 彼女は顔を向こう側に向けていたが、また寝返りを打った。

 ドガッ

(ゲフゥ!!)

 佐渡渡さんの繰り出した不意の膝蹴りが、屈んでいた俺のみぞおちに綺麗に入った。

 全身から脂汗が吹き出したのは言うまでもない。高級ウィスキーが全部逆流――しかけた。

 へたり込んだ。生まれたての子鹿のように。

(ハァハァハァハァ)

 息を整えてようやっと立ち上がることができた。

 彼女は俺を試している。できるものなら、やってみろ、と嘲笑しているのだ。

 友よ、なんという悪女か。

 煌々と点る照明の中、寝たふりをしたまま、スヤスヤと平然とした寝顔をこちらに向けている。

 本気で俺を怒らせてしまったようだね、佐渡渡さん。研究というものは障害が大きいほどその価値が高まる。

 どんな下着を履いているのか、きっちりと見せてもらうからね。そして、経験に基づく社会学の知識と照らし合わせて、あなたの悪女の素質を見抜いてあげるからね。

 フリフリのピンクだろうと、腹黒にぴったりの黒だろうと――

 今度は一気にけりを付ける。これなら邪魔も出来まい。

 スカートの端っこをつまんで、一気にぱぁーっと――

 スルッ

 佐渡渡さんの両脚が俺の首元に絡んできた。

 パカッ

 かと思うと、絶妙な絞め技で頸動脈が圧迫され始める。

 ギリギリギリ

 これがホントのスリーパーホールドねむりてのしめわざ

 いやいや、彼女、絶対、起きてるから、起きてるから!


「ギブギブギブ」急いで佐渡渡さんの膝をパンパン叩く。

 緩まるどころか、ますます圧迫が強くなる。視界にまだらの――上映しているフィルムが焼け焦げ始めるような――まだらのチカチカが映る。要するに貧血の時に見える模様だ。このままだと気絶してしまうかもしれない。

「ちょ、ま、さどわ……さん?」

 意識が遠のく寸前、めくれ上がったスカートの端でお目当てだった下着がのぞけた。

 純白であった。


 チュンチュンチュン

 もう朝である。

 目が覚めた俺に気が付いた佐渡渡さんは、顔を俺の鼻先に突き出して開口一番。

「ご主人様、昨晩は飲み過ぎましたね(ニコッ)」

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