第8話 津村の退学
一週間後、津村は父親と一緒に登校して、広教に退学すると告げた。その間、ずっと休んでいた津村に何度か電話で様子を聞いていたが、津村は何も言わないままだった。
父親が言うには、妊娠していることには大変驚いたが、なんとか高校は卒業させてやりたいと家族の話し合いで決めた。ところが、交際相手の男は麻記の妊娠を聞くと、自分の責任を否定して、一緒に育てることは出来ないと言ってきた。男は成人した社会人だったので、経済的な原因ではなかったが、麻記との関係をそこまで深く考えていなかったということだ。麻記はショックを受けたが、所詮、それだけの男だったと思い切り、子供も産まないと決めた。高校にはこれ以上、迷惑を掛けたくないし、今後は単位制か通信制の学校を探して、高校の卒業資格は取るつもりである、これが父親と麻記とが広教に語ったことである。
広教は、退学しなくても、進路変更という手段がある、通信制や単位制の学校を見つけて、相手校が受け入れてくれるなら、今の高校で取っている単位がそのまま認められるし、上手くいけば、今年度中の卒業も出来る、と説明した。
しかし、父親も麻記も、退学の意志は変わらなかった。麻記はむしろ、退学を決めたことで晴れ晴れとした表情を見せた。
広教は、津村に退学届を渡し、親子を見送った。帰って行く親子の後ろ姿に深々と頭を下げた。
広教から一部始終の報告を聞いた学年主任の教師は、なぜ今まで相談しなかったのかと広教を激しく叱責した。
お前は教師としてなっていない、生徒の大事なことを一人で処理しようとするのは、お前のわがままだ、しかも、その結果が退学ではないか、生徒の人生の責任を取れるのか、と息巻いた。広教は、それには反論せずに無言で聞いていた。
学年主任は、すぐに校長に報告したようだ。広教は校長から呼び出された。
広教は、校長から、怒鳴られ、ののしられ、人格を否定される暴言を二時間近くに渡り浴び続けた。今回の件はお前が一切の責任を取るべきであると言うことばに広教が同意すると、やっと放免された。
くたくたになって帰宅すると、十一時を過ぎていた。何度も芦田から電話があったようだ。遅かったので電話はしなかった。
翌朝、広教が職員室に入ると、あちこちで話していた教師たちが急に話をやめて、広教に視線を向けた。冷たい視線とは、今のこれがそうだなと冷静に広教は受け止めた。広教がやったことが正しかったのか、間違っていたのかは、津村が判断すればいい、何もこの教師集団に判定してもらわなくても構わない、そんな気分になった。
隣の席の女性教師が
「早くから芦田さんが探しに来てたわよ」と言った。
「芦田さんを巻き込まないでね、あの子は成績トップなんだから」
広教よりも二、三歳年上なのだが、口が悪い。
「はい、わかりました」と答えておいた。
広教は一年生と二年生に地学を教えているので、自分のクラスでは授業がない。ロングホームルームと、毎日の朝礼、終礼だけである。終礼のあと、芦田が来たので、生徒相談室に連れて行った。
芦田には、昨夜に電話が出来なかったことをわびて、津村親子の件の概略を話した。
芦田は津村から電話があり、だいたいは聞いていたと言った。
「先生、落ち込んでないですか?」
「ああ、ちょっとな」
「四月の最初のホームルームで、先生、ここにいる全員で卒業するって言ってたでしょ」
「そうだな、それを言われるとたしかに落ち込むな」
「でも先生は、麻記にちゃんと向き合ってくれたでしょ、それは麻記にはわかっています」
「そうだといいんだがな」
広教は元気が出なかった。よし君に続いて、また一人の生徒が自分の前を去って行く。自分の力では何ともできなかった。
自分の力って何だろう、自分は教師には向いていないのではないか。生徒一人、守ることもできないのではないか。
そんな思いを抱きながら話していると、芦田は突然言った。
「先生、私も子どもを産めるんです」
広教はびっくりした。
「子どもが出来たら、先生はどうします?」
「やめろ、それ以上言わないでくれ」広教が真顔で答えると、芦田は
「ごめんなさい」と言って部屋を走り出ていった。
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