第35話:すみれは嘘をつく

 制服姿の夏実なつみが、にんまり笑った。


「彼女ができたなんて知らなかったよ、お兄ちゃん」

「あ、いや……お前、なんでこんな所に……?」

「前にお兄ちゃんが、城北大っていいぞって教えてくれたでしょ。だからオープンキャンパスに来てみたいって、ずっと思ってたんだ」


 そう言えばそうだ。以前ここを取材に来た時に、受験生である夏実に教えてあげたんだった。


「一人で来たのか?」

「うん。そうだよ」


 母親が一緒じゃないのが不幸中の幸いってやつだ。


「あ、はじめまして! 妹の夏実です。兄がお世話になっています」


 なつみはすみれに向かって、ぺこんと頭を下げた。

 ショートヘアの黒髪が揺れている。


 うんうん、さすが我が妹。礼儀がしっかりできている。


 ──とか感心してる場合じゃねぇ!


「あ、いや、夏実。この子は……」

「あら、妹さん? はじめまして。春待はるまち すみれです」


 なんとすみれが、栗色の髪を片手で掻き上げながら平然と答えた。

 その仕草も、なんなら話し方さえもいつもより大人っぽく艶がある感じだ。


「すみれさん? わぁ、すっごく大人っぽくて美人さん」

「そう? ありがと」


 すみれは少し目を細めて、また大人っぽく色気のあるオーラを放出した。

 今日の大人っぽいファッションと相まって、絶対に高校生には見えない。


「いいなあ、すみれさん。美人だなぁ。やっぱり大人っぽいなぁ」


 いや、夏実。お前と同い年だぞ。


「夏実ちゃんだって凄く可愛いよ」

「え? ありがとうございます!」


 こらこらこら!

 何を勝手に盛り上がっとるんだ?

 そもそもすみれは夏実と同い年だろ?

 何を大人のフリをしてるんだ?


 ここですみれが『実は高校生』なのだとカミングアウトしたら、さらに厄介なことになるからまあいいんだけど。


 夏実は両手を顔の前で合わせて、憧れの綺麗なお姉さんを見るようなキラキラとした視線をすみれに向けている。


「お兄ちゃん!」


 夏実がニコニコ笑顔を急に俺に向けたから、背筋がピキンと硬直した。


「はっ、はい!?」


 声が裏返ってしまった。

 ヤベ。カッコわる。


 夏実がすっと近づいてきて、耳元でぼそぼそと呟いた。


「この前彼女と別れたから、お母さんも私も心配してたのに……もうこんな可愛い彼女を作っちゃったんだね。やるねお兄ちゃん!」


 別れた香織かおりの話題は、すみれに聞かせるべきじゃないという夏実の心遣いだろう。

 だけど夏実よ。

 根本から事実誤認してるんだよキミは。


「あ、いや夏実……」


 事実をどう伝えようか迷っていたら、夏実はパッと俺から離れてすみれに笑顔を向けた。

 そしてはっきりしっかりした声で「お兄ちゃんをよろしくお願いします、姉御あねご」と頭をぴょこんと下げる。


 姉御とかユーモアまで交えながら兄のことをお願いするなんてことは、ちょっとやそっとじゃできない。

 うん、かなりよくできた妹だ。

 これが相手がホントに俺の彼女ならば、百点満点をあげよう。

 だけど残念ながらそうじゃないから、夏実の素晴らしい対応はまったく意味がない。


 逆にすみれの方は、夏実にこんなことを言われて焦ってるに違いない。

 そう思ってすみれに目を向けたら──


「うん。まかせときたまえ」


 片手を腰に当てて、大人っぽくこくんとうなずいた。


 おいおいおい!

 なにを調子に乗っとんだ?


 開いた口がふさがらないとはこのことだ。

 俺は唖然として、実際に何も言葉が出てこない。


「じゃあお兄ちゃん。もうすぐ始まる大学説明会に出席するから、私はもう行くね」

「あ、夏実……」

「がんばってねお兄ちゃん!」


 夏実は心の底から嬉しそうな笑顔を振りまいて、駆け足で走り去っていった。


 なんてことだ。

 実の妹にまで、すみれが彼女だって誤解されたままになってしまった。

 横を見るとすみれが「ばいばーい」と、能天気に手を振っている。


「おい、すみれ。いったいどういうつもりだよ?」


 俺のかけた声に、すみれは横を向いて俺を見上げた。


「あ~、面白かった」


 いたずらを大成功させたように、にんまり笑顔のすみれが親指を突き立てた。

 いや、これは、面白かったで済む問題か?

 『いいね!』みたいな手つきをしてるんじゃねぇよ。


「春馬さんの彼女に間違われちゃったね」

「なんで否定しないんだよ。単なる知り合いはまだしも、さすがに妹に嘘つくのはまずいだろ」

「そっかな?」

「そうだろよ」

「いいんじゃない?」

「なんで?」

「だってお兄ちゃんがどこの誰と付き合ってるかなんて、いちいち妹に報告しないのが普通でしょ?」

「ああ、それはそうだ」

「だったら別に事実じゃないことを誤解されてたって、特に支障はない」

「待てよすみれ。夏実だけなら別にいいよ。だけど夏実は絶対に母親に言うんだよ。そしたら母は……」


 すみれはきょとんと首を傾げた。


「この前別れた彼女さ。実は結婚するつもりだって母親に言ってあったんだ。でも結局別れたからな。新しい彼女ができたなんて母が知ったら、絶対に根掘り葉掘り訊かれるに決まってる」

「あ……そうなんだ。ごめん。そんなこと知らなかったから……」

「まあすみれには、そこまでは言ってなかったからな」

「ん……じゃあ、嘘じゃなくするしかなくない?」

「え? どゆこと?」

「あたしが春馬さんの彼女になっちゃうってこと」

「は?」


 アタシガハルマサンノカノジョニナッチャウ?


 すみれが話してるのは何語?

 フランス語かなんかか?


 俺にはすみれの言葉がまったく理解できなかった。


 あ、いや。すみれが話しているのは間違いなく日本語だ。

 つまり今すみれが言ったのは『あたしが春馬さんの彼女になっちゃう』というセリフ。


「あ、あの……どどど、どういう意味だよそれ?」

「どういう意味ってね……」


 すみれはそこまで言って、それ以上はもう我慢ができないって感じで、いたずらっ子のような顔でくすくすと笑いだした。

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