第18話:ずっと待ってたのに

「遅いよ春馬さん。なにしてたの?」


 開口一番。とても不機嫌に言い放ったすみれに、俺はドキリとした。


「な、なにしてたって……飲んでた」

「誰と?」

「青井だよ」

「青井……さん?」

「ああそうだ。契約受注の祝勝会してた」

「ふぅん……」


 なんだよこのジト目は。

 俺が誰と、いつ飲もうが俺の勝手だろ。


「今日は晩ご飯持って来るって、あたし言ってたよね?」

「あ、うん。玄関先とかどこかに置いといてくれるのかと思ってた。なんでこんなとこで待ってんだ?」

「は?」


 すみれは引きつった顔で眉間に皺を寄せる。


「だって食べ物なんだから、地面に置くとか、なんとなく嫌じゃん。だからずっと帰って来るのを待ってたのに……」


 俺が帰るのを待ってた?


「なんでこんなとこで待ってるんだよ?」

「最初は自分の部屋で待ってたけど。あんまり遅いから、何かあったのかと思って、さっき出てきた」


 それってすみれが俺を心配してたってことか?

 マジかよ?


「そっか。悪かったな」

「最悪」

「最悪なんて言うなよ。まさかずっと待ってるなんて思ってなかったんだ」

「それくらい想像しろ。社会人なんだから」


 ──は?


 コイツ、なんでそんなに偉そうなんだよ?

 そんな想像なんてできるわけがない。

 俺もちょっとムカついた。


「俺は別に、待っててくれなんて言ってない」


 すみれはその言葉を聞いた瞬間、顔がこわばった。頬がぴくぴくと震えてる。


 あ、ヤバい。

 結構酔いが回ってたのもあって、あまりに偉そうなすみれの物言いに、ついついキツく言い返してしまった。


 こんな夜遅くにすみれがわざわざ待ってくれてたのは事実だ。

 ちょっと言い過ぎた。謝らなきゃ……


「どうせ春馬さんも、あたしをウザいって思ってるんだ」


 ──え?


 すみれはパッと身体を翻して、エントランスの中に走っていった。


「あ……待てよ」


 夜遅いし、あまり大きな声は出せない。

 すみれを追いかけてエントランスに入ると、階段を大股で駆け上がるすみれが見えた。


 俺も走って階段を上がるものの、すみれはどんどん離れていく。

 コイツ速いな……やべ、運動不足な上に酒が入っててムリだ。心臓がバクバクと破れそうで苦しい。


 ようやく三階まで上がり切った時には、すみれは俺の隣の部屋、つまり自分ちに入っていくのが見えた。


 家の中にはすみれの親もいるだろう。

 さすがにそこまで追いかけて行くわけにはいかない。


 仕方ない。

 俺はぜいぜいと息を切らしながら、鍵を開けて自分の部屋に入った。


 少しモヤモヤしたものはあったけど、酔ってることもあって、この日は早い時間に寝てしまった。



***


 翌日。目が覚めたらもう昼前だった。

 昨日のできごとを思い出す。


 すまれは夜遅くまで俺を待っててくれてた。俺を心配だなんて言ってた。いつも毒舌を吐くアイツだけど、優しいところがあるんだなと改めて思う。


 そんなすみれに俺は『待っててくれなんて言ってない』って言ってしまった。

 昨日は酔ってたとは言え、すみれの気持ちを考えたら、そんなことを言うべきではなかった。


 ふだんすみれをガキ扱いしてるくせに、俺の方が心配りができないガキだ。

 反省の気持ちが込み上げて来る。


 そしてすみれの言葉をふと思い出した。


『どうせ春馬さんも、あたしをウザいって思ってるんだ』


 どうも引っかかる。

 すみれは『春馬さん』と言った。

 他の誰のことを言ってるのか。

 母親とうまくいってないみたいだし、その可能性は高そうだ。


 そしてあの時のすみれの目は、もの凄く悲しそうだった。

 今まででも決して明るい感じではなかったけど、それでも昨日みたいな、あんな悲しそうな目は見たことがない。


 すみれには、俺がまだ聞いてない事情や思いが色々とあるのかもしれない。


 そう考えると、余計にすみれには昨日のことを謝りたい。

 だけどこちらから、彼女に声をかけるのは難しい。


 まさかすみれの家に訪ねて行くわけにはいかないし。


 すみれは──またこの部屋にやって来るだろうか。もしかしたらもう二度と来ないのではないか。


 そんな気がした。




 しばらくして俺は昼飯を食いに駅前まで出た。食い終わったあと、どこかに遊びに行こうかとも考えたけど気乗りがしない。だからそのまま家に帰ることにした。


 マンションに着き、階段を上がって行く。

 三階まで上がりきったら、一番奥のすみれの部屋の前で、玄関ドアに鍵をかけている中年女性がいることに気づいた。


 その女性はそのままこちらに向かって歩いてくる。廊下の途中ですれ違う時に俺が軽く会釈すると、女性も会釈をして通り過ぎる。


 パーマをあてた髪に、少しケバい化粧。

 服装もバッグも派手で、いかにもお出かけという雰囲気だ。


 40歳前後だろうか。かなりの美人。

 そう言えばすみれによく似ている。

 お母さんと二人暮らしって言ってたし、間違いなくすみれの母親だろう。


 俺は室内に入り、ベランダに出て外を見た。

 さっきの女性が駅の方に歩いて行くのが見えた。


 やはりどこかにお出かけするんだろう。

 これはチャンスだ。


 すみれが家に一人でいる可能性が高い。

 今なら訪ねて行って、謝ることができる。


 そう考えて、玄関に向かって歩き出した。


 ──あ、いや。


 すみれが家にいるとは限らない。彼女もどこかに出かけてるかもしれない。

 それにもっとヤバいのは、もしかしたらすみれ以外の誰かが家にいるかもしれないってことだ。そうなると俺が訪ねて行くのはマズいだろ。


 そうだよな。やっぱすみれの部屋に行くのはよそう。

 俺は玄関の手前で足を止めた。


 ふと昨夜のすみれの悲しげな目が頭に浮かぶ。


 彼女は俺にないがしろにされて、きっと凄く悲しい思いをしたに違いない。このままにしておいて、ホントにいいのか?


 俺がすみれの部屋を訪ねるのを躊躇してるホントの理由は、他の誰かがいるかもしれないから……じゃない。

 

 昨日のできごとは、ホントに俺が悪いのかって気持ちがあるからだ。

 俺が謝らなきゃいけないのかよって疑問に思ってるからだ。

 でもあんな悲しそうな目をしたすみれを、放っておいていいのか。


 ──いや。


 なあ、春馬よ。前向きに行こーぜ。

 謝らなきゃいけないとか、謝らなくていいとか、そんなことは考えるな。


 俺はどうしたい?


 アイツは拗ねたような顔ばかりしてるし、ウザいことばかり言うヤツだ。だけどすみれのおかげで、香織かおりのことが気が紛れてるのも確かだよな。

 それにアイツは6コも下のガキだ。そんな子供相手に、大人の俺が意地を張ってどうすんだよ。


 いや……そんな理屈よりも。

 俺は──すみれの笑顔がみたい。


 ただ単純にそう思った。

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