第10話 西へ

 ギルドから出ていった二人を見送ったレフは、そのままじっとギルドの出入り口を見つめてポツリと言葉をこぼした。




「まさか旦那の娘が『十人目』だとは……これもカミサマとやらの思し召しって奴かァ」




 レフは不気味な笑みを浮かべて失った片腕をさする。




「旦那ァ……次会ったときはこの腕の対価、ツケもあわせてきっちり払って貰いますからねェ」









 ――ギルドを出た後もしばらくの間、ヘレナはオスカーの服の裾をぎゅっと握りしめたまま怯えた様子で、少し震えていた。




「どうした? レフがそんなに怖かったか?」




 オスカーはヘレナを抱き抱えてそう聞く。




「うん。あのおじさん、すっごく怖かった」




 今にも泣き出しそうな声でヘレナは返事をする。




「そうか……そういえばあいつ、妙に子どもから好かれなかったっけなぁ……」




 オスカーはそんなレフに少し呆れとも哀れみともつかない感情を懐きつつ、ギルドから離れ、ヘレナが落ち着くまでしばらくの間、そのままの状態で過ごした。




 結局ヘレナが落ち着く頃にはすっかり町を出る予定の時間を過ぎてしまった。オスカー一行はその後、知らぬ間に憲兵たちに貰っていた(勝手に馬車に積まれていた)大量の食料等を確認すると、急いで町を後にした。今から急げば夜になるまでに何とか隣の村まで着けるだろう。軽快な音を立てて、馬車は街道を西に進んでいった。











 ケンブルクを出発してから、数日が経過した。


 出発からしばらくの間は街道に沿って進んできていた一行であったが、今朝からはその街道を大きく外れ、今はオスカーにとっては見慣れた深い深い森の中に出来た小さな道をただひたすらに突き進んでいた。




「やっぱりこの道はいつ来ても馬車がガタつくな……。いい加減母さんも舗装するなり何なりしてくれれば良いのに……」




 そういって森の悪路に対し愚痴をこぼすオスカーの胸には、馬車が進むにつれて段々と懐かしさが湧いてきた。




「おとーさん、もうそろそろ?」




 荷台からヘレナが声を掛けてくる。ガタガタする馬車の中なので少し大きめの声量だ。




「あぁ! もうじき見えてくるはずだぞ!」




 オスカーも同じく普段より大きめの声量で答える。




 そこから少し進むと、ようやく森が開けた。




「着いたぞヘレナ!」




 オスカーは馬車を停め、辺りを見渡した。


 そこには一面の大きな花園が広がり、一頭のヘラのような大きな角を持った水色の毛並みの牡鹿が草を食んでいた。


 そんな広い花園の中にぽつんと一つ、小さな赤い屋根の家が、まるで取り残されたかのようにそこにはあった。


 そしてその小さな家の前に、花に水をやる一人の若い女性が居た。




「おばーちゃーん! ただいまー!」




 その姿を見るや否や、ヘレナは馬車の荷台から飛び降り、駆け出して行った。


 ヘレナの声に女性はピクリとその長く尖った耳を動かし、立ち上がる。背丈は大体オスカーの胸辺りまでだろうか。かなり小柄だが、その身長に不釣り合いな大きな熊の毛皮から作られたコートを羽織り、丸眼鏡を掛けている。


 女性は声のする方を見ると、優しげな表情を浮かべて飛び付いてくるヘレナを受け止めた。




「お帰り、ヘレナ。少し大きくなったんじゃないか?」




 ヘレナにそう聞く女性の顔は、やはり優しげで、嬉しそうで、馬車から降りて、シュバルツの手綱を解きそちらに向かうオスカーは、その女性の普段からは想像できない表情に思わず吹き出してしまった。


 女性は吹き出したオスカーに気づくと、心底不機嫌と言わんばかりのじとーっとした表情を浮かべてオスカーの方を向き、今度は引きつった笑みを浮かべてこう言った。




「なんだ、馬鹿息子。僕の顔になにか付いているのか?」


「いえいえお母様、余りにも普段からは想像できない表情でしたのでついつい笑いを堪えきれなかったのです」




 オスカーも悪い笑みを浮かべてそう返す。




「そうかそうか、どうやらお前の記憶は悪い魔女にでも改ざんされてしまったようだな。僕がお前の記憶を取り戻してやる!」




 そういってどこからか取り出した杖を片手にオスカーに殴りかかる。オスカーはそれを寸でのところで避けると




「ちょっ! タンマ! 落ち着いて話し合おうじゃないか母さん!」




 オスカーがそう制止を試みるも、




「言語道断! 大人しく観念しろー!」




 と言いながら杖を振り回し、交渉決裂を悟って逃げるオスカーを追い回す。


 追いかけ合う二人は口調とは真逆の楽しそうな表情を浮かべていた。


 そんな二人の姿を見てヘレナは思わず声を出して笑ってしまう。それにつられたようにシュバルツも笑い声のようにいななく。




「よし! 勝った! 母に勝る息子などこの世に居ないということを思い知ったか!」




 どうやら決着がついたらしい。馬乗りにされたオスカーは杖で首を押さえつけられている。




「わかった! わかりました! 思い知りました! 母上様は最強です!」


「分かったのならよし! ほら立て! ぐずぐずするなぁ!」




 そういって女性は倒れ込むオスカーの手を取って立ち上がらせる。立ち上がったオスカーは服についた土などを払いながら、2人揃ってヘレナの居る小屋の方へ歩いてくる。




 彼女の名はマリア。オスカーの育ての母であり、ヘレナの祖母。エルフである。

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