003
周りの音が聞こえないくらいの土砂降りの大雨が続いていた。そんな出かけるには持ってこないの日。そんな中、鳴神はバス停の屋根の下で例の依頼人を待っていた。
すると、肩を2回叩かれる。一瞬、彼かと思ったが、地に這う影の大きさが全く違ったため、恐る恐る振り向いた。
ぶすっと、頬に刺さる人差し指。いつ流行ったんだっけ、この騙し打ち__なんてどうでもいい方向に思考が削がれる。
よく見知った顔__否、顔は前髪に隠れて見えない。
「あはは。引っかかった」
面白いなんて、微塵も思っていないのだろうか。笑っているけれど棒読みなこの少年は、同じクラスの同級生で折鶴を折る会の最後のメンバー、
彼とは結構気が合う。
いや、基本的に、鳴神は誰とでも気が合(鳴神だけがそう思っているだけかもしれないけれど)、と自負しているのだけれど。彼とは生まれ持った波長が同じなのか、一番気が合うのではないかと思っているのだ。鳴神は神さま、彼は
しかし、ここだけの話__でもないけれど、誰も彼の素顔を見たことはない。この
風で
「上さまもどこか出かけるの? こんな雨の日に」
鳴神も人のこと言えないけれど、取り敢えずそう投げかけた。
「いいやぁ、帰ってきたところー」
まだ10時だけれど。
「朝帰り? 」
「まぁねぇ。神様は? デート?」
「違うよ。出かけるだけ。依頼だからね、これも」
「へぇ」
興味なさげな返答。
「傘がないなら貸すけれど」
鳴神は持ってきていた傘を、彼の前に差し出す。
「鳴神は濡れても平気」
神さまだから__と、一言付け加える。
しかし、この雨の強さでは濡れないほうが無理だろうけれど。風がないだけまだ、傘は役目をはたせるだろう。それに、王子にもう一本、傘を持ってきてもらうようメールした。
彼は、躊躇なく「ありがとう」と告げて受け取った。
やはり、彼は傘を待っていたのだ。目は髪で隠れていようが、視線がなんとなく、鳴神左手を捉えていたことに気づいた。帰ってきたというのに、帰らないのは、この雨で帰れないのだろう。昨日は晴れていたのだから。
バサッ__
傘が勢いよく開いた。さして、鳴神と変わらない身長の上さまだけれど、やはり男の子の彼には、ドーム型の傘は少し小さいような気もした。
「じゃあねッッ__?!」
ゴンッ__
次は、痛みを伴うような鈍い音が、重力を持って空気を振動させた。
彼が思い切り、頭をぶつけたのだ。停留所のあの棒に。打っていない鳴神も、共感覚か芽生えたのか、自分の頭を撫でる。
被害者の彼もまた、デコ押さえてしゃがみ込んで悶絶中。
その様子を静かに眺めていた。雨粒がバス停の屋根や、道路に強く打ち付けられている音がやけに大きく聞こえてくる。田んぼの多い田舎だからか、車通りも少なく、どちらかと言えば喧騒よりも静寂の方が多い。たまに、昼間に、遥か頭上を横切っていくヘリコプターの騒音で障子や戸が揺れたり、夜になれば虫の声が聞こえるくらい。
だから、こんな
一時して、恐る恐る声をかける。
「大丈夫じゃなさそうだけれど大丈夫、って一応聞いてみるけれど__大丈夫?」
「大丈夫。頭は固いほうだから」
だそうだ。
「壁とか、扉とか、電柱とか__取り敢えず、もっと自粛して欲しいよね。もっと遠慮とか覚えた方がいいと思う__オレのことを考えて」
突然何を言い出すかと思えば、動かない・喋らない、物に対しての抗議の論だった。
「髪を切ればいいのでは? いい
腕は保証するよ、と売り込む。
「だって双子だし、与一は左目隠しているし、じゃあオレもおそろいにしよっかなーってだけ。でも片方だけって分け目が面倒だから、じゃあ両目にしようってね。ほら、ファンタジーな話とか漫画とかで良くある双子設定じゃん、あるあるだよ」
言っていることは分からないでもない。左右非対称な髪型で、ふたり揃えば対称になる、双子のキャラがいないこともない。しかしながら、分け目が面倒で全部を隠してしまうあたりが、上さまらしいというか。
「見えにくくはないの?」
「うん、良く見えないよ。だからよく頭ぶつけてるじゃん」
(笑)__と語尾につきそうなくらいの自虐。確かに、思い返してみればそうだった。必ずと言っていいほどどこかしらのドアや柱に顔面をぶつけていたような。
鳴神より身長は高いけれど、男の子にしては小柄な方で、打身する分の
「ま、おれ石頭だし。なんならダイヤモンド並みに硬いし。いやいやロンズデーライトかも知れないし__もっと言えばウルツァイト窒化ホウ素くらいかも」
「……なんて言ったの? ダイヤモンドは聞き取れたんだけれど__チューレンポートゥ? フロイト、チェ・ゲハラ?」
「一文字もあってないよね。雰囲気とニュアンスだけで乗り切らないでくれる? 語彙のセンスも含めて、無知なのかそうでないのかわかんないけど」
「そりゃあ知らないことだってあるよ。元々人間なんだもん」
「ポンコツだね」
「うん豚骨ラーメン食べたくなった」
「いーねぇ、帰りに食べて帰ろうよ」
「え、帰らないの?」
「いやぁ、ちょっとねぇ、面白いことが起きそうな気がしてきたからねぇ。お供しまぁす」
ラーメンは奢りでいいよ、と条件まで提示するほど着いてくる気満々のようだ。
「鳴神はどちらでもいいのだけれど、王子が__」
「私は構いませんよ」
依頼主が拒否すれば連れてはいけないと、言おうとしたけれど、そんな心配は無用のようで、鳴神の背後から了承の声が聞こえた。
「傘も持ってきました」
まるで、貴族の紳士が持つような取手の黒い傘を、上さまに渡し、鳴神の傘が手元に戻ってきた。
「これでオレもついて行っていいよねぇ? 神様」
「もちろんだよ」
鳴神が承諾の意を示すと、幸先よくバスが到着した。
行き先は、というと__。
「陶芸教室」
「文化的ぃ」
「一度やってみたかったんですよ」
ふわふわとう浮ついて、紅葉をした頬。天気はどんよりしているけれど、彼の周りだけ虹が見える__ような気もする。隠喩だ。どう見たって__どれだけ頭の弱い人間が見たって、雨雲のどんより感は否定できない。
「それで御二方はこれに着替えてください。制服だと汚れますから」
紙袋をそれぞれ渡されて、建物の中の更衣室と思わしきところへ案内される。
「神さま、相変わらず制服しか持ってないんだねぇ」
「通気性がいいからね。それにスカートでも動きやすい。結婚式も葬式もこれ一着で行けるんだよ。汎用性が高くて何物にも変え難いんだよ」
「学生のうちだけだけどねぇ? それに、制服だと、R指定の時は困るでしょー」
「R指定の付くようなとこには行かないと思うけどなぁ。鳴神は」
「そぉお?」
「上さまの朝帰りは、そう言う指定の入るようなことをしていたわけなの?」
彼も制服だったけれど、聞くだけ聞いたみる。
「さぁ? ご想像にお任せするかなぁ」
帰ってきたのは煮え切らない回答。しかし、明確な答えが欲しかったわけでもない。
特に、鳴神がどうこう口出し出来る問題でもなければ__そもそも、口出ししようなんて、微塵切りされたキャベツよりも、擦り下ろされた大根おろしよりも__これっぽっちも思っていない。
ループタイを緩めて、制服のボタンを外して、制服の上からでも存在感はなく、インナーになれば余計に無いという事実が主張され、相変わらずどちらとも取れない自分の平たい胸を見て、一般的には丈の短いTシャツを着た。
そして
ないことはわかるけれども、鳴神にはそれほどのファッション知識がないために、それ以降の思考は放棄した。
上さまの方を見れば、彼は吊り紐ののついたハイウエストなパンツだ。
「ねぇ、これ見てよ。上さま。横が開く! 真ん中にもあるけれど、ここを開いたら、股が裂けたりしないよね?」
「なに言ってるの……いや、もしかしたら__」
上さまはふざけて言葉を濁す。
「裂けませんよ。面白いこと言いますね。さすがに、そのような力は持っていないです」
ふふふ。
口元に手を当てて、上品に笑う。これは王子の品格。
そのような、と言うことは、また別の超能力でも持っているのだろうか。
いや、十二分に持っていそうな風格はあるけれど。
ぼんやり、呑気に考えていると、王子はそろそろ時間だと切り出した。
陶芸教室とは一概に言っても、陶芸の歴史の導入から、軽く器具の使い方を説明してあとは自由に作れとのことだった。芸術は爆発だって、最もらしいことを言っていたけれど、逆にそれが胡散臭いとも思ったけれど__先生は、界隈では結構著名な人らしい。
いつだったか覚えてはいないけれど、鳴神の一つ上の兄、不知火くんに聞いたことがある。
芸術は爆発だって、思ってたりするの?
なんて。
案の定、あからさまに__こいつなに言っているんだ、と、虫ケラを見るような目で鳴神を見てきた。
「ではでは、長らくお待たせしまして__相談事を聞くとするよ」
ぐるぐる、うぃんうぃん、とモーターが駆動する音をbgmに、粘土の造形作業に勤しみながらも、本日のメインディッシュの話題へと移った。
「私は今日殺されます」
6/4 ナントデモ成(鳴)相談窓口 井口示右 @qwqw1999
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