第9話 少女は清く痛々しい(1)

 フェノンティが連れてきたのは、年若い…少女と言っても差支えがない女性だった。

 聖オプノーティス王国の侯爵令嬢、シャノン。


 運悪く母に先立たれ、

 運悪く継母が妹を生み、

 運悪くその妹の金遣いが荒かった。


 さらにはそのわがままし放題の妹に、婚約者を奪われ、いわれのない罪で迫害され、惨たらしく死んでくれと言わんばかりに暗黒大陸に転送された。


「―――魔王陛下におかれましては…」

「いや、いい。堅苦しいのは止してくれ」


 謁見の間でカーテシーを披露して口上を始めたシャノンを、アルノーは止めた。


「御令嬢にはおそらく伝わっていないことだろう。魔王は先日代替わりした。余は先日即位した魔王…アルノー・ル・ペルソナという」


 アルノーが名乗った瞬間、シャノンは思わずと言ったようで口を押さえる。

 アルノー・ル・ペルソナは慈悲の枢機卿の名を人間世界に轟かせていた。まさか魔王に堕ちているとは思われないだろう。


「では、私も…改めまして、聖オプノーティス王国より参りました。シャノン・デ・レフィブレと申します。とは言いましても、聖オプノーティス王国から追放刑を受けまして…ぜひ、皆様にはシャノンと呼んでいただければと思います」


「つまり、御令嬢はただの【シャノン】で居たい、ということかな?」


 アルノーの質問に、そばに控えていたイリーナは瞠目した。

 アルノーは生国に居た頃、貴族然とした女性をずっとあしらい続けていたので、シャノンに興味を示したのが意外だったからだ。


「…そう、ですね……私の母が亡くなってから嫁いできた、の行動は目に余るようになりました。妹のフィーネも、甘やかされて育って……私は、育てていただいた恩義はありますが、あの家に未練はありません。ですから、私はファルパレス侯爵令嬢に戻るつもりもありませんし、人の世に戻ることもないでしょう」


 目を伏せて言うシャノンに、今度はフェノンティとバルバトスが瞠目した。

 この令嬢、魔族になってもいいからここにいると言っているようなものだ、と。普通は嫌がるだろう。魔素が死体に満ちて魔族に堕ちる時には体が作り変えられる。直前に多く倒した存在の魔力を吸って、イリーナのようにその一族のひとつに成り代わることもあるが、おおよそ何になるかなどわからない。


「――私、怒っておりますの」


 背筋を伸ばしたシャノンは一言告げた。


「怒る」


 それに鸚鵡オウム返しをするアルノーに、シャノンは頷く。


「今までたくさん我慢してまいりましたわ。服も、食事も。父の無聊ぶりょうを慰め、継母ははの心を満たすように。ずっと、ずっと」


 シャノンの口はするすると滑る。魔族の国で、魔力の発生源である魔王がいる玉座の目の前。それは人族にとっては酸欠…頭がぼうっとする空間でしかない。


「―――もう我慢なんてしたくありませんの」

「…強欲なことだ」


 パチリ、フィンガースナップをしてアルノーが咎めるように言葉を放つ。

 その瞬間、ハッとしたようにシャノンは口をつぐんだ。


「ここは魔素が満ちた部屋。法力素にしかなじみのない、完全な人族の御令嬢がいるとだな。息が詰まって、思ってもみない深層にある欲が出る…御令嬢用に多少は息がしやすい部屋を用意した。そちらに移動するといい」


 苦笑いしたアルノーが謁見の間から退出するのを、シャノンはぼぅっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る