001

「それで何の用なんだよ?」


 王子が教室を出て行ったすぐ後のこと。鳴神にしては珍しく、携帯を携帯していた。そして、その首からぶら下げていた携帯電話が、振動していたことに気づいた。小さなディスプレイには、よく知った名前が映し出されていた。

 鳴神の弟__百合くんからだった。

「急いで帰ってこい」と言われたから、帰ってきたというに__なぜゆえ、我が弟は、こんなにもまったりかつ優雅に、老後の爺さんのように茶を啜っているのだろうか。


「ああ、鳴ちゃん。やっと来た」

「そうだよ。鳴神はやっと来たのだけれど__いや、すごく急いで来たのだけれど?」

「神様ならもっとこう、早く来れるんじゃない?」

「つまり、鳴神が瞬間移動できるとでも? 」

「鳴ちゃんにしては、鋭いね」

「買い被り好きだよ。神さまってものをさ」

「なに弱気なことを言ってるんだよ! 鳴ちゃん! 神様になった日、言ってたよね? 全知全能を__ゼウスをも超える神になるって__!」

「誰も言っていないし、セリフと声と顔の熱量が違いすぎなんだけれど……。もはや君は誰なんだよ……」


 ノリが良いのは確かなのだけれど。


「中学は? テストでもないよね?」

「そうだね。テスト期間ではないよね。気が向いたら行ってるから。それに、鳴ちゃんは僕に学校に行けって、言えた口じゃないよね」

「そうだね。滅相もないよ。学校へ行けなんて、文字通り口が裂けても言えないよ」


 肯定した。

 肯定する他に道はない。

 なぜかって__

 それは、鳴神が中学に通った日数を知れば、馬鹿でも察せられるから。

 言及されるのは目に見えて分かっていた。自慢ではないけれど、通算100日しか行っていないのだ。

 定期テストは、満点しか取ったことない百合くん。定期テストじゃなくても、そうなのだろうけれど。

 赤点ギリギリでまかり通る、鳴神の人生__訂正__神生においては、彼にどうのこうのと、指図できる立場ではないと言うこと。

 まぁ、四則演算と家計簿さえつけられれば、それで生きていけると思っているし、生きていけているし__何を隠そう、鳴神は神さまなのだから、そうそう困ることはない。

 かの『乱世の奸雄かんゆう』と評されている、曹操だってそうそう、なんて頷いているに違いない。


「取り敢えずは座って、お茶を飲んで、それから掃除、手伝って? あれ」


 彼は目でそれを指す。

 頼み事というのは掃除を手伝え、ということらしい。部屋の隅の方に、山積みにされた本や衣類が見える。


「猫の手を借りたいわけだね。鳴神は神さまだけれど」

「お菓子もあるよ」

「供え物っていうところかな? 安く見積もられたものだねぇ。これ昨日の見切り商品ゾーンのとで買ってきた最中モナカ落雁らくがんだよね? 合計金額いくらだと思う?」

「198円でしょ? なに、高級メロンでも期待してたの? 姉さんこそ、神様のくせに強欲すぎると思うけど? 神様なら海より、宇宙よりも広い心を持ってないと__」

「ゼウスを越えられないって?」

「越えられないよ?」

「いや、そのネタはもう引きずらなくていいよ。少年漫画じゃあるまいし」

「いや、待ってよ。鳴ちゃん__鳴ちゃんには、読者及び視聴者の人間に親近感を抱かせる必要があるんだよ。そうすれば、どんなに鳴ちゃんがヘマしたって、自分を自分で補えるからね。サーブアンドブロックってやつ」

「? なにそれ」

「バレーの戦術の一つだよ。サーブで相手を崩してブロックでトドメを刺すってやつ」

「へぇ……って感心したいところなんだけどさ。__その前の発言は、普通に、鳴神をディスっているんだよね?! 」

「まぁルール的に、サーバーは後衛だからブロックは必然的にできないけど、鳴ちゃんなら大丈夫。神様だからね」

「……」


 話を聞かないところは誰に似たのか__。

 いや、自分にも思い当たる節はあるから言い返せはしないし、百合くんのスルースキルには勝てる気もしないし、残された手段といえば、沈黙しかない。

 そんな沈黙を破る、鶴の一声ならぬ、蛙の一声。


 《メールだケロ__メールだケロ__メールだケロ》


 3回の振動と3回の着信音の後、小さなディスプレイの光が消えた。


「王子」


 彼は目ざとく、ディスプレイの名前を把握していたようで、呼称を呟いた。


「うん、王子だけど?」

玉子たまごになってるよ」

「ああ……」


 アドレス帳には、彼の言う通り『玉子』の文字。


「登録するとき、間違えたみたいでさ。でも変更の仕方分からないから、そのままにしていたんだよ」


 使用頻度がそれほど多くない電子機器。鳴神には豚に真珠。猫に小判。加えて携帯しないわけで。宝の持ち腐れもいいところ。


「まあ、点ひとつだし。いいかなぁって」

「へぇ恋人なの?」

「え、いや違うけど。転校生が来たって言ってなかった?」

「知ってるよ。会ったことはないけど。そのネーミングって、海外から来たからって意味で王子様なわけ?」

「そうそう。さすが百合くん」

「安直。偏見すぎない? 」


 じっとり、湿気を帯びた目が鳴神を捉えている。しかし、それを覆す一言が降ってきた。

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