第1話 出会い〔後〕

 古参の冒険者に一声かけたオスカー達は、二人で声の元をたどった。


 しばらくしてその声が森の奥から聞こえてきていることがわかった。二人は考える間も無く、その方向へ走っていった。幸いにも、木と木の間には人が充分通れるだけの空間があり、根もさほど地面から出ていなかったので、躓くこともなく、直ぐにその場所にたどり着く頃には、赤ん坊の声がはっきりと解るようになった。


「そこだな」


 グスタフが指差した方には、小さな洞窟があった。入り口の辺りには木々は無く、少し開けていて付近には決して少なくない量の血の跡が残り、洞窟へと向かっている。赤ん坊の声はそこから聞こえてきている。


「ラ・シーナ」


 ポーチから金色に暖かく光る小石を取り出し、オスカーがそう唱えると、左の人差し指に光が灯る。


 一瞬オスカーは腕に痛みを感じたが、それを無視して彼は先に進んだ。グスタフはその後ろに少し心配そうな表情をしながら続く。


 洞窟はさほど深いわけではない事が、赤ん坊の声の聞こえ具合からわかった。唯一の気がかりは、壁や地面に残る血痕。赤ん坊の声が聞こえているので、声真似をする魔物が潜んで居るのではなければ、少なくとも赤ん坊は無事なのだろう。問題は、その赤ん坊をここまで連れてきた者の安否だ。かなりの量の出血をしている。最悪の場合、赤ん坊を残して失血死しているかも知れない。自然と足早になる。


 しばらく歩くと、終点にたどり着いた。そこには、赤ん坊を抱いた一人の女性が座り込んでいた。赤ん坊の母親だろう。二人よりも少し上ぐらいの年齢に見えた。


「見つけたぞ! おい、しっかりしろ!」


 オスカーが女性に声をかけ、女性の前に屈む。すると、女性はゆっくりと瞼を開ける。かろうじて生きていたようだ。だが、出血がひどい。息も浅く、肌の色も青ざめている。素人目にも助からないことは、容易に理解出来た。グスタフはカバンから回復薬を取り出しこちらに持って来ようとしたが、女性の様子を見て、静かにカバンにしまった。


 すると、静かに女性が口を開く。


「どうか……私の願いを……聞いてはくれませんか……?」


女性も自らが助からないことを悟ったのだろう。その女性にオスカーは「ああ、わかった」と頷いた。グスタフもオスカーの横に屈む。


「私の……娘を……お願いします……」


 そう言って、赤ん坊を抱いていた腕を緩める。暗い茶色の髪に、同じ色の瞳をしている。それを見てオスカーは咄嗟に赤ん坊を抱えた。


 赤ん坊は、オスカーが抱きあげるとすぐに泣くのをやめ、緩やかに眠り始めた。


 抱き上げたオスカーは、赤ん坊の温もりに少し驚いた。それはもはや慣れてしまった、あの返り血を浴びたときの嫌な温もりとは違う、命の暖かみだ。この子は今、生きている。確かに今ここで、生きているのだ。誰かの頼り無くては生きていけないながらにも、温もりを放ち、心臓を鼓動させているのだ。その事実は、冷たく凍ってしまったオスカーの心をゆっくりと、だが確実に溶かし始めていた。


「なにか他に俺たちに出来ることは無いか?」


 グスタフが問う。女性は静かに、消え入るような声でこういった。


「貴方……達に……全て……を、託し……ます……。楽に……してくだ……さい……」


一瞬の沈黙の後、オスカーとグスタフはほぼ同時に頷いた。


 オスカーは「こう言うのは俺の方が慣れてる」と言い、赤ん坊と外套をグスタフに渡した。


 外套を外すと、黒い髪と翠の瞳。オリーブ色の肌に右目の下から鼻を通って左の頬辺りまで達した大きな傷の跡が現れた。そしてその額には、小さな角が一対、延びている。


 オスカーは、懐から片刃の短刀を取り出すと、


「貴女の魂が、どうか天空の楽園にたどり着きますように……」


 と祈りを捧げ、女性の首に短刀をを突き立てた。暖かな血が、彼の頬に跳ねた。







 オスカー達は、赤ん坊を抱き洞窟から出、集落跡地に向かっていた。


「おいオスカー。その赤ん坊結局どうするんだ?」


「どうするって、俺が育てるしかないだろ?」


 そう言って、オスカーの腕のなかで眠る赤ん坊を見る。こうも腕のなかで落ち着かれると、突き放すわけにはいかない。二人の話し声も自然と小さくなる。


「育てるって言ったって、お前、赤ん坊を育てた経験有るのか? それに、定宿無しに育てるつもりか? 可哀想だが、ここで母親の元に送ってやるのが、赤ん坊の為だと思うが……」


グスタフは心配そうに聞いてくる。その心配はもっともだ。オスカーは定宿を持たず、各地を転々としている。子育てをするにはあまりにも不向きだろう。その心配に対しオスカーはあっさりと、


「昔故郷の孤児院で赤ん坊の面倒はいやと言うほどしたし、定宿無しでもやりようによっては育てられるさ。それに……」


 つかの間の静寂が二人の間を流れる。


「こいつは昔の俺と良く似てる。親もなく、親戚もなく、頼れる血縁は無い。俺には兄貴が居るが、故郷を出たときに縁を切った。血の繋がりの絶たれた俺とこいつは同じなんだ。だから……」


 そう言って振り返り、グスタフを見る。


「俺はこいつの父親になる!」


そう高らかと宣言し、再び赤ん坊を見、


「これからよろしくな! お前の名前は、そうだなぁ……」


 少しオスカーは考えた後、


「決めた! お前はヘレナだ! どうだ? 良い名前だろ?」


 その声で赤ん坊は目を覚ました。だが不思議と泣き出すことはなく、何故だか笑っている。


「おお! 喜んでるぞ!」

「全く……俺は絶対手伝わんからな!」


 この日、止まっていたオスカーの時間は、世界の運命は、急速に動き始めた。だが、待ち受ける運命を、彼らはまだ誰も知らない……。







「おいお前達、こんなところで何してる?」


「……この子を助けてくれ」


「……その背の娘か。ハーフエルフだぞ? 人からもエルフからも嫌われる忌み子だぞ?」


「そんなことどうだっていい! 俺はこの子を助けたいんだ! 助けてくれないなら、せめて道を開けてくれ」


 暗い森だ。鳥の声すらしない静寂の中、エルフと少年の会話が聞こえる。少年は自身もぼろぼろになりながら、更に酷い状態の少女を背負っている。事態はかなり切迫しているようだ。


「……良い覚悟だ、少年。名前は?」


「故郷といっしょに捨てた。好きに呼んでくれ」


「わかった。そうだな……ギルベアド、お前は今日からギルベアドだ。僕はマリア。この奥に僕の家がある、中で手当てしよう。ついてこい」




 ギルベアドは、先に行く自分の身長とほぼ同じ身の丈の丸眼鏡を掛けたエルフの後を追った。この出会いが、全ての始まりとも知らずに……。

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