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内情暴露」への応援コメント


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    読ませて頂きました。

    まじめにお話しすると、ご存知かどうかは存じませんが、
    同行援護従業者 
    と言う資格を持っています。視覚障害者の白杖の代わりとなるための資格です。
    そしてたまにですが、こちらの活動をする事があります。

    その際にまれに言われる事があります。
    「あんたら健常者は、俺らの気持ちなんてわからんやろうし、内心では優越感に浸ってるんと違うか?」
    こういった類の事を。
    ただ私は目が見えなる恐怖は分かっても、該当者の気持ちが分からないので(知ったかをするのはとても危険)、いつも迂闊な答えは言えません。

    そしてフォロー研修の時に実際に夜盲の方の話を伺う機会がありましたが、
    やっぱり目だけが不自由で他のどこも健常者と変わらないやるせなさがあると言う話をお伺いしました。
    そのお話をして下さった方からお伺いしたのは、話を聞いてくれるだけで言葉や態度には出せないけど、感謝している人が多いと言う話は聞かせて頂く事が出来ました。

    もちろん氷山の一角ですのでそうでない方、寿様のような体験をされる方もおられるのだと思います。

    差別と障害……健常者と障がい者。
    難しい問題だと思いますが、私も同行援護従業者の一人として、頂きましたお話を忘れないように人と接して行きたいと思います。

    作者からの返信

    ひかり様

    お読み頂き、ありがとうございます。
    自分としては覚えていること、感じ取っているものをほとんどそのまま書き殴ったようなものなので、頂いたコメントにたいへん恐縮しております。

    「あんたら健常者は~」の類いの文句は、実際に自分と同じ障害を持つ人からもよく聞いています。「あいつは手話が下手だ」「あいつは何もわかっていない」というように、障害を逆手にとって理解できない・しづらい領域に入れない人を見下していました。
    健常者に対してもそうですし、同じ障害を持つ人に対しても。

    ある部分が不自由であっても、その他の部分(メンタル部分も含めて)が健常者とは変わらないというのは当たり前のことなのですが、お互いにその当たり前のことになかなか気づけていない……というのは現実としてあります。
    それはやはりお互いに「障害」というフィルターで自分自身(障害者当人)を、そして人(障害者または健常者)を認識し、判断を下しているだからだと推測しています。

    ただ、中にはそういったフィルターがあることも承知で人と接することができる人もいます。人の数だけ思惑があるように、人の数だけ「障害のかたち」もあるのだと思います。

    自分の書いたことも、あくまで自分という人間(障害者)の見方のひとつに過ぎないです。人によって見方も答えも、人生も人との接し方もやはり異なります。それも当然なのですが……難しいですね。

    改めて、コメントありがとうございました。
    頂いた意見をもとに、今後に活かしてみることにします。