住み込みメイドの佐渡渡さん(21)は最凶のおしかけ女房

にーしか

第1話 ちょっとSHORTなメイド

 俺はアラサーである……もう、嘘をついても仕方がない、アラフィフである! 一旦レールを外れた働き蜂は、年を食うにつれて再就職が難しくなっていく。ワインやウィスキーが熟成すればするほど美味しく持てはやされるのとは対照的に、年代物の人間の価値は、いくらサバを読もうとも、雇用の現場ではどんどん通用しなくなっていく。悲しい哉、それが現在の日本なのだ。

 諸外国にどんどん追い越され、自殺者が急増し、移民が増え、やがて右を向いても左を向いても、爺さん婆さんしかいやしない。それがこの国の近い未来である。

 だから悪いことはいわない。若い諸君は学生の時に大いに恋をし、学業そっちのけで趣味に精を出し、既存のレール以外でお金を稼げるすべを見つけておくべきだ。

 俺の人生は、失敗してどん底のただ中にある。自殺を考えない日はない。いっそ、富士の樹海に入ろうかとさえ思う。そこで先達のほとけを発見して、ビビって尻尾を巻いて逃げ帰ろうとしたあげく、帰り道が分からなくなって衰弱死……そんな顛末が新聞の隅っこを賑わせることすらなく、一生をひっそりと閉じてしまうことだろう。だから、そんな悔しさが勝っているうちは、まだ死ぬことはできない。

 ひとつ自慢できることといったら、こんな俺でも結婚できたことである。嫁は金髪の白人――実際にはハーフ――で、連れて歩いている時は本当に鼻が高かった。

 娘も一人だけ居る。可哀想に、俺に似たせいであまりカワイクはないが、よくできた年頃の娘である。年頃過ぎて、ここしばらくは口をきくこともまるでなかったが。

 そんな生活もやがて終わりを告げる。雨のように涙のように。

 働き蜂が過ぎたせいで、原因は俺にもあったかもしれない。でも、あの腐れ妻はオトコを作って出て行った。

 今から思えば、俺には分不相応な人生だったのだ。今から思えば、なぜあんなクソビッチうつつを抜かしてしまったのだろう。どういうわけだか、夢中になっている時には気がつかないものだ。あいつの話は、これ以上、金を積まれたって、金輪際、したいとは思わない。

 とにかく、コンビニの深夜シフトのパートが始まるまで、俺は暇をもてあましていた。もうひと眠りするか。そんなときである。

 まさか、運命の歯車がシフトチェンジして再び軽快に回りはじめるとは……

 人生には不思議な大どんでん返しが待っているものなのだ。


 ピンポーン。

 俺は今、大して広くないマンションの一室で、鼻毛を抜きながら、くしゃみをしていた。玄関のチャイムを押すちん入者がいようが頓着するものか。

 ピンポーン。

 こういうのは大抵、押し売りである。出なくてよろしい。

 ピンポンピンポンピンポン!

 しかし、全くもってしつこいな。限度にもほどがある。ひとつ恫喝してやらねばなるまい。他人ひと様のパーソナルスペースを脅かす押し売り行為がどれだけ迷惑であるかを。どうせ若造の新聞拡張員に相違あるまい。これまでも、雨の日によく来たものなのだ、こいつらは。今日は晴れているが、おかまいなしとは。


 ガチャ(ドアを開けた音)。

「あのー、ひと晩泊めて頂けませんか」

 友よ、うら若き乙女の声に騙されてはいけない。断言しよう。相手をしては絶対にいけないタイプである。

 ガチャン(ドアを閉めた音)。


 ピンポンピンポンピンポン!

 扉の向こうにいたのは、ボブカットで、色白で、なぜだかメイドっぽいコスプレをした若い女であった。背中に唐草模様の風呂敷包みを背負って。


 ドアスコープから覗いても、それはボブカットだった。理髪師によれば、より正確にはショートボブとも呼ばれる髪型である。背はあんまり高くはない。百五十㎝くらいだろう。ここは新手の勧誘に最も警戒すべきである。

 思い出話になるが、以前訪問してきたリクルートスーツをバシッと決めた新人の女の子は、インターネットが今より早くなります、と、三流の広告代理店に教えられた通りの根も葉もないセールストークをとても見事に披露してくれたので、とうとう泣きだすまで――

「お姉さん、あなたはどれだけあくどい商売の手先をしているのか、それがわかってもらえますかね」と、と順を追って、それこそ西から上ったお日様がへ沈むように、微に入り細に入り、教えてあげたものだ。


 ピンポンピンポンピンポン!

 件の主はいまだに諦める気配がない。ここまでチャイムを押し続けたのなら、T橋名人級の16連射を会得している頃だろう。百円玉を一枚与えて、ゲームセンターでその実力を確かめさせてみたいものである。

 ガチャ(ドアを開けた音)。

「ご主人様、私がわからないんですか?」と、ショートボブのお姉さん。

「???(なんと答えればいいというのであろうか)」

「わざわざ、メイド服で来たのに?」

 ますます前後が分からない。いや、分かる手がかりが皆無である。

「一人暮らしが寂しいと、あんなに切々と訴えていたじゃありませんか!」

「は?」

「お店で! さては、飲み過ぎで記憶が飛んでしまったんですね! 立ち話もなんですから、中へ入れてくださいませんか?」


 映像用語でワイプというものがある。この場面転換はまさに驚天動地のワイプであった。なぜ、見ず知らずのショートボブのお姉さんを、自宅へと招き入れねばならないというのか。

 部屋に上げてみるしかなかったのである。外で騒がれたら絶大な迷惑を被ってしまうから。ショートボブのお姉さんが言うところの謎のお店が、彼女たちに与えたという名刺を取り出して、ショートボブお姉さんは嬉々として自己紹介をしはじめる。付き合うこちらの境遇には一切お構いなしで。

佐渡渡さどわたりさんって言うんだね? 源氏名?」と、これまでに受けたことのある最高峰の塩対応をしたくとも、できずにいる小心者の俺。

「はい! お店では“まどか”です」と、首を可愛らしく右にちょっぴり傾げながら、とびっきりの笑顔で愛想を振りまいているお姉さん……

 名刺によると、キャバクラ・メイド喫茶ブラームスとある。ここにきて初めて、お姉さんの素性に一筋の光明が差した。

 そういえば……

 むしゃくしゃして。よせばいいのに、高い銭を支払い、女子大生の年齢ほどのホステスのお姉さん相手に、身の上話を愚痴ってしまったことがありました。これは、あの時のお姉さんに間違いないということでありましょう。


「あのね。来た理由を説明できるかい? 悪い人に出張サービスをして来いって言われたのかい?」

 例えば、代金が不足していたので回収しに行ってこい、と。

 廊下の隅っこで隠れているかもしれない怖いお兄さん達に、夜、ばったり出会わないことを小心者は願うのみであった。

「お店は健全な紳士の社交場ですから、そんないかがわしいサービスはしていません」

 もちろん、そうだろうね。そうでなくても、そういうことになっているだろうね。

「じゃ、どうしてだい?」

「これを返しに。お店に落ちてました」

 俺の免許証? いやはや、気がつかされたのは、このときが最初であった。いつのまに? これで住所を突き止めたのだね。にしても、うさんくささは抜けきらず――第六感が告げる警報に従うのみ。

「わたし、ご主人様の悲劇的な身の上話にいたく共感してしまいました。おそばにおいてください」

「何をおっしゃっているのかな? お嬢さん?」

「ですから、住み込みでメイドをさせてください」


 果たしてどういうことであろうか。これまでの説明をすべて総合してもまだまだパズルのピースに不足感が否めない。

 離婚して一人暮らしである、ということを、このショートボブのお姉さん――佐渡渡さんに喋ってしまったのは間違いないとして。

 意地悪な妻が不倫したあげく、養育費だとぬかして慰謝料をしこたま、ぶんどっていったこと以外にも、あることないこと、一切合切を喋ってしまったのであろうか。記憶にございません!


「いや、気持ちはありがたいけれどもね、お姉さん。ここは、えんりょ――」

「じゃあ、決まりですね!」

 遠慮しておく、と、言わせて頂きたい! 年上の言葉を遮ってしまっては社会で成功できないのだ。それが世間てものだよ。「お嬢さん、それはいけないよ。若い娘さんが中年男性と同棲みたいなことをしちゃあ」洗面所の鏡がある方をちらと見ずにはおれない。なぜなら、今、鼻の下がどのくらい伸びているのか、測ってみろ、と、どこからともなく腐れ妻の声が聞こえたからである。

「なぜです! ご主人様は寂しい。私は仕える殿方が欲しい。Win-Winですよ」

「見ず知らずの男の家に居座ろうなんて、身の危険を覚えないのかい? 最近のコの貞操観念は驚くほど変化してしまったねぇ」ここは年輪を重ねた先輩として発言すべきであろう。「まことに、なげかわしい」

「白状しますが……実は、わたし、住む家がなくなってしまったんです」

「はい?」

「友人の連帯保証人になっていたんですが、その子が火事を起こしてしまって。幸い、命は助かったのですが、保険に入っていなかったがために、弁済額がものすごいことに。結局、彼女は自己破産したのですが、私もあおりで、どうにもならなくなってしまいまして。住んでいた部屋の家賃が払えなくなってしまったのです。今日、部屋を引き払った足で、ご主人様に助けて頂こうと」

「それはお気の毒に」昔、ばいというものがあってだね。お涙ちょうだいの境遇に騙されてはいけないと、荒波に揉まれた世代の両親は子供に教えたものなのだよ。

「もう帰る場所が無い私を、せめて一日だけでも泊めて頂けませんか」

「ここはお姉さんの正直そうな瞳に免じてだよ、本当に一日だけ」頼られると、物わかりのいいオトナを気取りたくなってしまう、そういう年長者の痛いところを突くのが上手いねぇ、お姉さんは。

「はい!」

 この笑顔。小首を傾げてニッコリしている。この笑顔に、善良な男性諸君が一体何人、泣き寝入りせざるを得なかったろうね。

「明日には出て行くんだよ。今のうちに他のツテでもあたって。知り合い、居るはずだね?」

「いません。(うるうる)両親は早くに他界し、親戚とは疎遠で一度も連絡を取ったことがありません。一番仲が良くて、唯一の友人だった子が、火事で自己破産したんです。それ以来、連絡が取れません。天涯孤独なんです」

 泣き落としの先生として招待したら、稼げるのは間違いない。どんなセールストークを繰り出したセールスレディよりもお見事。お見それしました。

「そうなのかい…… ま、そう気を落とさないで。俺でいいなら、力になってあげるから」

 根がお人好しであることは、こうした罠を遠ざける際にはとても苦労してしまうねぇ。罪を憎んで人を憎まず、昔の人は上手いことを言ったものだよ。

「はい! では、さっそくですが…… 今夜、お店に同伴して頂けますか?」

「え?」

「同伴出勤して頂くと成績が高く評価されるのです。よろしくお願いします、ご主人様(ニコッ)」

 これには、さすがに黙っているわけにはいかなくなりましたよ。

「ちょっと待ちなさい。今、あなたが俺を利用したいって話が聞こえたけど、聞き間違いかい?」

「とんでもない。共存共栄、Win-Winですよ! ご主人様、ではご飯の買い出しに参りましょうか。わたし、もうおなかが減ってしまって。ここに来る途中で、近くのスーパーのチラシをもらってきました。出勤前にごちそうを食べて精を付けておきましょう!」

 ちょっと待ちなさい。どうしたら、そんなに飛躍できるのかい。ちょっと待ちなさい。ちょっと……


 再びワイプという芸当でスーパーから部屋に一足飛びに戻ることができる。これが映像の便利な手法であります。

「どうでしたか、わたしの手料理は?」

「たしかにね、お世辞抜きにおいしかったよ。それがどうして、こんな押しかけ女房を決め込むんだい」

「お褒め頂き光栄です! そろそろ出勤の時間なのですが……」

「俺はね、夜勤のシフトがあってだね。この仕事は定職を追われてようやっと手に入れた大事な仕事なわけさ。だから、俺を信じるみんなの期待を裏切るわけにはいかない。絶対に勤務時間までに帰ってこないと。それができるかい? それに、あんまり無駄遣いは無理だよ」

「大丈夫ですよ! 私がツケにしておくので、あとで私の給料が出た時にそれで支払ってください。それじゃ、行きましょう、ご主人様(ニコッ)」


 こうして、不幸わざわいの中に一輪の花を得、さいわいの花の中にトゲを見る運命が、俺と佐渡渡まどかとを引き合わせたのである。

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