第29話:すみれが夢を諦めた理由
すみれが看護師になる夢を諦めた理由。
それは──
「あたし、ママから高校卒業したら働きなさいって言われてるんだ。大学も専門学校も行けない。だから看護師にはなれない」
「そうなんだ…… しっかりお母さんと話し合ったらどうなんだ?」
「何度も話したよ。でもダメだった……」
すみれは悔しそうに目を伏せた。
「ママとパパはあたしが中学の時に離婚してね。でもそれからはママは、女手一つであたしを育てるために、一生懸命働いてくれた。あたしが高校受験の時は、どこでも好きなところに行きなさいって言ってくれて……ママはすごく頑張って仕事してた。だから私立の高校に入れたんだ。だけど高校に入ってからちょっと経った頃にね……」
すみれはちょっと言葉が引っかかるように、言い淀んだ。なにか言いにくそうだ。
「ママに彼氏ができちゃって。仕事も以前ほど一生懸命やってないし、ファッションや遊びに行くお金とか、派手に使うようになって……『私学で高い学費を払ってるんだから、これ以上学費は出さない』って言い出した」
「そうなのか……」
きっとすみれのお母さんにも色んな事情があるに違いない。
それに他人の家庭のことだ。
俺がお母さんを責めることも、酷い親だって言うこともできない。
だけど、目の前のすみれが夢を諦めざるを得ない状況にある。それは事実だ。
「お母さんが再婚するなんて可能性は?」
「ない。だって相手の人は妻子持ちだもん」
なんと。
もしすみれのお母さんが再婚したら、新しいお父さんが学費を出してくれるかもなんて思ったけど……それも難しそうだな。
しかし──他人の家庭に口を出すべきじゃないのはわかってる。
だけど自分の娘がやりたいことを諦めざるを得ないような行動をするすみれの母親にムカついた。
そんな理由ですみれが将来の夢を諦めるなんて、そんなことがあっていいのか?
だけど俺には何をどうすることもできない。
ムカついた気持ちをどこに持っていったらいいのかわからない。
いや。俺がすみれの母親にムカついても、何も変わりはしない。
だったら何か、すみれの役に立つことを考えた方がよっぽど建設的だ。
「あっ、そうだすみれ。奨学金を借りて進学するって方法があるぞ。俺も中学の時に両親が離婚して、母親が女手一つで俺と妹を育ててくれたんだ。だから高校の時からバイトしてお金を貯めたし、奨学金で大学に行った」
「春馬さんも親が離婚してるんだ」
「ああ、そうだよ。俺の場合は母親はちゃんと働いてくれたけどね。でも妹もいたから、経済的にはなかなか苦しかった」
「妹さん、いるんだね」
「ああ。すみれと……同い年だ」
妹のことは言おうかどうか一瞬迷ったけど、別に隠す理由もない。
「あ、そうなんだ、へぇ、そうなんだ。ふぅん、そうなんだ」
「なんだよ?」
「別に。妹ちゃん、可愛いんでしょ?」
「ああ、可愛いよ。すみれと違ってな」
「あ、ムカつく」
「は?」
「別に」
すみれはぷっくり頬を膨らませて、ぷいと横を向く。
そう言えば、すみれのリアクションって、以前とは変わったよな。
最初の頃ならこんな仕草は見せなかった。
めんどくさそうな顔や態度が多かったし、その頃ならたぶん「ふん」のひと言で鼻で笑ってただけだろう。
「あ、それよりも春馬さん」
「なに?」
「大学って楽しかった?」
「まあ、そうだな。俺は特に明確な目的はなかったからなぁ。バイトとサークル活動に明け暮れた日々だった。でも楽しかったよ」
「そっか……どこの大学だったの?」
「それを訊くか?」
「なんで? 訊いちゃダメなの? ド変態大学出身とか?」
「あるかっ、そんなもん! 俺をなんだと思ってやがる」
「エロおやじ」
「くっ……」
ああくそっ。
せっかくすみれが気の毒だと思って考えてやってるのに。
またいつものすみれに戻ってしまった。
──って言うか。
やっぱコイツ、俺に心配をかけまいとして、こんな態度を取ってるんだよな。
「別に訊いちゃダメってわけじゃないけど、底辺大学なんだよ。京都にある西都学院大学だ」
「底辺……なの?」
「あ、まあ偏差値がな。かなり低い。だけど学生はみんな気の良いヤツらばっかで、まあいいガッコだったぞ。あはは」
そうだよな。自分が出た大学なんだから、別に卑下することもない。
実際に多くの友達とあそこで知り合ったわけだし。
……あ、やべ。
香織のことを思い出しちまったよ。
「大学かぁ。どんな雰囲気なんだろなぁ」
「まあ高校とは全然違うな。自由だし広々してるし。まあ大学にもよるけど」
「進学はするつもりはないけど、どんなとこか一度見てみたいな。春馬さんの行ってた大学って遠いんだよね?」
「ああ。京都だからな。東京からは遠い」
「京都かぁ……いいな。でもさすがに遠い……」
進学するつもりはないなんて言ってるけど。
さっきの話で、もしかしたらすみれは進学への興味を持ったんだろうか。
あ、そうだ。東京の城北大学。
仕事で以前サイト制作をしたことがある。
あそこなら付属に看護学校があった。
「なあすみれ。都内にある城北大学って、俺が仕事で何度か行ったことがあるんだよ。あそこはキャンパスも綺麗だし、付属に看護学校がある。確か今の時期ならオープンキャンパスが……」
スマホを取り出して調べた。
うん。幸い来週の日曜日は、オープンキャンパスをやってる。
「ちょうどいい。オープンキャンパスに行けば自由に見学できるし、色々と学校の説明も聞ける」
「あ、そっか」
「大学の看護学部だと四年制だけど看護学校なら三年制だから、学費の負担的にも、より現実味があるんじゃないかな」
「だから春馬さん。進学はできないって言ってるじゃん。けど……大学ってどんな雰囲気なのか、いっぺん見てみたいな」
「おう、そっか。来週日曜日はオープンキャンパスやってるぞ。行って来いよ」
「一人で……?」
「え?」
そっか。普通なら親とか友達と行くけど、すみれの場合親は無理か。
「友達と行けばいいだろ」
「やだ。友達には、由美香にも進学はしないって言ってあるし。なんかやだ」
だったらさっき俺に言ったみたいに、単に見学してみたいだけって言えばいいのに。
なに俺の目をじっと見てるんだよ。
「それに大学のことに詳しい人が一緒の方が、色々と教えてもらえるし」
「大学のことに詳しい人? ……ちょい待てすみれ。まさか俺に連れて行けって言ってるのか?」
「別に。そんなこと言ってない。でも大学のことを詳しい人に一緒に行ってもらいたいから……あっ、そうだ。春馬さん、友達を紹介してよ。その人に連れて行ってもらうから」
「は?」
俺がすみれに友達を紹介する?
そんな面倒なことできるかよ。
それに紹介できるような友達なんかいない。
俺は就職を機に東京に出てきたんだから、仕事の繋がり以外で友達なんていない。
すみれも初対面の人に案内してもらおうだなんて、本気で思ってはいないよな?
──ってことは、これってやっぱ、俺に連れて行けって言う一択だよな。
「いや。それなら俺が連れて行く」
「別に春馬さんに行ってくれって言ってないんだけど? それとも春馬さんが、すみれちゃんと出かけたいのかな?」
「いやいや。俺が紹介した男とすみれが二人で出かけるなんておかしいだろ?」
「え? 別に男の人を紹介してくれなんて言ってないけど?」
「へ? あ……そっか」
すみれは氷のような冷たい視線を俺に向けた。
やべ。恥ずかしっ。
ついつい思い込みだった。
なんか俺が嫉妬してるみたいじゃないか。
「とにかくそんなめんどくさいことするなら、俺が案内してやるよ」
「そっか。サンキュ春馬さん」
なんだよ。急に可愛く言いやがって。
さっきの突き刺すような視線から、こんどは一転して目を細めた笑顔。
コイツ、案外人をうまく使うタイプなのか?
まあ俺が進学の話を出したんだし、話の流れ上仕方ないか。
それに進学の話にすみれが少しでも乗り気になってるようで、ちょっと嬉しい。
学費の問題はあるものの、これですみれが夢を叶えられたらいいな。
そんなことで、次の日曜日にすみれと一緒に、都内の城北大学のオープンキャンパスに行くことになった。
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