滅亡

 ミヤビヤカニは逃げなければと思った。シハイカニとも約束したではないか。鳥に食べられてはならない。絶対に食べられてなるものか。


 だが、ヤ族の蟹は頑丈な檻の中に閉じ込められており、しかも檻の外には鳥の目が光っていた。まさにヤ族は籠の中の鳥、否、籠の中の蟹であった。


 ミヤビヤカニは絶望した。ヤ族の全員が絶望していた。もはや逃亡は不可能であった。


 そのときヤ族は、絶望すると同時に、一つの強固な信念が己の心に湧き上がるのを感じた。あんなふうに鳥に食べられてたまるものか。われわれはつねに雅やかでなければならない。ヤ国は勃興してからずっと、雅やかに、かつきらびやかにを国のスローガンとして掲げてきた。ならば、滅亡するときも、雅やかかつきらびやかでなければならない。鳥についばまれて滅亡しては、ヤ族の名が廃る。ヤ族であるからには、美しく散らねばならない。


 ヤ族の蟹たちは決心した。鳥に食べられてしまう前に、蟹どうしで共食いしてしまおう。そうすれば少なくとも、鳥に食べられることはなくなるはずだ。これが、われわれにできる最後の抵抗だ。


 そこでまず、ホソヤカニをスコヤカニが食べた。そのスコヤカニをシメヤカニが食べた。そのシメヤカニをタオヤカニが食べた。そしてタオヤカニをユルヤカニが、ユルヤカニをアデヤカニが、アデヤカニをハナヤカニが、ハナヤカニをツヤヤカニが、ツヤヤカニをコマヤカニが、コマヤカニをコトコマヤカニが、コトコマヤカニをサワヤカニが、サワヤカニをナゴヤカニが、ナゴヤカニをニコヤカニが、ニコヤカニをハレヤカニが、ハレヤカニをマロヤカニが、マロヤカニをシナヤカニが、シナヤカニをオダヤカニが、オダヤカニをノビヤカニが、ノビヤカニをカロヤカニが、カロヤカニをササヤカニが、ササヤカニをスミヤカニが、スミヤカニをナヨヤカニが、ナヨヤカニをニギヤカニが、ニギヤカニをヒヤヤカニが、ヒヤヤカニをツツマシヤカニが、ツツマシヤカニをシトヤカニが、シトヤカニをオシトヤカニが、オシトヤカニをアザヤカニが、アザヤカニをキラビヤカニが、順番に食べていった。そして最後に、キラビヤカニをミヤビヤカニが食べた。


 ヤ族の蟹は、こうしてマトリョーシカのごとき共食いを果たしたのだった。ミヤビヤカニの胃のなかで、ヤ族の蟹はどろどろに消化されていった。あの食いしん坊の鳥たちも、いくら何でも胃液でどろどろになった蟹の身までは食べようと思わないであろう。これで、ヤ族のほとんどは、鳥に食べられずに済む。


「見たか。われわれは、最後の最後で鳥に一矢報いたのだ。われわれの勝ちだ。やったぞ。やったぞ。やったぞ……」


 そう言って、ミヤビヤカニは快哉を叫んだつもりだった。


 しかしミヤビヤカニは、実際には一言も声を発することができなかった。ミヤビヤカニにできたことは、ただひたすら泣くこと、泣きながらヤ族の蟹の冥福を祈ること、そして、最後に残った自分が鳥に食べられる瞬間を待つことだけであった。


 そんなヤ族の取った行動の一部始終を見ていた蟹がいた。オゴソカニである。オゴソカニを始めとするソ族は、ヤ族と同様、まだ調理されずに生きていたのである。


 ミヤビヤカニがあまりに不憫であったので、オゴソカニは、何か声をかけてやろうと思った。しかし、何と声をかけていいものか、オゴソカニには分からなかった。


 結局、オゴソカニは、厳かにこう言うことしかできなかった。


「これがほんとのカニバリズム」

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