第36話:あわあわしちゃって、春馬さん可愛い

「あ、あの……どどど、どういう意味だよそれ?」

「どういう意味ってね……」


 すみれはそこまで言って、それ以上はもう我慢ができないって感じで、いたずらっ子のような顔でくすくすと笑いだした。


「あわあわしちゃって、春馬さん可愛い」

「は?」


 やっぱりからかわれてたか。

 いや、ガキのからかいに素直に反応して焦る俺も俺だが。


 すみれが言った『あたしが春馬さんの彼女になっちゃう』というセリフ。

 今のは正直、胸がドキドキしてしまったし、顔がかなり熱い。

 いや。なんなら足先から頭のてっぺんまで、全身がカッカと燃えてる。


 こんなに動揺して身体が火照るって、俺が完全にすみれを女として意識してるってことだ。

 しかも単に女性というだけではない。

 俺が・・好きな・・・女の子・・・として意識しているということだ。


 頭では、それはまずいってわかってる。

 すみれを女として意識してはいけないんだって、今まで俺の脳はずっと警報音を鳴らし続けてきた。


 しかしそんな脳をあざ笑うかのように、俺の心はどんどんすみれに惹かれていってる。

 それはもう、自分自身でもごまかしようのない事実だ。今ので明確に自覚した。


 だけども俺は大人だ。

 心の赴くままに行動するなんてわけにはいかない。

 ちゃんと理性ってヤツがあるんだ。


「ガキのくせにしょうもないこと言うな」

「しょうもないこと? なんで?」

「思ってもいないことを言って大人をからかうなってんだよ」

「思ってもいないことかぁ……ふむ」


 すみれは人差し指をあごに当てて、少し上を仰ぎ見た。

 視線の先には突き抜けるように真っ青な空。


 今日のすみれはお洒落しているし、いつにも増してキラキラと輝いている。

 そんな美少女が爽やかな青空の下で見せたたおやかな・・・・・仕草・・は、とても絵になる。


「春馬さん!」


 すみれは突然俺の名前を呼んで、半身状態から真正面に向き直った。

 足を揃え、両手は後ろ手にして、少し上半身を前に傾ける。

 その表情にはふざけた色はなく、ふわりと柔らかな笑みをたたえている。


 なにか真剣に伝えたいことがあるような態度だ。


「ん? なんだ?」

「ありがとね」

「なにがだよ、突然」

「ん……色々」

「急に礼を言われて、色々じゃわからん」


 俺は怪訝な顔をしてるのに、すみれときたらそれでも楽しげな表情を崩さない。


「オープンキャンパスに来てホントに良かった」

「そっか」

「あたしはね。同級生のみんなが描いてるような明るい将来なんて、自分には来ないんだってずっと思ってた。だから将来やりたいことなんて考えても無駄だし、考えたら考えるほど、虚しさだけが胸の中に広がっていったんだよね」


 そっか。だから将来の夢は諦めたのか。

 普段から何かとめんどくさそうな態度だったのも、それが関係しているのかもしれないな。


「だけどね。今日こうして実際に大学に来てみたらね。なんかさ。未来に希望を持つのもいいのかなって。春馬さんが言ってくれたように、奨学金で進学する方法もあるし」

「そうだよ。高校出たら、そこから先の人生は親のいいなりじゃなくていいんだから。自分の力でやれることだって、きっとたくさんある」

「うん。それに気づかせてくれたのが春馬さん」

「あ……そっか」


 出会って最初の頃のすみれは、いつだって無気力な態度と話し方だった。

 今目の前にいる美少女には、そんな影は微塵も見えない。

 柔らかな笑顔と楽しそうな口調。

 これが本当のすみれの姿なんだな。


「それにね、春馬さん」

「ん?」

「春馬さんって優しいじゃん」

「そ……そっか?」


 それは意外な言葉だった。

 俺が優しい?

 すみれに対して?

 特に優しくした記憶はないけど。


「二人きりで部屋にいても絶対に手を出そうとしなかったし、危ない目にあったら助けに来てくれたし。いつだってあたしのことを真剣に心配してくれた。こうしてオープンキャンパスにも付き合ってくれたし」


 まあそれは、俺が特に優しいってことじゃない。

 女子高生相手に、社会人の男なら当然の態度だろう。


「だからね春馬さん。あたし春馬さんのこと……」


 すみれは少し潤んだ瞳で俺を見つめている。


 さっきすみれは、俺の彼女になるって言った。

 それは完全に冗談で、単に俺をからかってるだけだと思った。

 だけど今の話の流れからすると、すみれは俺のことを好き──


「……嫌いじゃないから。だから彼女になってあげるよ」


 ──え?


 あれ?

 肩すかし。

 好きだなんて言葉を期待してた自分があまりに恥ずかしい。

 あまりに恥ずかしすぎて、俺自身をす巻きにして東京湾の底に沈めてやりたい。


「あのな、すみれ。『嫌いじゃない』と『好き』の間にはアマゾン川ほどの大きな隔たりがあるんだぞ。嫌いじゃないから彼女になるなんて言い出すのはおかしい」


 俺がそう言い返したら、すみれは「くぅっ……」と歯噛みした。

 そして悔しそうな顔で俺を睨んできた。顔が真っ赤だ。

 やっぱり俺をからかおうと思って、失敗したから悔しがってるのか?


「んもう、理屈ばっかり。あのさ春馬さん。大人なんでしょ?」

「ああ、そうだけど?」


 何が言いたいのかよくわからん。

 すみれは真っ赤なまま頬をぷっくり膨らませた。

 今日の大人っぽいファッションに不釣り合いな、子供っぽい表情。

 それがまた、より一層すみれの可愛さを演出している。


 すみれはなぜか大きく二、三回深呼吸をした。

 大きく肩が揺れて、同時に目の前の大きな胸も揺れる。

 つい目が行きかけたけど、最大限の気力で視線をすみれの顔に戻す。


 すると、顔を真っ赤にしたすみれの口からこんな言葉が放たれた。


「あたしだって恥ずかしいんだよ。彼女になってあげるってあたしが言ってる時点で察しろ」

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