第26話:今日は何時頃帰る?

 しばらくしたら落ち着いてきたのか、すみれは俺の胸から顔を上げた。ホントに泣いてたようで、目は充血してるし瞼は腫れている。

 よっぽど怖かったんだな。


「すみれ。家まで車で送ってくよ」

「いいよ。悪いから」


「なに言ってんだよ。普段は遠慮なんかしないくせに」

「うぐっ……」

「そんな泣き腫らした顔のすみれを、ここで放っぽって行くほど俺は冷血じゃない」

「え……?」


 すみれは慌ててスマホ画面で、自分の顔を確認した。


「ホントだ。酷い顔……でもいいの? 仕事は?」

「ああ。会社に戻らないといけないけど、家に送るくらいの時間は大丈夫だ」

「うん……じゃあ、お願いしよっかな」

「おう」

「あ……ありがと春馬さん」


 すみれはもじもじしてる。

 ホントに遠慮なんかして、どうした?

 すみれらしくない。


「じゃあ行くか」

「うん」


 社用車にすみれを乗せて、家へと向かって走り出した。

 助手席に女子高生を乗せて、万が一誰かに見られたらマズいから、すみれは後部座席に座らせた。

 ルームミラーで様子を窺うと、すみれは靴を脱いで両足を座席に乗せ、体育座わりみたいにしている。

 そしてあごを膝小僧に乗せて、落ち込んだ顔で何度もため息をついている。


「はぁぁっ……」

「どうした?」

「あ、いや……春馬さんに迷惑かけちゃったな……」

「いいって。気にすんなって」

「どしたの? 優しいじゃん」

「俺はいつだって優しい」

「え? ……プッ」

「なに笑っとんだよ」

「あ、ごめん」


 一瞬顔を上げたすみれが、また申し訳なさそうに顔を膝に押し当てた。

 しかし何かを思い出したように、またふと顔を上げる。


「カッコ良かったよ……春馬さん」


 え?

 なんだって?

 まさかすみれがそんなことを言うなんて。


「ななな、なにを言っとるんだ。大人をからかうな!」

「ふふふ。からかってやった」


 あ。やっぱりか。

 くそっ! 思わずどもってしまったじゃないか。

 カッコわりぃ。


「でも……ごめんね春馬さん」

「なにが?」

「勝手に春馬さんを恋人にしちゃったこと」

「あ? まあいいよ。トラブルから逃れるためだろ」

「う……うん。まあね。でも春馬さんの彼女に怒られちゃうね」

「は? なんのことだ? 彼女なんていない。前からそう言ってるだろ」

「嘘つき」

「なんで嘘つきなんだよ?」


 すみれはいったい何を言ってるんだ?

 まったく意味がわからん。

 俺、またからかわれてるのかな?


「あっ、そっか。これから付き合うのか」

「何を言ってるのか全然わからん」

「とぼけなくていいよ。青井さんとめちゃくちゃ仲いいじゃん」

「はぁぁっっ?」


 青井と仲が良い?

 まあ確かに、職場の先輩後輩として仲は良い方なのかもしれない。


「あたし達が撮影してる間、ずっとイチャイチャしてたし」

「イチャイチャなんてしてない」

「ふぅーん……」


 ルームミラーで見ると、すみれはもの凄いジト目をしている。完全に疑っとるなコイツ。違うのに。


「あれはだな。先輩後輩として親しいだけで、彼女だとかそんなんじゃない」

「プッ……」

「なんだよ。なに笑ってんだよ」

「なんか春馬さん必死。可愛い」

「はあ? 必死なんかじゃないし。それに年上の俺に向かって可愛いだなんて、からかってるのかよ?」

「ううん、全然からかってないよ。年上だって可愛いもんは可愛い」

「くっ……」


 なんだよ。

 からかってるんじゃなけりゃ、おちょくってるのか?

 あ、いや。それも似たような意味か。


 いずれにしても……なぜかそんなに嫌な気はしないのはどうしてだろう。


「あのさ春馬さん。今日は何時頃帰ってくる?」

「え? なんで?」

「ん……助けてもらったお礼に、晩ご飯を作ってあげよかと思って」

「そんな気を遣わなくていいよ」

「気を遣うって言うか……今夜はママの帰りがかなり遅いから、食材持ってって作ろうかと思って。作りたてを食べれるよ」

「作りたて……」


 この前すみれが作ってくれた肉じゃがの味を思い出した。めちゃくちゃ旨かった。

 思わず喉がごくりと鳴る。


「物欲しそうな顔しちゃって」

「誰がだ? 物欲しそうな顔なんてしてない」

「ふぅーん……じゃあ食べたくないってこと?」

「あ、いや……」


 食べたくないと言えば嘘になる。

 あ。それよりも、食べたくないなんて言ったらすみれに失礼だよな。


 うん、そうだよ。

 すみれを悲しませてはいけない。


「まあ、食べたい……かな」

「ふぅーん……そっか」


 あれ?

 思ってたより、反応が薄いな。


 そう思ってルームミラーを見たら、すみれはニヤけていた。

 やっぱり自分の手料理を食べたいって言われた方が嬉しいよな。


「今日は早めに帰れると思う。7時頃かな」

「ん。わかった。何か食べたいものある?」

「なんでもいいよ。すみれが作りやすいものでいい」

「オムライスでもいい?」

「うん。オムライスは大好物だ」

「そっか。わかった」


 んんん?

 なんか新婚カップルみたいな会話……だよな?

 そう思うと、ちょっと照れ臭い。


 そんな約束をして、すみれを家の近くで車から降ろした。そして俺は会社へと戻った。



***


 会社に戻ると、既にカメラマンから今日の写真がメールで届いていた。ファイルをダウンロードして開く。


 ──すみれの写真に思わず息を飲んだ。


 綺麗だ……いや、可愛い。

 いやいや、綺麗で、それでいて可愛い。


 キラキラと輝く自然な笑顔。

 ぼかした背景とのコントラスト。

 カメラマンの腕の良さもあって、すみれの魅力がこれでもかと言うくらい引き出されている。


 次から次へと写真をめくり、数々のすみれに見入ってしまった。


 白澤さんもさすがに美しい。

 でも──少なくとも俺の目には、すみれの方が何倍も輝いて見える。


 いや……ヤバいなこれ。

 そう思って、しばらくの間すみれの写真を見てしまっていた。


「先輩! ただいま帰りましたー!」


 突然青井の声が聞こえてドキリとした。

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