第41話:青井加奈は気づいている

「いいえ。嘘だなんて思ってません。むしろ、やっぱりかぁ……って思ってますよ」


 青井の声は驚くこともふざけることもなく、意外にもサバサバとしていた。


「え? やっぱりって?」

「前にも言ったじゃないですか。綿貫先輩は陰で人気があるって」

「いや、あんなの冗談だろ?」

「冗談じゃないですよ。だから先輩に新しい彼女ができたって聞いても驚きません」

「そっか……」

「それに、毎日真っすぐいそいそと帰るし、飲みに誘っても前みたいに一緒に行ってくれないし。特にここ一週間くらい、先輩はすごく幸せそうな顔してるし……」


 ──あ。何げないフリをしてるつもりだったけど、幸せな気分が表情に漏れてたのかも。


 それにしても青井は、よくそんなことまで気づくよな。


 そんなことを考えていたら、もう駅まで着いた。

 改札の方に行こうすると、青井が立ち止まった。

 俺も歩を止めて向かい合う。


「先輩は電車に乗って帰るんですよね?」


 青井はなぜか淡々とそう言った。


「ああ、そうだよ。お前も電車乗るんだろ?」

「あ、いえ。私はちょっと用事があるから、このまま行きます。先輩は気にせず電車に乗ってください」


 用事ってなんだろ?

 一瞬そう思ったけど、そこは突っ込まない方がいいって思い直した。


「そっか……わかったよ」

「あ、綿貫先輩。言い忘れてました」

「何を?」

「おめでとうございます。彼女できて良かったですね」


 青井は目を細めてニコリと笑う。

 その笑顔は、心の底から俺を祝福してくれてる──ように見えた。


「あ、ありがとう」

「じゃあ、私行きますね。また月曜日。よろしくお願いします」

「ああ、じゃあまた月曜日」

「はい。では!」


 青井はくるりと踵を返して、駅から離れて歩いて行く。

 その背中を眺めていたら、彼女は空を見上げて突然声を上げた。


「さあ、来週も仕事がんばるぞ! 今日も空は青いかなっ!」


 変なヤツ。

 もう日が暮れかかってるから、空は薄暗くて青くなんかないのに。

 いつもの、自分の名前に掛けた決めゼリフを言ってるよ。


 ごめんな青井。

 なんとなくだけど。

 俺の自惚れかもしれないけど、青井は俺に好意を持ってくれてたような気がする。


 だからこそ、俺もいいかげんな対応はしたくなかった。

 だから彼女ができたってことを、お前にははっきりと言おうと思ったんだ。


 じゃあまた月曜日に会おうな。

 俺は、またお前をしっかりと仕事で鍛えるからな。


 心の中でそんな言葉を青井の背中にかけて、俺は改札口に向かった。




***


 自宅最寄り駅近くのコンビニで弁当を買って帰宅する。

 ちょうど食べ終わった頃に、インターホンが鳴って玄関に向かった。


 ドアスコープから覗くと、四角いカードのようなものが見えた。

 以前すみれがおふざけで作った入室許可証だ。


 入室許可証か……改めて見たら、ほのぼのした気分になるなコレ。

 それに『有効期限:永遠』って印字されてるのが、なんだかくすぐたっい感じだけども嬉しくもある。


「やっほ」


 ドアを開けると、すみれがするりと身体を室内に潜り込ませる。

 狭い玄関で、すみれの体温が伝わるほど身体が近づいてドキリとする。


 その顔には幸せそうな笑みが浮かんでいて、姫様は本日もご機嫌麗しいご様子。

 うん、何よりだ。


「すみれ。別に入室許可証を見せなくても、ドアを開けるぞ」

「へぇ、そうなんだ。てっきり見せなきゃ、部屋に入れてくんないのかと思った」


 そんなはずないのはすみれもわかっていて、おふざけで言ってる。

 顔がニヤニヤしてるから間違いない。


「当たり前だろ。だってすみれは、彼女・・なんだから」

「ひゃんっ……」

「は? どうした?」

「な、なんでもないっ! ちょっとしゃっくりが出ただけ」


 すみれは顔を赤らめて、俺を置いて廊下をずんずんと進んで室内に入っていく。

 その背中を見ながら、俺は思う。


 ふふふ。わかってるぞすみれ。

 俺の彼女って言葉に照れてるんだろ?


 こいつは元々、ちょっとスれたような外見をしていた。

 茶髪に濃い目のメイク。

 だけど実際はピュアなやつだし処女だし、恋愛経験もほどんどないようだ。

 だから照れさせてやろうと、あえてその言葉をチョイスしたのだよすみれくん。


 すみれは今ではメイクもかなりナチュラルだし、髪色も少し戻してさり気ない栗色にしたから、純情そうな見た目になっている。

 そんなすみれが照れる姿は……うーん、神がかり的に可愛い。


 ……あ、いや。

 こんなことを思ってしまうなんて俺もたいがいだな。

 

 今まで香織かおり以外にも何人か付き合ったことがあるけど、これほど可愛く愛おしく思うのはすみれが初めてだ。

 すごく年下というのもあるかもしれないが、きっとすみれの性格や見た目がすごく可愛いからだろう。


 そんな、こっぱずかしくて決して他人には口にはできないようなことを考えながら、すみれの背中を追って洋室に入る。



 それからはいつものように、ゲームをするすみれの横に座り、取りとめのない雑談を交わしながらまったりとした幸せな時間を過ごした。


 2時間ほどして、すみれが「今日はもう帰るね」と言った。


「ああ。また明日な」

「うん。また明日……」


 すみれは少し何かを言いたそうにしたけど、口をつぐんだ。

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