第37話:春馬さんのこと好きだよ

 顔を真っ赤にしたすみれの口からこんな言葉が放たれた。


「あたしだって恥ずかしいんだよ。彼女になってあげるってあたしが言ってる時点で察しろ」

「察しろって? 何を?」


 俺がきょとんとすると、すみれは小声で「このバカ鈍感……」とつぶやいた。


「あ……まさかすみれ。俺のことを好きだって……言ってる?」

「は? どこをどう聞いたら、そんな答えになるのかな? ははぁん?」


 しまった。俺の早とちりか。

 今の流れは、完全にそういうことかと思ってしまった。


「どこをどう聞いても、そんな答えになると思ったんだけど……違ったか」

「そんな答えだったらいいなぁって、春馬さんは思ったんだね」

「え? あ……」

「ほれほれ。言ってみ。いいなぁって思ったんでしょ?」


 俺の願望が態度に出てしまってたか。

 女子高生に好きだなんて言われたら、それは困ると頭では思っている。

 だけどそうじゃないって言われると寂しい。


 俺って、なんてワガママなんだよ。

 自分でも、こんなにワガママな性格だなんて思ってもいなかった。


「うぐっ……いや、あの、その……」


 大の大人があたふたしてカッコ悪ぃ。

 だけどマジで焦って、どう言い返したらいいのかわからん。

 そうやって俺が戸惑っていたら、すみれは恥ずかしそうに、こくりと可愛くうなずいた。


「そうだよ。違くないよ。……春馬さんのこと好きだよ」


 すみれのその可愛い言葉に俺は胸を射抜かれた。

 ドクン──と心臓が急激に跳ねる。


 そして一瞬周りを見た。

 キャンパスの中でこんな会話をしてて大丈夫か?


 だけど大勢の人が行き交うキャンパスは、あちらこちらで立ち話に興じてる学生がたくさんいる。俺とすみれの会話に注意を払う者は誰もいない。


 俺は安心して、すみれに向き直った。


「ま、マジで……?」

「う……うぅぅぅ、恥ずかし……」


 すみれはこれ以上ないくらい顔を真っ赤にして唸ってる。

 人の顔ってこんなに真っ赤になるんだって、26年間の人生で初めて見る赤さだ。


 そして首をすくめて上目遣いに俺を見ながら、消え入りそうな小さな声で呟いた。



「だから理屈じゃなくて、春馬さんの気持ちを訊きたいのだ……」


 ふざけた口調からしても、すみれも相当恥ずかしいのだろう。

 でもそんな照れ隠しの言葉がかえって可愛く思えた。


 今目の前にいるすみれは──

 今まで見た彼女の中でも、そりゃもう抜群に可愛い。

 俺は柄にもなく、胸の奥がきゅーっとした。

 レモンのような甘酸っぱい感情が湧いてくる。


 素直に嬉しい。

 すみれを一人の女性として好きだと言う気持ちを、もう俺も否定できない。


 だけど──

 だけど相手は子供だ。ガキだ。


 いや、実際は高校生は子供じゃない。

 それはわかっている。

 だけど世間的には子供なんだ。

 いわば不完全な大人なんだよ。


 だから手を出したりすると罰則を受けたり社会的制裁を受けるのは、つまりはそういうことだ。

 すみれは普段接し慣れない大人と接することで、俺を好きだなんて錯覚に陥っている可能性も大いにある。


 だからすみれの気持ちは嬉しいけど、能天気に喜ぶわけにはいかないんだ。

 喜んじゃいけないんだよ。


「なあすみれ。俺は大人だ。子供を彼女にするわけには……」

「子供扱いすんな」

「だって子供じゃないか」


 子供じゃないのはわかってる。

 だけどそういう極端な言い方をしないと、俺の心が揺れてきちんと断れない。


「あのね春馬さん。あたし来週誕生日だよ。18になる」

「え? 来週?」

「うん。来週の土曜日」

「そうなのか。それはおめでとう」

「ありがと」


 そっか。来週土曜日はすみれの誕生日か。

 なにか祝いを贈ってあげなきゃな。


 きっとすみれが言いたいのはそんなことじゃない。

 だけどぼんやりと頭に浮かんだのはそれだった。


「だからね。青少年保護条例の対象からも外れる」

「は?」


 よくそんなことがすらすらと口から出るな。


「つまりあたしとエッチしても春馬さんは逮捕されないってこと」

「おいおい! おおおおお前、何を言い出すんだっ!? だから誰彼構わずそんなことを言うなって言ったよな」


 俺の言葉に、またすみれは顔を真っ赤にして、ぶっきら棒に言い放つ。


「だっ、誰彼構わずじゃないよ。春馬さんだから」

「あ……う……」

「で、春馬さんの気持ち、まだ聞いてないけど?」

「俺は……俺の気持ちは……」


 俺はすみれが好きだ。

 もう、それは間違いない。

 そしてすみれが18歳になったら、法律上も恋愛の自由を認めている。

 なのに俺は、何を躊躇ためらっているのか。


 それはやっぱり、すみれが俺を好きなのは、寂しさからくる一時的な気の迷いじゃないのかという不安。

 そしてすみれはまだ高校生なんだから、これから俺よりもっとすみれに相応しい良い人と出会うに違いないという恐れ。


 そういうことから、俺は素直な気持ちを伝えることに、まだ躊躇いを感じてる。

 どうしたらいいんだ?


「あの……春馬さん?」

「ん?」


 俺が葛藤して黙り込んでいたら、すみれは真っ赤な顔のまま、恐る恐る声をかけてきた。


「ちょっと、トイレ行ってくるから。ぜーったいに逃げないでよ?」

「へ?」


 照れて真っ赤な顔をしてるのかと思ったら、すみれはトイレを我慢していたようだ。


「あ、ああ。もちろん逃げはしない。あそこだ。早く行ってこい」



 俺がトイレの案内板を指差すと、すみれは「うん」とひとこと言って、早足でトイレに向かって駆け出した。


 俺は、背骨を抜かれたように脱力して、はぁーっと大きく息を吐いた。


 すみれの後姿を見送っていたら、ズボンのポケットからスマホの着信音が鳴った。

 取り出して画面を見ると、妹の夏実からだった。

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