第8話 魔王様はただ多忙(2)

「それに、俺が兵站を担当すると、まあ面倒だなと思うことはある」

「…と言いますと?」


 背筋を正してカップの魔黒茶を一口飲むと、アルノーは体勢を崩して机に肘をつく。


「俺は総大将の魔王だ。魔素がある程度あるところなら、瞬時に移動さえできる最終兵器リーサルウェポン、人族が言うところの【銀の弾丸】でもある」

「ええ、我らはそんな陛下に仕えることができて誇りに思います」

「ありがとう。だが、つまりは俺は魔王である限り【苦労をしない】ことになる。そんな俺が調整してみろ、現場にとって必要なものが届かないかもしれないし、邪魔になるほど届くかもしれない」


 彼の迷いを聞いたイリーナは、納得したようにうなずいた。

 それを見て、アルノーは立ち上がり、傍らに立てかけていた細剣を取る。

 そのまま鞘から剣身を抜き放つと、艶めく銀色だった聖なる細剣、ペルソナ枢機卿が手ずから鍛えた聖銀の剣は、魔素に触れて黒ずんでいた。


「【戦女神の嘆きグリーフ・オブ・アテナ】を抜いて戦っていた方がまだ楽だったな」


 ため息をついた若き魔王は首を振る。

「嘆いていても仕方ないな。忠臣デニスの変わり様は、悪辣な軍師としてぴったりだ。【必要以上に殺すな】と厳命して、彼を立案部の長に据えよう…」

「デニスを連れてまいりますか?」

「ああ、そうし……ドアの外にいるのは、フェノンティか?」


 頷いたアルノーが扉に目を向けると、扉の下の隙間からスライムが染み出していた。魔王の執務室に用がある者で不定形な体を持つのは、女司祭フェノンティくらいしかいない。


「―――はい、マルタ・フェノンティにございます…」


 外から聞こえたか細い声に反応したのはイリーナだ。アルノーが背を向けているのをいいことに、盛大に顔を顰める。

 イリーナはフェノンティと相性が悪い。

 陛下アルノーに寵愛されたいのか重用されたいのかはしらないが、この女司祭はやたらとアルノーの前ではしおらしいふるまいをする。声をか細くし、アルノーにみられると俯いて震えるが、アルノーが出てこない晩餐会などではドワーフも真っ青の酒豪だし、ダークエルフもドン引きするくらいの粗暴さを見せる。

 この前アルノーが首をひねるくらいに酒が樽単位で消費されたが、その原因はこの女だ。そして、その粗暴半不定形エルフが大体そういう時に絡んでいる対象はイリーナなのだ。


「入っていいぞ」


 アルノーは細剣を元に戻すと、椅子に座り机上の書類を下げて、入室許可を出す。

 さすがに休憩は悪ではないとはいえ、部下の前で体裁を整えるのは為政者としては当然だろう。イリーナは聖騎士団の頃からの付き合いなので、彼女の前では気を抜いてしまうが。


「失礼します…」


 しずしずと入ってきたフェノンティの顔が、イリーナを認めた一瞬だけ歪んだ。

 フェノンティは酒で酔っても記憶を飛ばせない。が故に、イリーナにウザ絡みをしたことは普通に覚えている。つまり、都合の悪い情報を知っているイリーナはある意味目の敵なのだ。


「フェノンティ、どうした?」

「いやですわ、陛下。我らは貴方様の忠実な部下。私のことは、どうぞマルタとお呼びください」

、冗談は止せ」


 しなを作って名前呼びをねだってくる女司祭に苦笑しながら本題を促すアルノーに、イリーナは内心喝采した。


「……そうですわね。今は地固めが大事な時でした」


 すっと背筋を伸ばすと、フェノンティは口を開く。


「我が隊にいる観察者ゲイザーのノーマからの報告です。死魂の森にて、令嬢の転送が確認されました。私とバルバトス将軍でこれより迎えに行ってまいります」


 その言葉に、アルノーはほんの少しだけ目を細めたのだった。

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