これを読んでいる君へ

いちご

第1話


 この手記を誰かが読んでいるということは、恐らく最悪の状況であるに違いないと推測する。


 我々の研究は成功していた。

 成功していたはずなのだ。


 魔素が足りなかったのか、はたまた多すぎたのか。

 もしくは検体として使っていた奴隷の中に、異常抗体を作り出した者でものでもいたのか。


 理由は分からならい。

 確かめようがないからだ。


 あの日起きた爆発は研究所を燃やし、貴重な資料や論拠、実験や観察などによって得られた事実や科学的数値は全て失われてしまった。


 命からがら逃げだした仲間は十名にも満たない。


 これから再構築するまでに相当な時間と努力が必要である。

 おそらくそれまでに多くの国と多くの人々が犠牲になってしまうであろう。


 我々は”不老不死”という人類の夢を叶えるべく日々研究に没頭していたことを、今では後悔しその業を背負わされてしまった己を激しく呪っている。


 悪いことは言わない。

 どうかこのまま先へ進まず引き返して欲しい。


 それが君のためであり、そしてこの世界のためでもある。


 人類が滅ぶべきと神が決めたのならそれに抗うことはできない。

 だが、今回の事件は人災である。

 天の理に触れたからでは決してないと――我々は信じるしかない。


 強靭な筋肉の鎧を身にまとい、感情もなく殺戮を繰り返す死なない兵士として作り出された彼らに今は抵抗できる術がなにもないとしても。


 我々は祈らずにはいられない。


 そうだ。

 おかしいだろう?


 科学や技術に心酔し、神などいないと豪語していた我々が祈るなどと。


 ああ、頼む。

 すでにおかしいのだ。

 なにもかもが。


 引き返せ。

 読む手を止めて逃げるのだ。


 お前にも見えるだろう?

 身をもって経験してきただろう?


 大地に巨大な穴が開き、恐ろしい狂声が響き渡る世界を。

 命が軽く奪われる日常を。

 それに憤り、恨み、原因を突き詰め、解決してみせると奮起して。


 ここまでたどり着いたはずだ。


 お前の苦労は無駄になる。

 お前の想いは消え失せる。

 お前の記憶は薄れゆき、ここがどこかも分からなくなる。


 そして書き換えられる。


 全て。

 裏側からひっくり返される。





「だから止めておけ、と忠告したというのに」


 ボロボロのローブを纏った痩せた男がぼそりと呟く。さきほどまで熱心に小さな手帳を見ていた若者はうめき声を上げながら床の上をのたうち回っている。


 額には青白く輝く魔性紋。

 手記全体に施された魔術を浴びた結果刻まれたもの。


「さあ、お前はどちらに変化する?」


 身体そのものを作り変えられる痛みを喉元を掻き毟り耐える若者を、冷めた眼差しで見つめる男の口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

 若者の背中が不自然なほど盛り上がり、翼に似た腕が飛び出してきた。


「ふむ……つまらない。やはり”そちら側”へと堕ちたか」


 次々と腕や骨が突き出し、最後は腹部が裂けて湯気を上げる臓物がこぼれ落ちたところで若者の動きは止まる。


「失敗か。ならばお前はどうだろう?」


 男の酷薄な笑顔がこちらを向く。

 見えているはずもないのに。


 ゆっくりと男が指を額に当てて「お前のここにも魔性紋ができてるぞ」と嬉しそうに囁いた。

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